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どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

快生やすみ…いただいてます

-No.1280-
★2017年03月24日(金曜日)
★《3.11》フクシマから → 2206日
★ オリンピック東京まで → 1218日

国立西洋美術館とル・コルビュジエ、そして世界文化遺産のこと

文化・社会・観賞・読書・思想

-No.1279-
★2017年03月23日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 2205日
★ オリンピック東京まで → 1219日





◆天を仰ぎ、足もとを見つめる

 『スケーエン デンマークの芸術村』展を観に、ひさしぶりに上野の国立西洋美術館へ行った。
 (昨日の記事)

 ご承知のとおり、『ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-』構成資産のひとつとして世界文化遺産に登録された建物。
 氏の設計で、この美術館が誕生したのは昭和34(1959)年のこと。当時14歳で中学生だったぼくも、胸をときめかせて上野の森へ、いわゆる”文化の匂い”を嗅ぎにいった日を想いだす。

 いたずらに来館者を威圧するようなこともない、すっきりと西洋的な外観の建物は、青春前期の若者に文化のなんたるか、その多様性の一翼を指し示すものとして、百科事典のごとき魅惑と威厳にみちており。
 まだ未熟な者たちには、てっとりばやく文化的背景やお膳立てを用意してくれる場、つまり背伸びしてみせるのにおあつらえ向きのデートスポットだった。

 19世紀から20世紀前半まで印象派の絵画や、ロダンの彫刻群で知られる松方コレクションのかずかずは、いまも常設展示に観ることができ、それら作品群を鑑賞しながら展示室から展示室へ、いざなわれる通路のゆるやかなスロープや階段など、あらためて見ても、なるほどよくできている、さすがである。

 しかし……
 それでもなお、ぼくは”自然”にせよ”文化”にせよ、”世界遺産”という評価法には疑念を抱かずにはいられない。
 はっきりいって違和感がいっぱい。

 こしらえたものには、かならずこわれるときがくる。
 その本質のところを、どうとらえているのかが、わからない。

 そもそも”遺産(レガシー)”という考え方そのものが、”保存”しようという態度が、矛盾に充ちている。
 人とその文化がつづくかぎり…のことにすぎない。

 人が消えた世界には、人がつくった遺産も意味がない。
 人のいなくなった世界にまで、人の遺産をのこそうという魂胆そのものが、あつかましくもえげつない。
 人は自然〔じねん〕の生きものらしく、みずからが消えたあとは、この地球世界をきれいにさっぱりと返却すべきと思う。

 やるなら、人類が滅びないための方策しかない、のではないか……
  
 そう想ってみる前庭のロダンの彫刻、いずれも、おおきく天を仰ぐか、じっと足もとを凝視していた。

『スケーエン デンマークの芸術家村』展覧会のこと/感動や眼福は大作・大展覧会にかぎらない

文化・社会・観賞・読書・思想

-No.1278-
★2017年03月22日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 2204日
★ オリンピック東京まで → 1220日




◆「写実」と「写真」

 新聞の文化欄に一枚の写真版を見たとき、ぼくは(写真か…)と思った。
 それは、たしかに「撮像」にはちがいなかったが、絵画の紹介写真であった。
 それが絵画であることに、雪の原に吹きわたる春風のような新鮮なよろこびを、ぼくは感じた。

 『スケーエン デンマークの芸術家村』(国立西洋美術館、5月28日まで)
 展覧会のお知らせ。
 これは観のがせない。

 いうまでもなく、絵画と写真はちがう。
 絵画が目に見た印象の頭脳をとおした置き換えなら、写真は目に見た現実とはまた別の視覚への憧憬、といっていいだろう。
 「写実」ということがあるが、それは”見果てぬ夢”のようなもので、「写真」の態度ともことなる。

 そうすると、あらためて「フォトグラフ」を「写真」とおきかえた先人の智慧の深さにおどろかされることになる。

 絵画的な写真があり、写真的な絵画がある。
 そうして、ぼくは(記事に添えるものとしての)写真を撮ってきた者であり、絵画の世界の者ではない。
 そのぼくが、写真かと思われる絵画に魅かれるわけ、好きな理由は、おわかりいただけるだろう。

 展覧会では、まずミカエル・アンカーという画家のカンバスに惹きつけられた。
 代表作とされる『ボートを漕ぎ出す漁師たち』(1881年)、『海辺の散歩』(1896年)ほか。
 北の漁師たちの風貌をとおして、厳しいことの多いにちがいない彼らの魂の叫びが伝わってくる。それでいてふしぎな明るさがある。
 その明るさは、ほんらいその土地の風光がもつものであり、またそれを描く画家のヒューマンンな視点でもあった。

