どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

小正月の左義長神事「どんど焼き」/       わが家のお飾り抱えて鎌倉…荏柄天神さんへ

-No.1580-
★2018年01月18日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 2506日
★ オリンピックTOKYOまで →  918日



















◆早や…小正月

 新春を駅伝で迎える近ごろは、三が日本番の正月よりむしろ15日の小正月の方が節目…になった感のあるわが家。
 ひさしぶりに、松飾り抱えて「どんど焼き」に出かけた。

 左義長とも呼ばれるこの行事、むかし宮中の厄除け〝火祭り〟として発祥、のち民間に広まったというから、神事というより季節行事の趣き濃いらしく。
 多くの神社では、正式の年間行事に位置づけられてはいない。

 ともあれ……
 いまも各地、各神社そのほかで行われている、この一年の無病息災を願う「どんど焼き」。
 たとえば神奈川県では大磯の浜で盛大に行われるものがよく知られているが、いまの世の習いにあわせて15日にかぎらず、行事を前後の週末にあわせることが多くなってきた。

 しかしボクらは前に一度、鎌倉の荏柄天神社で出逢った「どんど焼き」、日本三天神のひとつながら鄙びた風情を伝える催事が気に入って、すっかり氏子気分にひたっているのだった。

 ……………

 朝の鎌倉駅
 「きょうの日中は暖かくなる」予報にもかかわらず、冷たい風が吹き抜ける<段葛>を行くに気にはなれず、小町通りを歩く。
 けれども、やっぱり、しまいに出るのは八幡さま(鶴岡八幡)の前。 
 さすがは鎌倉幕府の宗社で。
 雪ノ下や二階堂など、この奥にある寺社に詣でるにも、八幡さまの前を素通りはできないようになっている。

 その八幡さま。
 有名だった大銀杏が8年前に倒れてからは寂しい境内になっていたのが、その後、のこされた根から新しい芽吹きがあって、この古樹の生命力には敬服するほかない。

 その八幡さまでも、この日、早朝に「どんど焼き」があったのだけれど、さすがは大社の、お飾りふんだんに積み上げ大仕掛けな火祭りは(ちょっと…ちがう)気がする。
 「どんど焼き」をすませた幼稚園児たちが、参拝に、ちょうど八幡さまの石段を上がっていくところだった。写真にかわいい構図をあたえてくれる。

 そんなアレコレに気をとられていたおかげで、絵柄天神社の「どんど焼き」には、やや遅参。
 左義長神事の祝詞奏上中に、なんとか間にあう。

 ……………

 八幡さまにくらべると小ぢんまり、ご近所の衆のとりまかれて狭い境内。
 祭壇に奉げられる神事のすぐ脇では、世話役の人たちによる餅つきの準備が並行しており、
蒸籠から暖かい湯気が吹きはじめる。

 お飾りの山も、火事に気をつけてのことだろう、ここでは小ぶり。
 持参したわが家のお飾りも、焚き上げのなかに入れてもらう。
 まわりの土に水を吸わせながら、神主の手でお飾りに火がつけられる。

 ふと気がつくと、(これもコスプレ?)鎌倉武士の装束にマジに身をかためた男女が、参拝の輪にまじっている。
 天神さまに願いを託す…去年一年分の絵馬もお祓いの火に昇華する。

 やがて、ようやくに、まわりの空気がぬくもる頃には、糯米が蒸しあがり、臼へと運ばれて餅つきがはじまる。
 杵の音にリズムがでてきたところで、神主さんが搗き、武者振り男が搗き、巫女さんも懸命に杵を振りあげる。

 見物の子らにも「搗いてごらん」誘いの声がかかった、けれど、女の子たちは恥ずかしいのか尻ごみ、見わたしたところ男の子の顔が見えないのは…ははぁ逃げおったか。

 搗きあがったお餅は、控え室で「餡ころ餅」と「黄な粉餅」とに作られ、授与される。
 それを待つ間、参集の衆は思い思いにお詣りしたり、世間話に花を咲かせたり……
 ぼくたちも「餡ころ」と「黄な粉」、搗きたて餅パックを二ついただて帰途につく。

 天神さまの堂々たる梅鉢紋にはかなわないけれど、境内の梅がまだ遠慮がちながら花をつけはじめており……

 人の世は、まだ寒中、といいながら。
 すでに土中からは、春いちばんの芽が萌え出ている。

 ……………

 このあと、二階堂の鎌倉宮までまわって帰ったこの日、後で歩数計を見たら、なんと15、500歩、はやくも昨年の1日の歩数記録を上まわっていて、吃驚させられたことだった。















…[隔日]連載の記事は明日です…

-No.1579-
★2018年01月17日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 2505日
★ オリンピックTOKYOまで →  919日

*ことし「成人の日」、〝荒れる式〟をやっと卒業したかと思ったら、こんどは晴れ着を騙しとられて式に出られなかった…と、まぁ騒々しいことだった。おどろいたことには、直ぐにお助けのうごき、じつに素早く立ち上がったこと。それも、業界事情に通じ、別に思惑もある着物関係者ばかりか、一般市民の方々もひっくるめての応援さわぎとは。「かわいそうだからなんとかしてあげたい」んですと。日本人て…ホント…いい気な国人。半ばあきれて想う反面、「ちぃとばかしオカシイんじゃありませんか」気がしてならない。だって、そうでしょ。着られるはずだった晴れ着を着られなくなったのは気の毒だけれど、だからって「式に出られない」と駄々をこねるってのは、どうか。それって、ただの<わがまま>ってやつでしょ。晴れ着なんか買えない身の上の人のことを思え、なんて、くそマジメなことは言わない、けれど、これからの次代を担う社会人としては、てんで情けない。まだ未熟者の、成人式は〝晴れ着〟の日ですか。ふだんの外出着で淡々と成人を迎え、赦せない犯罪行為に対しては敢然と立ち向かっていく潔い〝若者たち〟であってほしい…よ*

箱根路を巡りつつ、新たな1年をこころに期す

-No.1578-
★2018年01月16日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 2504日
★ オリンピックTOKYOまで →  920日











箱根駅伝<往路>ゴールに迎え、<復路>山下りを見とどけて…

 ぼくは、かみさんと二人、ひさしぶりの箱根路を巡り。
 新たな…そうして否応なしに、年ごとに短くなっていく1年を…だからこそ一層(こころして命かがやけるものしたい)想いをたしかめた。

 好きな場所のひとつに強羅の「箱根美術館」がある。
 東洋美術コレクションの展示も、さりげない格調のたかさが佳いのだ、けれど。
 それよりなにより、手入れの佳さ、これもさりげない苔の庭「神仙郷」の趣きと、そのなかに楚々と佇む富士見亭が佳く。
 明神・明星ヶ岳など箱根外輪山をバックに、相模灘までの眺望にもすぐれている。

 そこまでは、おそらく皆さんとかわりがない…のだが。
 ぼくの変わっている(ホントにはそんなこと微塵も思ってはいないのダ…もちろん)ところは、(こんなのもやっぱり〝冬枯れ〟というしかないのだろうか…)苔の見えない庭の味わいもまた佳い、とているのだ。

 それは。
 霜除けに藁を被せ、縄で抑える養生法がとてもやさしい、から。

 その苔の庭、そぞろ歩きつつ、ボクは想う。
 ひとつ「欲ばり」愉しんじゃおうかぃ…と、悪戯っ子にも似た心境で。

 「欲ばり」な態度は、褒められない。(よしなよ)ぼくだって、たしかにそう思う。
 いっぽう、「欲ばり」なくらい自分が愛しくなけりゃイケナイ、のもまた、たしかで。
 ただ、この年になると(他人ではなく自己判定の)無理もイケナイから。
 そこの見極めあやまりなく「欲ばり」であろう、と想いきめた。

 体力の維持である、できうるかぎり減衰ご免こうむる。
 この覚悟は、年末にも、述べた。
 これ、ぼくに<不言実行は無理>だから、かさねて自身に言っておく。

 昨2017年、歩数計(かつては〝万歩計〟などと強制がましく呼ばれたモノ)で1日の歩数を記録(最高は13,500歩)。
 週間(最高35、800歩)、月間(最高118、500歩)と積み重ねてきたのを、年末に年間の集計をしたら854、450歩になっていた。
 運動好きでもないのに(歩けるもんだな)と驚いた。
 (嗤える向きには嗤ってもらって、一向にかまわない)

 ことしは100万歩に伸ばしたい、「欲ばり」になっている。
 だいじなのは、スポーツ・ジムやらなんとかクラブ、なにやら教室なんぞに通うのではなく、散歩という趣味擬態ふうの半強制事でもなしに(このへんがいかにもへそ曲がり…ワカッている)、「出かけることは歩けること」ぼくの、もっとも自然の生理にしたがったやり方でポイントを上げていこう、という。

 げんに新年早々、2・3・4日の箱根路めぐりをした2018年の第1週は、ほろ酔い気分のなかでも週間24、700歩、まぁまぁの結果が出ている。
 これに、2週間ごとの「心臓リハビリ」運動治療、30分のエルゴメーター(自転車ペダル漕ぎ)も熟〔こな〕していければ、まずはヨカろう。

 課題は、昨秋から発起した「週3日お出かけ」習慣、ややお疲れ気味と気づいてもなお、ややムキになってガンバったツケが腰痛をまねいたこと。

 閑かな茶室でお抹茶いただきながら、こころに期す。
 よいかおぬし、すぎた無理はイカン…ぜよ。
 怠けんように、甘やかさんように。








◆「箱根フリーパス」をつかいきる

 箱根登山鉄道の終点「強羅」から先。
 大涌谷の空中散歩「箱根ロープウェイ」は、発生ガス濃度が高いため只今「運行停止中」。
 やむなくバスで仙石原を経由、芦ノ湖西岸の桃源台にまわりこむ。

 新たな1年に期す…ことの、もうひとつは文筆。
 まずは1冊の上梓、1冊の出版準備をすすめること。

 そこで、だいじに思っているのが「呼吸の文章法」。
 つまびらかには…つまるところ…本になったのを読んでいただくしかない、のだけれども。

 キーワードになるのは「句読法」と「わかち書き」。
 いまの世の、なんとしても生きるに息ぐるしい状況からの抄い…としたい。

 わかりやすく言えば、いま多くの人たちがほとんど生活習慣として(なんのためか知らず、なにかしら〝有毒の予防〟に思ってか…)マスク手ばなせない、そんなオカシな環境からの脱出口をもとめたい、と思う。

 桃源台のビューレストラン。
 観光「海賊船」が大勢の外人客さんたちにも人気抜群の、湖水を見晴らすガラス窓からは新春の陽が眩しすぎて、汗ばんでくるほど…だったけれど。

 さすがに吹く風は、肌を刺す冷たさ。
 それでも、ぼくが上甲板に立っていたかったのは、芦ノ湖の富士をしっかり見おさめておきたかったから。
 ふと気づくと、この船上にはなぜかマスク姿が目だたない。
 ぼくには(透けた空気の気もちよさからだろうか…)と思われた。

 結局、雪化粧の富士の景は元箱根港に着くまでオアズケ。
 大学駅伝の<往路>ゴールと<復路>スタートで、あれほどごった返した箱根町芦ノ湖駐車場の付近も、いまは吹き抜ける寒風のなかに、ひっそり。

 (おじゃまさま)
 ぼくたちは箱根新道経由のバスで、小田急ロマンスカーの待つ湯元へ。

 結果、このたびは。
 「行きたいところ、かならずしも人気観光地ではない」ぼくたちにしては珍しく、〝お得〟が売りのフリーパスを有効に使いきって小旅行をおえることができたのだった。

 こんな正月もたまには…いいねぇ。



…[隔日]連載の記事は明日です…

-No.1577-
★2018年01月15日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 2503日
★ オリンピックTOKYOまで →  921日

穏かに決着した年の初めの大勝負ザンネン…/  箱根駅伝<復路>の見どころは少なかった!

-No.1576-
★2018年01月14日日曜日
★11.3.11フクシマから → 2502日
★ オリンピックTOKYOまで →  922日


















◆青学〝逆転〟のもくろみ思うがまま

 大平台温泉に泊まって迎えた正月3日、箱根駅伝<復路>。
 朝7時には朝食が部屋に運ばれてきた。

 なかには、もっと早起きしてスタート地点の芦ノ湖畔に出張った人もある。
 大学駅伝なしには迎えられない箱根路の正月……

 スタートは8時。6区(芦ノ湖-小田原)は往路5区と同じ20.8kmだが。
 5区の<山登り>と6区の<山下り>の記録差は、およそ5分もある。
 素晴らしいスピードで駆け下って来る選手たちは、それこそ
「アッというまに行ってしまう」

 ぼくらはスタート時間を待たずに宿を出る。
 箱根登山鉄道の大平台は〝スウィッチバック〟のある駅。
 つまり、急勾配を克服するためには列車も折り返す…そんな急坂の途中にある。

 その駅付近も含めて撮影場所を探りもとめた挙句、地元主婦グループによる「大平台姫太鼓」が打ち鳴らされる辺りに場所決め。
 カメラアングルを低くする必要から、片足の下にはカメラバッグを挟む、それでも身体が坂下の方へ傾ぐ気がする。

 待つことしばし……
 いかにも-事情通-そろそろ通過する頃…を心得て沿道にでてきた地元の御老人方が揃ったところへ、「箱根駅伝」広報車、つづいて先ぶれの白バイがやってくる。

◆トップの東洋に青学が迫る

 <復路>は、<往路>ゴールの時間差に従ってのスタート。
 ここ大平台は、その<復路>もすでに後半。
 途中、宮ノ下のチェックポイントで「2位の青学が差を詰めてきている」、ラジオ実況中継の一報。

 まもなく1位東洋が通過、走りそのものはワルクない。
 しかし…つづいて跳ぶように駆け下ってきた青学、6区のスペシャリスト小野田くん(3年)の姿を見、タイム差まちがいなく大きく迫っていることがワカッて、<小田原中継所までの間に逆転>を確信する。

 後続あいついで駆け下って来る姿を、レンズにとらえつづけながら、ぼくは思う。

 ひとつ。選手たちの脚に盛り上がる筋肉は、<往路>でもそうだったし、しかもこれは<毎年>感じて来たことだけれども、いずれも美しい。よほど精密な、計器による測定があれば別だろう、が、少なくとも素人の肉眼には、その差、優劣など見分けられない。