 スケ-エンというデンマークの地は、ユトランド半島の最北端。バルト海と北海とにはさまれて潮風が舞う、荒れた海と空。デンマークの人々にとっても19世紀までは”異郷”の地であったという。
 この最北・最果ての地が、首都コペンハーゲンで活動する若手画家たちをつよく魅きつけたのが1870年代のこと。それから詩人や作曲家など他の分野の関心も集めて国際的な芸術村として知られるようになったのは、19世紀末から20世紀初めのことだ、と。
 管見のぼくは、きょうまで知らなかった。

 もう一枚のすてきなカンバスは、ペーダー・セヴェリン・クロヤーという人の『ばら』(1893年)。
 構図のとり方が、みごとに写真的。それでいて厚みがあってあたたかい。そうして採光がこれまた、ふしぎに明るい。  

 スケーエン派と呼ぶ瑞々しい感性の画家たちの、じつに気もちのいい自然主義の作品たちと出逢って、ぼくの胸のうちはぬくぬくと充実した。
 (こんな展覧会が、もっとあるといい)と思ったことを添えておきたい。

 なお、「日本・デンマーク外交関係樹立150周年記念」のこの展覧会は、展覧作品全59点という、規模としてはささやかなもの。
 それでもこれだけのインパクトがあり、しかも観おえたあとに気分のたかまりがあるのは、もういちど言おう、とても気もちがよかった。

タイヤ〝パンク〟の後先/            高齢ドライバーのこれからを考える

のりもの・運ぶ・交通・通信 生きる・医療・健康

-No.1277-
★2017年03月21日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 2203日
★ オリンピック東京まで → 1221日

◆心臓リハビリの日

 (それは、ようやく春めく3月7日、火曜日のことだった)

 2週間に1度、この日は早くに家を出て、車中でコーヒーと軽食をすませ、朝一番のリハビリにのぞむ。
 いつものように屋外のパーキングに車を停め、キー・ロック、歩み出そうとしてなにげなく車体に目をやると…ハテ。
 左の後輪がひしゃげて見え、気のせいか…イヤちがう…まちがいなく、たしかにやや傾いている。

 疑う余地ないパンクであった。
 ガックリする自分に自分でおどろく。
 帰りにはタイヤを交換しなければならない、(カンベンしてくれ)。
 風の冷たい日であり、ぼくは腰痛気味でもあった。

 小1時間ほどのリハビリに気が入らず、脈ばかりがはやくなった。
 そういえば来る道々、ハンドルがやや左にとられる感じだった、が、まさかパンクなんて思いもよらない。
 どこでクギでもヒロったか、毛ほども気づかず、露アヤしみもしなかった。

 想いは(鈍ったか…)、そのことであった。
 前にもお話したように車転がして40年、少なくとも地球を3周はしてきたドライバーが、情けなかった。

 タイヤのパンクも、もちろん何度か経験しており、高速道路の路側帯でヒヤヒヤ作業の覚えもあるが。
 道路インフラの進捗とともに、いつのまにかパンクなんぞは昔のはなし、いまやヒロいたくても古クギひとつ道にない。
 (もうパンクもない…だろな)

 ことパンクにかぎらず、夏タイヤから冬タイヤに、あるいは前・後輪のローテーションに、タイヤの交換はずいぶんやってきた、けれど。
 気がつけば、ここしばらくジャッキアップも牽引も忘れかけていた。
 そろそろ人任せでも(よかろう)、正直(めんどう)になっていた……

 リハビリすんで。
 かみさんからの心配メールに、いまごろ気づく。
 曰く「出て行くときカラカラって妙な音がしてたけど、なんでもない? だいじょうぶ?」
 (気がつかなかった…不覚であった)ぼくの情けなさ、ここにきわまる。

 ラゲッジルームの荷物を下ろし、スペアタイヤとジャッキアップ用具一式を下ろし、腰に負担をかけないように気をつけながらタイヤを交換しおえるまでに小一時間、ホイールナットの締め付けに息が上がる。
 パンクしたタイヤには、たまたまの弾みでもあったろう、太い、長めの、建築用ネジがブスリと突き通っており、これではひとたまりもない。