 ふたつ。そのうえで、長身の選手には、やはり<山上り>にも<山下り>にも、いくぶんかの不利があるように見受けられる。
 つまり、長身のコンパスの長さが、坂の勾配をキャッチするのに<無理>がある。
 もちろん、もって生まれた肉体的な素質や、練習によって克服できること…としても…それですべてがカイケツするワケのことでもない、気がした。
 それぞれの区間、ことにも<山上り><山下り>に、つよくその適性がもとめられるワケをあらためてナットクする。

 箱根の<山下り>は。
 時間差出発とはいえまだスタート直ぐの段階であり、トップから10分以上離されたチームは<繰り上げ一斉スタート>ということもあって、なるほど呆っ気なくすべてが目の前を走りすぎ、追って道路の通行規制も解除された。
 ここ大平台の時点での順位変動も、大きくて3つ上下くらいまで、レースの行方に大きく影響するほどのものでもなかった。

 <山下り>6区の結果。
 逆転して1位の青学は、2位の東洋に逆に52秒差をつけた。
 3位ねばりの早大、トップとのタイム差は3分46秒とひらいた。

◆つづく7・8区までで青学の総合優勝(ほぼ)キマリ

 「箱根駅伝」出走選手エントリーが発表されたとき、エースの下田裕太くん(4年)が補欠にまわった時点で、すでに青学<余裕のヨミ>は見えていた。
 当日に認められる<エントリー変更>は、各チーム<ヨミ>と<カケヒキ>駅伝の妙味でもあるのだ、が、ことしの場合は青学、原監督の作戦が正直<不気味>ですらあり。

 <往路>ゴール直後に、原監督が「復路逆転」を宣言。
 その<復路>8区にエントリー変更で下田くんが入ったとき、正直(ヤラレタか)と東洋の酒井監督も思ったに違いない。

 しかも青学には、6区につづく7区(下田くんにつなぐ役どころ)、やはりこの日のエントリー変更で入った、細かいアップダウンに優れた対応適性をもつという林奎介くん(3年)が、<復路>唯一の区間新記録をたたきだすという快走もあり(林くんはこの決定打となる走りによって最優秀選手賞に輝いた)。
 結局、6~8区3区間連続の区間賞で2位東洋との差を広げた青学に、あっさり4連覇の<勝負>あった。
 
 <総合>成績を見ておくと。
 1位青山学院大10時間57分39秒。これは<往路>5時間29分5秒と共に新記録。
 2位東洋大11時間2分32秒。これだって立派、<往路>5時間28分29秒と共に同じく新記録。だけれども、これで3年連続の2位、青学との総合タイム差は4分53秒だった。
 3位ねばりの早稲田大11時間9分9秒…記録の話しはこのへんまでで、もうよかろう。

 以下、日体体育大、東海大、法政大、城西大、拓殖大帝京大中央学院大までの10校がシード権を獲得。往路まではなんとかガンバれた中大を含む他の10校はざんねん、来年また予選会からのチャレンジになる。

 なかでも、とくに不成績が気になったチームは、おおかたの予想をうらぎって総合13位に終わった神奈川大、往路の劣勢を挽回できずに総合12位の駒沢大、このさき何年間かの浮沈までこめて心配な総合18位の山梨学院大
 <復路>で盛り返し、一時は総合3位まで浮上して見せた東海大も、やっぱり<トラック>と<ロード>のレースは別もの…の感を深くさせられた。
 
 そうして。
 ことし、往・復路とも好天に恵まれた「箱根」のレース、おわってみれば大きな波乱もなく、毎度<復路>の話題になる<シード圏>争いも、母校の襷が途絶える<繰り上げスタート>無念の涙も…大過なくすんで。

 ここで、先におことわりしておく。
 これはすべて、大会運営者・各校指導者・選手諸君を含む関係者の方々には、なんの関わりもないことながら……。
 ことしの箱根駅伝は妙味にかけて、ごめんなさい正直オモシロくはなかった。

 ぼくの<復路>はことし、大平台の街頭テレビに青学7区、好調の走りをたしかめて後は、ひさしぶりの箱根路散策を堪能し…ながら…であったことを、あらためてオワビしておきます。


















…[隔日]連載の記事は明日です…

-No.1575-
★2018年01月13日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 2501日
★ オリンピックTOKYOまで →  923日

恒例の〝追っかけ〟正月ことしもまた/      箱根駅伝「往路」ゴールを芦ノ湖畔に迎える

-No.1574-
★2018年01月12日(金曜日)
★11.3.11フクシマから → 2500日
★ オリンピックTOKYOまで →  924日





◆いつものとおり正月2日の箱根行き

 町田駅、朝7時30分発、一番のロマンスカーには、これも毎年のこと、箱根駅伝ファンがほとんどの席をうめていた。

 往路のスタートは8時だが、すでに日本テレビの中継番組は始まっている。
 しかし、乗車中も箱根山中に入っても、受信電波は弱いため、ぼくは文化放送のラジオ音声に耳をかたむて行く。
 (したがって途中経過のくわしくは後日、特集番組を確認してのことである)

 大手町の読売新聞東京本社前を1区の選手たちがスタートした頃、ロマンスカーの車窓からはうっすら雪化粧の富士山が望まれ、例年になく穏やかな日和に肌がほっこり。
 北日本日本海側には大雪の情報にぎやかなことだが、関東地方はおしなべて降雪も少ないようで、ぼくなど寒がりん坊にはとても助かる。

 寒中行事の箱根駅伝は、好天なら好天でまた、湘南海岸あたりの気温の上がりすぎが心配になったりもするのだ、けれども。
 すでに事前に、ことしは早いペースのレース展開が予想されてもおり、新記録の予感に軽い胸さわぎ…これもわるくない。

 ぼくは、こころして缶ビールをおとなしく傾けながら、元日にすんだ全日本実業団駅伝(ニューイヤー駅伝)の結果を反芻する。
 (マラソン&駅伝ファンのぼくは、冬が、なかでも年始が忙しいのダ)

 昨年につづく連覇で歴代最多の優勝回数を23にのばした旭化成は、市田孝・宏(大東大)双子の兄弟ほか、村山謙太(駒大、弟の紘太はことし欠場だったが市田とおなじ、しかも同年の双子の兄弟)、大六野秀畝・鎧坂哲哉(いずれも明大)が活躍。
 2位ホンダでは設楽悠太(東洋)が圧巻の10人抜きを演じ、コニカミノルタの神野大地(青学)も昨年のリベンジをはたして活躍。

 ことしの箱根では、彼らの後輩たちがどこまでガンバれるか、愉しみだった…。

◆おだやかな日和の芦ノ湖

 ことしのレースは、「出雲全日本大学選抜駅伝」で優勝した東海大と、「全日本大学駅伝」を制した神大とが、この「箱根」でも、ただいま3連覇中の青学にひと泡吹かせようとのもくろみから、往路から積極的に先行のスピード駅伝を仕掛けてくると見られいた。

 しかし、なんといっても生身の選手が走る駅伝に、選手起用の〝アヤ〟や好不調の〝変化〟はつきもの。
 東海大1区のスピードランナー関颯人くん(2年)が欠場して、はやくも予想に狂いと惑いが生じる。

 それでも、なんとか、いいペースですべりだした1区(21.3km)は結局、18kmすぎで抜け出した東洋の西山くん(1年)がトップで鶴見中継所に襷をわたして区間賞(1年生の区間賞は7年ぶり)。
 青学25秒差の5位、神大28秒差の6位を確認して。
 ぼくたちは芦ノ湖畔へ、元箱根行きのバスに乗り換える。

 穏かな冬の陽がきらきら湖水に反射する芦ノ湖畔、選手たちの健闘と家内の安穏を祈って箱根神社に参拝。
 気がつけば戌年、おシャレさせた飼い犬を連れて歩く人が参道の目を惹く。

◆〝花に嵐〟の波乱はあるか

 レースは、エース区間といわれる〝花の2区〟(23.1km)。
 東洋の相沢くん(2年)を追って、途中、青学の森田くん(3年)と神大の鈴木くん(4年)そして東海の阪口くん(2年)とが並走して、おもしろい展開に。

 しかし、12kmすぎで東海が離され(戸塚中継所で7位)。
 さらに20kmすぎ、全日本優勝の立役者、神大鈴木健吾くんも離されて先行のもくろみは外れ、3位で3区へ。

 区間賞の青学・森田くんもトップは奪えず(22秒差の2位)、東洋の相沢くんが踏ん張って首位を堅持した。東洋の1・2年生のガンバりに目を瞠る。

 この区間ではほかにも、注目の順大・塩尻くん(3年)が区間10位と期待をうらぎる結果に。
 また、1区で3位と好位置をキープした駒大も11位に沈み。

 いっぽう、青学・森田くんと区間賞をわけあった山梨・ニャイロくん(3年)が4位、彼に対抗して踏ん張った拓大・デレセくん(3年)が5位に、それぞれ躍進して明暗をわけた。









◆新記録ラッシュだ!

 3区(戸塚-平塚、21.4km)が、この日の勝負どころ。
 二人のエース、東洋の山本くん(3年)と青学の田村くん(4年)がタイム差を競り合い、これに次ぐ好記録で東海の鬼塚くん(2年)が追い、名門・早大の光延くん(4年)も踏ん張った。

 結果、区間賞・山本くんの東洋が首位を堅持して譲らず、区間2位の青学・田村くんは差をひらかれて、原監督の目算が狂う。東洋との差は46秒に。
 早大が2分38秒差の3位、以下、4位神大、5位拓大。

 ぼくらは、これも例年どおり、湖畔をそぞろ歩いたあと、高台に富士の絶景ポイント成川美術館を訪れる。
 美術館サイドも昨年あたりから、駅伝観戦ファンの多いことをこころえ、途中経過を報告したり、湖畔へ応援に下りたい人のため再入館もオーケーのサービスを取り入れたりしている。

 さて…駅伝…
 暑くもなく、陽ざしに浜風も心地よい4区(平塚-小田原)20.9kmでは、この日の好コンディションをエネルギーに各校選手が快走。
 なんと8校が区間新記録をたたきだした(従来の記録は昨年、順大・栃木渡くんの1時間3分36秒)。

 以下、新記録リスト。
 ①神大・大塚倭くん(4年)1時間2分21秒 → 4位から3位へ
 ②東洋・吉川洋次くん(1年)1時間2分22秒 → トップ堅持(2位青学との差を2分03秒に広げる)
 ③国学院・土方英和くん(2年)1時間2分36秒 → 14位から9位へ
 ④城西・金子元気くん(3年)1時間3分02秒 → 11位から10位へ
 ⑤駒大・高本真樹君(4年)1時間3分06秒 → 10位から7位へ
 ⑥拓大・西智也くん(4年)1時間3分17秒 → 5位から4位へ
 ⑦帝京・竹下凱くん(3年)1時間3分21秒 → 12位から11位へ
 ⑧日体大・富安央くん(4年)1時間3分34秒 → 15位から12位へ
 なお、区間賞の神大・大塚くんは母校にとって20年ぶり(総合優勝時)の記録をもたらした。

◆あっぱれ東洋…往路優勝

「駅伝は5区山上りに入りました」
 昼すぎの成川美術館、レストランの席から人々が腰をあげかけ…しかし。つづいて「選手の到着にはまだ間があります」との声に、随所で及び腰やら笑い声。

 撮影場所確保の必要があるボクらは、ひと足お先に湖畔へ。
 交通規制された沿道の空き地を選んで、すでに参加各校の応援団、チア・リーダーたちが歓声を上げ、その周りに人だかりがしている。これも例年どおり。

 ぼくらは、元箱根の遊覧船乗り場より少し先、ゴールまで1.5kmほどのところにある、木漏れ日の射す小さなマウンド上に陣取る。
 これも恒例で、ここなら選手の足どり、筋肉の躍動ぶりがよくわかる。

 待つほどに、芦ノ湖上空に実況放送のヘリが飛来。
 気温は6度。さすがに〝ヤマ〟の空気は冷えてくる…けれども明らかに…ことしは寒気もいくぶんか緩い。

 以下、写真は各校5区(小田原-芦ノ湖畔、20.8km)の選手たち、ゴールちょい手前での順位と表情である。

 1位は東洋大、5時間28分29秒(往路新記録)。
  *5区の田中くん(1年)の個人記録は9位ながらよく踏ん張った。東洋は往路1年~2年~3年~1年~1年というフレッシュな布陣で来季に明るい展望。
 2位は青山学院大、5時間29分05秒(往路新記録)。
  *5区竹石くん(2年)は中継所で2分余あったトップとの差を39秒まで縮め、原監督に「復路逆転」の巻き返し宣言をもたらした。
 3位は早稲田大、5時間30分25秒(往路新記録)。
  *5区安井君(4年)は区間新(2位)記録で、伝統校のねばりはさすがだった。
 4位は拓殖大、5時間33分05秒(往路新記録)。往路健闘。
 5位は法政大、5時間33分06秒(往路新記録)。
  *5区の青木くん(2年)、9人抜きの区間賞は立派な殊勲。ゴール少し前のこの場面でも城西大に迫っており、すぐに追い抜いている。
 6位は城西大、5時間33分19秒(ここまで往路新記録)。






◆10位〝復活〟の中大までが往路シード圏内

 7位は日体大、5時間33分47秒。
  *この時点は8位で通過、ゴールまでに逆転。
 8位は順天大、5時間33分54秒。
  *この時点は9位で通過、ゴールまでに逆転。5区の山田くん(3年)の個人記録は区間新(4位)。
 9位は東海大、5時間34分09秒。
  *この時点は7位で通過。この後ゴールまでに後続2校に追い抜かれて、結果は戦前の優勝候補がまさかの苦闘を味わった。
 10位は中央大、5時間34分18秒。
  *昨年、予選会敗退の屈辱からよくぞ立ち直った。
 (***以上ここまでがシード圏内) 











◆〝ブレーキ〟の2校

 11位は中央学院大、5時間34分43秒。
  *この時点は12位で通過、ゴールまでに逆転。5区の細谷くん(4年)の個人記録は区間新(3位)記録。
 12位は帝京大、5時間34分47秒。
  *この時点は11位で通過、このあと中央学院大に逆転をゆるした。
 13位は駒澤大、5時間36分01秒。
  *苦しんだ昨年、ことしも沈んだ名門。
 14位は国学院大、5時間36分58秒。
  *この時点は15位で通過、ゴールまでに逆転。
 15位は神奈川大、5時間38分04秒。
  *この時点は14位で通過、その後ゴールまでに逆転された。5区の記録は20位の大ブレーキ。調子の出入りが凸凹こんなに激しくては…勝負にならない。
 16位は山梨学院大、5時間38分07秒。
  *この名門校も苦しいシーズンがつづく。上田監督との「親子鷹」で復活をねらった今大会だったが、主将で子息の上田くん(4年)にまさかのブレーキ(個人記録区間18位タイ)。
 (***以上、ここまでが「復路」時間差スタート)









◆ことしは「復路・山下り」まで箱根で見とどける

 17位は大東文化大、5時間39分38秒。
 18位は国士館大、5時間41分38秒。 
 19位は東京国際大、5時間41分45秒。
 20位は上武大、5時間42分22秒。
 21位(参考記録)は関東学生連合、5時間49分20秒。
  *〝寄せ集め集団〟には違いないが、意地を見せ出場校にひとあわ吹かせるチャンスでもあった…が、ことしは完敗。

 さて……………

 レースを終えて。
 ことしはゴールまで1.5kmを歩いた。

 毎年、たいへんな混雑になるゴール付近は、沿道での撮影には不向きで敬遠するのだ…が、ゴールでしか味わえないものがあるのもタシカで。
 たとえば「往路」の記録号外(速報版)とか、読売新聞の「箱根駅伝記念号外」などはゴール付近でしか入手できない。

 そのゴール付近では、参加各校それぞれの報告会や記念撮影が各所で行われており、駅伝記念像の建つ広場では〝復活〟校の中大、往路の選手たちにファンや関係者たちの人垣ができていた。
 これには毎年「アリガタイこと」だと、しみじみ想う。

 世界的な観光地の箱根だけれど、もし「箱根駅伝」がなくなったら、どれほど寂しいことになるか知れないし。
 また選手・関係者たちにとっても、〝青春〟謳歌の桧舞台がなくなったときのショックを想うと…ほとんど想像を絶するものがある。

 よかれ! 箱根駅伝

 湖畔で、これも毎年恒例、熱い汁蕎麦を啜って美酒一献。

 例年とちがうのは、ことしは箱根山中の大平台温泉に贅沢な2泊の宿をとって、復路まで見とどけてから帰宅する。

 明日の「山下り」にそなえて、今夜も早寝じゃ……






…[隔日]連載の記事は明日です…

-No.1573-
★2018年01月11日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 2499日
★ オリンピックTOKYOまで →  925日

年末年始お騒がせの〝大相撲騒動〟から/     ②相撲は〝国技〟?…ならばどんな相撲が観たいのか

-No.1572-
★2018年01月10日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 2498日
★ オリンピックTOKYOまで →  926日



◆歴史を遡って〝古い〟のだからナルホド〝伝統〟ではある…けれども

 ぼくが、じつにひさしぶりに東京本場所両国国技館で観たのは、モンゴル勢の活躍めざましく、なかでも朝青龍の全盛期。
 知人の招きで、一般には入手のむずかしい「升席」(しかしその内実はまったく狭苦しい囲いのなか)に、大のおとな4人が胡坐の膝を抱えるようにして、それでもなんとか相撲茶屋から届く酒を呑み肴をつまみながら…という状況のもとだった。

 その後に、また偶然のチャンスに恵まれ、このときは土俵から遠い椅子席に、かみさんと二人。
 高いところから眺める土俵は、まさしくコロシアム。それにしても…
 まるでレスリングかボクシングでも観に来たようなムードに驚いたものだった。

 そう。むかしの雰囲気とはぜんぜんチガっていた。
 むかしとは…蔵前に国技館があった1954(昭和29)年から1984(昭和59)年までのうち、ごく初期の頃。
 41代横綱千代の山、42代鏡里、43代吉葉山の時代。一度は相撲好きだった母方のお爺ちゃんに連れられ、もう一度は両親と観に行った。
 その後、「栃若時代(44代栃錦・45代初代若乃花)」があり「柏鵬時代(47代柏戸・48代大鵬)」「輪湖時代(54代輪島・55代北の湖)」とつづく大相撲の黄金時代は〝テレビ桟敷〟ばっかりになったが、なにしろお相撲さんは「つよくて、きれいで、かっこいい」、〝伝統〟の〝国技〟がひしひしと身に沁みるようであった。

 ところで…。
 かみさんと観戦した場所も、朝青竜の優勝。
 千秋楽の表彰式、館内(現在の両国国技館)に流れる「君が代」を聞きながら、
モンゴル国家でいいんじゃないの」
 かみさんが正直な感想を言った。
 そのことの是非は別にして、そんなムードが漂っていたことはタシカで、〝国技〟が浮足立って感じられた。

 ……………

 この年末・年始、世間を騒然とさせた〝大相撲騒動〟(はっきり言って大相撲世界の醜態)と、いたしかたなく付き合っているうちに、ぼくの心もちはきまった。
「…で、じゃあ、(日本国民の)皆さんはどんな大相撲が観たいんですか、このさい、そこをはっきりさせようじゃありませんか」
 大相撲をどうする?
 これは、だんぜん国民の問題なのですから。

 日本相撲協会は、〝伝統〟より〝古いしきたり〟だけが似合いの頑迷集団状態だし。
 貴乃花親方にしても、その振る舞い、ざんねんながら稚拙にすぎる。もうすこし大人の「やりよう」はないものか、とも思うし。そのたたずまいには、やや(これまで引退後のあれこれ来歴に)不安なものもある…けれども。

 ぼくは、このたびのこと、あの阿修羅の形相もの凄く難関のりきった横綱貴乃花が、<腹をくくった大勝負>にでたと敏感したので、その去就、最後まで黙って見とどける。
 お喋り雀のマスコミがこぞって「いいかげんに真意を語るべきだ」と、まぁ、小姑のごとくにヤカマシイいことだが、グチャグチャ言うやつには、言わせておけ。
 「正念場の男は黙って勝負」だ。

 その間に、冷静に、ぼくらはもういちど振り返って。

◆大相撲の来歴、その〝伝統〟のあらましを確認しておこう

 まず「大相撲」というのは。

 日本古来の<奉納相撲>を起源とする、職業的な、力量最高位の力士たちによって行われる神事的色彩をおびた<武道>、そして<興行>であり、同時にその関係社会をも意味する。

 もうひとつには、「がっぷり四つ」に組んだ力士の力が拮抗して決着がつかない取組のこと。この状況を打開する手段を「水入り」という。

 神事の相撲(角力)は『日本書紀』のむかし、野見宿禰〔のみのすくね〕当麻蹴速〔たいまのけはや〕との勝負にさかのぼるわけだ、けれど…迂遠にすぎる。

 下って、<興行>としての相撲の始まりは江戸時代初期、寺社建立などのための資金集めを目的とする<勧進相撲>から。
 だが、勝負ごとにつきものの喧嘩(暴力)沙汰が絶えず、浮浪人集団とも見なされたため、幕府による禁止令もたびたびのことだった。

 事情が変わったのは明暦の大火(1657年)以降。
 寺社建築の急増と、あぶれ相撲人たちに生業を与える必要から、寺社奉行の管轄のもと職業相撲団体が結成され、年寄(現在に至る年寄名跡の創め)による管理体制を条件に<勧進相撲>興行が許され。
 その最初の興行が富岡八幡宮(江戸深川)境内で行われた。富岡八幡と相撲の縁もそれ以来のことになる。

 のち<勧進>から盛り場の<娯楽>へと興行の性格を変えながら、本所回向院(両国橋左岸)で大規模な興行が行われるようになり、やがて定着したのは天保の世の1833年。
 
 土俵は、初期の格闘技リングのようなものから、俵囲いの土俵へ、さらに現在の丸い形へと進化。序列をつけた力士一覧の番付も登場。 
 はじめは京都・大阪にもあった相撲が、やがて江戸相撲に集約される。
 きっかけは、二代目谷風と小野川に吉田司家(行事の祖)から横綱が免許され。
 将軍家斉の上覧相撲(1791年)があり、雷電為衛門という人気のヒーロー誕生などもあって、いつかしら「相撲は江戸が本場」の風潮になったものと思われ。
 古典落語にも、その頃、江戸での相撲人気のほどをうかがわせる噺がある。

 幕末には、「対レスリング」「対ボクシング」といった異種格闘技との試合もあり。
 一方。
 黒船騒ぎの折には攘夷派につく力士がいたかと思うと、日米和親条約締結の折にはアメリカへ返礼の米200俵を軽々と運んで見せて米軍人を驚嘆させたり。
 維新の動乱期には、のちの新選組と死闘を演じたり、勤王の志士になった力士もあり。
 積極的な社会参加ということでは、いま一般の体育会系とはずいぶん趣を異にしていた。

 相撲界最大の試練は明治維新、文明開化のとき。
 多分に西欧文明に気触〔かぶ〕れ気味の東京府(都)が発布した「裸体禁止令」(これが後には相撲禁止論をも生む)が力士を処罰する、という事態に。

 これを救ったのが、相撲好きの明治天皇とその意向をうけた伊藤博文ら政界の要人で、明治17(1884)年の天覧相撲(ときの横綱は15代初代梅ケ谷)によって社会的な公認をえて危機を脱している。
 <神事相撲>以来の<相撲の伝統>は、じつは<相撲と政治との絡み>と見ることもできる。

 明治40(1907)年には、往時の東京大相撲人気の立役者、19代横綱常陸山が渡米。海外に初の大相撲紹介をはたしている。
 (国際化の兆しはこの頃から…か)

 常設相撲場の両国国技館の落成は明治42(1909)年。
 このときから、力士の場所入りは羽織袴、行司の装束は裃・袴(のち烏帽子・直垂)、東西対抗制・団体優勝制度・横綱土俵入りなどが導入されている。
 興行の制度としては、投げ祝儀(銭)や幟・積樽の禁止(幟は後に復活する)など、芝居興行的な性格からスポーツ興行への脱却を目指す動きがあった。

 大正6(1917)年、両国国技館が焼失。
 大正14(1925)年、皇太子時代の昭和天皇の台覧(天覧)相撲の際に、陛下からの下賜金によって現在の天皇賜杯がつくられ、個人優勝者に授与された(これにともなっ優勝制度が団体から個人へと移行)。

 ここで確認。
 「〝国技〟相撲」というけれども、じつは、べつに国の法律で定められているわけではない。
 つまり、「それと見なされるもの」程度のことにすぎない。
 その「見なされる」根拠になっているのが、大昔は〝神事〟、近くは〝天覧〟ということになる。
 なお、貴乃花親方が目指す〝大相撲改革〟の精神面では、〝相撲道〟とともに〝国体に適う〟という表現が(真意のほどは知れないけれども)使われている。

 ここまでが、大正時代までの歴史。

 ……………

 以下は、昭和以降の動きを年表ふうに。

 〇昭和2(1927)年。東京・大阪2つの協会が解散、結集して大日本相撲協会が発足。年4回、11日間の本場所制がスタート。
 〇昭和3(1928)年。ラジオ中継がはじまる。これを機に<仕切り線>と<仕切り制限時間>が決められ、<不戦勝・不戦敗>、<取り直し・二番後取り直し>制の実施によって大相撲のスポーツ化がはかられた。 〇昭和12(1937)年。本場所13日制となる。これは双葉山(35代横綱)の69連勝人気によるものだった。
 〇昭和14(1939)年。現行の本場所15日制となる。
 〇戦中の昭和19(1944)年。両国国技館大日本帝国陸軍に接収され、兵役に就いた力士も多く、また東京大空襲両国国技館や相撲部屋が焼失。
 〇戦後の大相撲復興は、昭和20(1945)年9月場所から。
 〇昭和23(1948)年。<優勝決定戦>、<三賞(殊勲・敢闘・技能)>、基本<部屋別総当たり>制が導入される。
 〇昭和30(1950)年。相次ぐ横綱の不成績問題がきっかけで<横綱審議委員会>が発足。NHKのテレビ中継(〝テレビ桟敷〟と呼ばれた)が始まる(一時は民放の参入もあったが間もなく撤退)。
 〇「栃若(44代横綱栃錦と45代横綱初代若乃花)時代」の大相撲〝黄金期〟が到来。
 〇昭和33(1958)年には現行の本場所15日制に。
 〇昭和40(1965)年からは<完全部屋別総当たり>制となる。
 この間に<相撲茶屋>制度の改革、<月給(十両以上)><年寄りの停年>制の導入、<相撲教習所>の設置制などがあり。
 〇昭和43(1968)年。<役員選挙>制の導入(カタチばかりにしても、いかにもオソイ〝別世界〟感がある)。
 〇昭和44(1969)年。勝負にビデオ判定の導入。
 〇昭和46(1971)年。中学生の入門禁止。
 〇昭和47(1972)年。<公傷>制度(2013年まで)の導入。
 この間に、ソ連(1965)・中国(1973)・メキシコ(1981)で海外公演があり、国際的な認知が進み。
 〇昭和60(1985)年。現在の両国国技館が完成して、ふたたび大相撲が両国にもどっている。

 ……………

 さらに、平成。
 
 この時代、初期には58代千代の富士以下、横綱の引退が相次ぎ、横綱不在の一時期があった。
 また、古くはジェシー高見山にはじまるハワイ出身力士の活躍、この頃は一段と加速して、小錦横綱目前までいくと、つづく曙(64代)・武蔵丸(67代)の横綱昇進が相撲の国際化に拍車をかけた。

 一方、〝伝統〟的な面では、貴ノ花親方ひきいる二子山部屋の、親方の息子二人の人気横綱、65代貴乃花(弟)・66代若乃花(兄)の誕生、<若貴ブーム>の到来でおおいに盛り上がり、ハワイ勢の二横綱を加えたひさしぶりの4横綱時代を、ファンとともに謳歌したのだった…が。

 2000年代も半ばになると、その勢いも潮の引くようにして去り。
 替わって、朝青龍(68代横綱)以下モンゴル勢のスピード相撲が大相撲界を文字どおり席巻、ついには白鵬(69代横綱)が優勝回数の記録を更新するに至って…いまがある。

 その2000年代後半からは、ある意味では〝歴史の必然〟とも言えるカタチで不祥事が相次ぎ。
 〇平成20(2008)年、大麻問題。
 〇平成22(2010)年、野球賭博事件。
 〇平成23(2011)年、八百長問題。
 …と頻発。

 その反省と整理の必要から。
 〇平成26(2014)年には<公益財団法人(所管は文部科学省)>として新体制(1925年の財団法人化から89年ぶり)のスタートをきったはずだった…が。
 じつは、これによってなお引き継がれた<税制の優遇>が古い体質の温存と甘えにつながったことも否定できない、と思う。

 ……………

 そこで、さて。
 こうして振り返ってみて。
 日本国民の一人として、あなたは今後の大相撲界がどうあるべきと思われるのか?

 どんな大相撲を観たいのか?を。
 あえて、おおきく二つ分ければ。
「一般のほかのスポーツとおなじ競技」か。
「様式美をあわせもつカタチの武道競技」か。

 ぼくの考えを言わせてもらえば、だんぜん後者である。

 わかりやすくは、柔道(日本伝講道館柔道)の先例がある。
 この〝伝統〟武道を、<国際的>なものとするために、関係者が努力してついにオリンピック競技にまで発展させた、その労を多としながらも、ぼくは、うしなわれた<柔道本来の美>を惜しむ。
 はやい話が、金メダルとひきかえに「一本」勝ちの爽快感を手放したことが、惜しむにあまりあると思われるからだ。
 
 対して、おなじ〝伝統〟武道の「剣道」の方は、少なくともいま現在までは、そのおなじ轍を踏まないでいる。しかも、国際的な広がりを目指す努力はつづけながら、だ。

 ぼくは「相撲道」も、ぜひ、こうあってほしいものだと思う。

 おなじ外国出身力士でも、初期のハワイ出身ジェシー高見山(昭和39年から59年まで現役で最高位は関脇、日本国籍を取得して引退後は年寄・東関)、あの「ニッポン人よりも優れた日本人の精神をもつ」と言われたほどの存在とは、いまはまるで時代が違うし。
 あの頃でも、あの高見山ですら、その「相撲はやっぱり外人相撲」と評されたものだった。

 ましてや、いまのモンゴル勢の相撲は、その精神まで含めて「モンゴル相撲」であって、「日本の大相撲」とは異質だと思うし、また、それがアタリマエでもある。
 これは、日本の少年たちが入門を敬遠する世に、かわって大相撲人気を支えた彼らの功績はおおいに認めたうえでの話しで、けして<差別>や<排除>ではない。
 国民性が違えば、文化も違う、見方も違ってとうぜん。
 国際スポーツ化したいのであれば、<日本の伝統>を諸外国勢に押しつけてはなるまい。

 いっぽう〝神事〟的な所作や〝伝統〟的な表現にしても、なにも<古い>とか<正統な根拠がない>とか、非難される筋あいのことでもない。
 「無宗教的」とか「あいまいな性格」とか言われる日本人だ、けれども、別な見方をすれば、これほど信心深く森羅万象の許容力もある民族は先進国としては珍しい、とも言える。

 要は「初詣」や「神だのみ」とおなじこと、と思えばいい、のであって。
 そこまで徹底した様式美を追求、そのほかはすべて一般社会通念とマナー、そしてスポーツ精神に拠ればいい。
 (それだけのことだ)と思うのだが、いかがなものだろう。

 そうして、いま、ひたすら沈黙を通して「男の勝負」に挑む貴乃花親方の考え方が、このボクの思いに近いことを望みたい。

 それで、もし、いまの相撲協会には「絶望するしかない」というのなら、別の団体・組織をたちあげればいい。それくらいの潜在力は持っていると思うし、後援も支援もあるだろう。

 ……………

 「ゆるふん」という相撲からでた表現がある。
 「褌の締め方がゆるい」こと、転じて「気がゆるんでいる」ことを指す。

 現在の大相撲界、まさしくこの「ゆるふん」状態。
 締め直すなら〝いま〟でしょう!

 

…[隔日]連載記事は明日です…

-No.1571-
★2018年01月09日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 2497日
★ オリンピックTOKYOまで →  927日

年末年始お騒がせの〝大相撲騒動〟から/     ①あらためて〝暴力〟問題を考える

-No.1570-
★2018年01月08日(月曜日、成人の日
★11.3.11フクシマから → 2496日
★ オリンピックTOKYOまで →  928日

*新年が明けて早々の4日、プロ野球界の熱血漢、星野仙一さんが亡くなりました。70歳…。ぼくは、格別な野球少年だったわけではない、けれども、野球ファン、青春時代は長嶋と王、二枚看板の巨人ファンだったわけだけれど、そのボクがこの星野さん(中日ドラゴンズのエース・ピッチャー時代)には「適ながら天晴れ」ぞっこん惚れていました。星野さんの向こうっ気がなかったら、長嶋にも王にも、あれほどの生彩はなかったろう…そんな気さえするのです。祈る冥福、南無…*



◆新年らしくマジメにいきましょう

 昨年末は、大相撲の〝暴力〟問題で、実態がよくわからないままに世論も割れた。
 テレビをはじめとするマスメディアこぞって、ここぞとばかりの、いつものとおりの報道合戦だった。
 お歳を召した大相撲専門(どうしてこの世界には活きのイイ若い記者がイナイのかとつくづく思わされるほど)のベテラン記者ばかり、はっきりいって感覚もかなり古くお堅いオールドボーイズが、これも、ここぞとばかりに熱弁・怪弁をふるっていた。

 けど、ちょっと待った。
 大相撲は、たしかに特殊な世界ではある(正直そうは思いませんか?)けれども。
 〝暴力〟についても大相撲は〝特殊〟、つまりトクベツが許されるのか。

 なんで、世の皆さん、胸に手をあててジックリ、この〝暴力〟問題を、けっして「他人ごと」ではない、「自分のこと」として考えてみようとはしないのか、そこがフシギ
 これだけ繰り返し、世のあちこちでコトがおこっては、そのたびに大騒ぎしてきたのにもかかわらず。

 ……………

 あらためて、問う。
 〝暴力〟ってなんですか。
 どこまでなら〝暴力〟じゃなくて、どこからが〝暴力〟なんですか。
 また、特別に〝暴力〟な人がいて、そこだけが問題なのでしょうか。
 
 それぞれ個々の人が、それぞれ個々の至心で、ふりかえって考えて、個々ひとりひとりの〝指針〟を導きださなきゃいけないことなんじゃないの、だろうか。

 ……………

 そこで、おかげさまでこのたびはまた、かなりの長きにわたって考えるきっかけを与えられることになったのをシオに、ぼくが赤心になって考えたことを、お知らせしておきます。

 まず「暴力って、なに?」
 広辞苑を読むと「乱暴な力。無法な力。なぐる・けるなど、相手の身体に害をおよぼすような力や行為。」
 もうひとつ、明鏡国語辞典によると「相手の身体に危害や苦痛を与える乱暴な力。また、その力を使う無法な行為。」
 つまり「暴れる力」、「荒ぶる力」にも通じるもの、という。

 いずれにしても、辞書の説明でいまひとつシックリこないのは、語句解説の〝身体〟に〝こころ(気もち)〟が籠っていないように感じられるから、ですが。
 辞書はコトバを概説するもので哲学の書ではないから、これはまぁ、仕方がない。

 そこで。
 吾がことを省みる…と。
 ぼくもまた、ごくフツウか、たぶんそれ以上に、根源的な〝暴力〟体質をもちあわせている…にチガイない。
 ぼく自身も怖れるのは、そこに、ぎりぎり本能にちかいものを感じとるからだろう、つまりもっとも〝制御〟の利きにくい性質〔たち〕のものだからである。

 しかし……
 どう言い訳ても、これは、現在の人間社会に通じるものではない。
 いまはすでに〝狩猟〟と〝採取〟で喰いつなぐ世ではない、のだから。
 いつまでも〝本能〟の言い逃れは許されない、人類には〝自制〟こそがもとめられているのだから。 

 そうだ、ぼく自身のことだった。
 まだ若かった頃のぼくは、つい人(の頭や肩)に手をあげることが多くて…こちらはウッカリするとイッパシ親愛の情のつもりが、相手にはトンデモナイ。
「キミ、それって〝暴力〟だって、気がつかないの」
 言われて、はじめてギクッだった。
「〝暴力〟はやめてください」
 部下の女性スタッフから言われたこともある。

 そうした来し方を省みて、いまぼくが気づくのは、こういうこと。

 相手に「暴力」と感じさせたら、どんなに自分では「そこまでのつもりじゃなかった」と言ってもダメなんで、それは「暴力」なんです。

 つまり、トクベツな〝暴力〟があるわけじゃなくて、ごくふつうに、だれにも、どこにも、あるのが〝暴力〟なんです。だからコワイ。
 つまり、〝暴力〟はけっして男性にかぎった問題でもなくて、女性がいつも〝被害者〟ときまったものでもない、女性にもまた同じように〝暴力〟の芽はある、ということです。

 ……………

 突然ですが。
 〝発情期〟というものがあります。
 ご存知のとおり。

 ほかの多くの生物、とくに動物にとってそれは<繁殖に好都合な環境の時機>を選んでおこなわれる。
 ところが、ヒトにはとくに〝発情期〟というものがない、年中いつでも〝発情〟セックスしている。
 それが人類の、この地球上での生存と進化・発展、生物環の頂点に君臨する資格を獲得することになったのですが。
 いっぽう、この〝発情〟は、みなさんすでにお気づきのとおり、多分に〝暴力〟的なものです。
 その結果、ヒトは〝暴力〟にも<歯止めが効かなくなった>と指摘したら、言いすぎだろうか。

 ぼくがさっき、いまの人類には〝自制〟が必要だ、と述べた根底には、それがあります。

 ……………

 ところで、それでは。
 〝暴力〟の許される場面というのは、あるのだろうか。
 たとえば、スポーツの鍛錬が目的なら〝暴力〟的な行為も許されるのか。

 いうまでもなくダメ、はっきり、これはアウトです。
 いまさっきも言及したばかり。
 それは〝暴力〟には〝境界〟も〝限度〟もない、からです。

 ぼくも中学・高校時代にスポーツ部活の経験があり、さいわい〝暴力〟的な鍛錬・訓練とは無縁であったけれど…もし、そんなことがあったら即、その部活はヤメていたろうと思います。
 そうです、ぼく自身にも〝暴力〟体質を抱えながら、そのぼく自身が、他人から〝暴行〟されることには耐えられない気もちがありました。
 〝暴力・暴行〟には、そういう二面性もある。

 たとえば、このたび大相撲の〝暴力〟問題にしても。
 失礼ながら、たいがいの親方衆には、少なからず〝暴力〟是認の意識がのこっているのではないか。
 つまり、これはトクベツなんだ、という。
 
 ぼくには、東京相撲記者クラブ(大相撲記者クラブ日本相撲協会担当)〝会友〟ほどのことはないにしても、個人的な関心は深いものがあって、稽古場風景に立ち合った経験も少なくありません。
 その稽古土俵では、竹刀で弟子の身体を叩く〝指導〟が、つい最近まで(?)ごくあたりまえのことだった。

 じつは、ぼくも、少し前までは、これを〝特殊〟な大相撲の世界のことと思っていました。
 ふつうのスポーツとは別なんだ…と。
 大相撲という競技がずっと長いこと、ただの勝負ごととはチガウ色彩(神事に近いもの)をおびていたことは、他にも多くも方々の指摘があるとおり……

 それが、じつは〝特別〟でも〝特殊〟でもない、そうであってはイケナイことが、これまでにあったアレコレのことで、徐々に明らかにされてきた。
 その延長線上に、こんどの〝暴力〟問題もあって。

 「わが子」とも思う弟子の貴ノ岩関を、先輩モンゴル力士の〝暴力〟によって痛めつけられた貴乃花親方の被害感情はとうぜんすぎるほどトウゼンです。
 ……が、いっぽうで。

 その貴乃花親方の言にも、今回の日馬富士〝暴行〟事件「これは〝かわいがり〟とは違う」という表現がありました。
 〝かわいがり〟とうのは、大相撲界のそれこそ〝特殊〟な慣習で、「若手の成長のため」という名目のもと、兄弟子から弟弟子に対して行われる厳しいぶつかり稽古(荒稽古)、育てるための〝しつけ〟と言いますが、それこそ足腰がたたなくなるまで〝痛めつける〟性質のものです。
 慣習として長いこと黙認されてきた、それは、けれども、かぎりなく「いじめ」、さらに言うなら「リンチ」に近いものになりやすい性格も、ざんねんながら、あわせもっていました。
 「かわいがる」本来の「年少の者をいつくしむ」とは異質の、そのコトバにかこつけて行われる〝乱暴〟行為といっていいものです。

 そのことを、貴乃花親方にも、あらためてきちんと認識してもらって。

 そのうえで、次回は。
 こんどの大相撲〝暴力〟問題が起こってからこの方、ずっと沈黙して(おもてだった発言なしで)いる貴乃花親方の思惑とは、また別に。
 国技「大相撲のこれから」が、いったいどうあったらいいのかを、考えてみたいと思います。

 大相撲は、〝公益〟財団法人「日本相撲協会のもの」ではなく、「ひろく国民のもの」。
 「国民の支持あっての大相撲」であるわけですから。

年始のお休み…いただいてます⑦

-No.1569-
★2018年01月07日日曜日
★11.3.11フクシマから → 2495日
★ オリンピックTOKYOまで →  929日

*早や「七草」*
*明日から、おヤクソクの〝隔日〟連載はじめます、よろしく!*

年始のお休み…いただいてます⑥

-No.1568-
★2018年01月06日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 2494日
★ オリンピックTOKYOまで →  930日

年始のお休み…いただいてます⑤

-No.1567-
★2018年01月05日(金曜日)
★11.3.11フクシマから → 2493日
★ オリンピックTOKYOまで →  931日

年始のお休み…いただいてます④

-No.1566-
★2018年01月04日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 2492日
★ オリンピックTOKYOまで →  932日