 馴染みのタイヤショップに持ち込むと。
「パンクしてから、しばらく走ってしまわれたようですね」
 ひしゃげたタイヤ側面の損傷がはげしいために修理はきかない、といわれる。
「前輪のパンクなら気づくでしょうが、後輪だとまず、どなたも気づかないと思いますよ」
 とりなし顔に慰められたが、結局タイヤ1本を新品に交換。
 1日がほぼ、この件でつぶれた。

 それは、まぁ、やむをえないことだったけれど。
 高齢ドライバーのひきおこす事故がやかましく喧伝されるいまのご時勢、ぼくもまた諸々の想い抑えて憮然とせざるをえない一人であった。

 それでも、ボクなど都会に暮らす者は、まだいい。車がなくてもなんとかはなる、が。
 地方の限界集落などになれば、車がつかえなくなることは、ほとんど飯の食い上げと同義である。
 商店まではとても歩けないほど遠い、ガソリンスタンドはもっと遥かに遠いが、まだあるだけマシ。
 孤独死といつも隣りあわせ。

 それでいて……
 自己責任、追及の声のみ、きびしい。
 黙って手を挙げろ、ならず者めが、と。
 ことは深刻。

 ぼくは、みずから運転をやめる潮どきをアタマにおいて、いまはある、けれど。
 そうはいかない高齢者たちのために、ブレーキとアクセル踏み間違えても、重大事故にならない装置の導入をメーカーにはつよく要請しておきたい。
 これはボクにも覚えがあること、シマッタと思う途端に人はナゼか確認の追加行為にはしることがあるものダ。

 もうひとつ。
 ついでに国家レベルでの思慮分別について言わせてもらえば。
 いまどきはもう、高度成長期のごとき国土膨張策など時代錯誤いうまでもなく。
 ましてや女性に子を産めと囃して人口維持など、木を見て森を見ない譬えにひとしく。
 にもかかわらず。

 そも、むかし。
 人里離れたところに住みたいと望んだのは民でも、それを唯々諾々と許し追従してきたのは、いうまでもなく国家・地方ひっくるめての行政であった。
 しからば。
 いま、その方針撤回にあたっては、立場上も公が民に詫びて、いくばくかの責任分担を願うのがスジというものではないのか……

 そうして”厳界”(限界)集落を減らし、それらの土地の転用をはかっていく。
 
 ぼくは、自車タイヤのパンクから、それだけのことを考えた。
 それだけのこと、ではあるが。



  

つくり休みいただいています

-No.1276-
★2017年03月20日月曜日、春分の日
★《3.11》フクシマから → 2202日
★ オリンピック東京まで → 1222日

*春彼岸の中日、きょうは菩提寺へ墓参り…がてら、桜の蕾のごきげんをうかがってこようと思っている*

スプラウト(もやし)の群生に胸躍らせながら想ったこと

気象・環境・自然・動植物

-No.1275-
★2017年03月19日日曜日
★《3.11》フクシマから → 2201日
★ オリンピック東京まで → 1223日



スプラウト

 言葉は語感ぬきに語れない。
 いますぐには「たとえば…」ともちだせる好例が見つからない、けれど。
 語感によって言葉は、好まれもすれば、敬遠もされる。すんなり頭に入るコトバもあれば、あらぬ誤解をまねくコトバも、モヤモヤの五里霧中をさまようことになるコトバもある。
 語感には個人的なものもあるが、かなりたかい確率で一般的なものもある。

 「スプラウト」という言葉を聞いたとき、初耳に意味をはかりかねたけれど、どことなく「芽生え」の感じは伝わった。
 この言葉がいま、生活見なおし、再発見思考の人々のあいだに浸透してきているようだ。

 「Sprout」
 「植物の新芽」だが、それを野菜として食す。
 つまり、はやい話しが「もやし」で、「発芽野菜」とか「新芽野菜」とも呼ばれたりする。
 (いまハッと想い出したのは、醗酵の世界では酵母を「もやし」と呼び、しんじつ麹を「萌やす」のであった)

 そういうことなのだ…けれども、「スプラウト」というときには「育てる」ところに意義をもたせる。
 萌えいずる生命感をいただくわけで、しかし成長初期の幼さは、たっぷり群生させることで所期の目的を達成する。

 植物園の売店に見かけ、(育ててみようか)気がうごいたのは、家に栽培容器になりそうなガラス器がいくつかあることを想いだしたからでもあった。
あとは用土さえあればいい、育てる系はもともと好きな分野だからハードルは低かったし、ふだんは木工にいそしむボクだがガラスというのもまた愛好する素材だった。

 そのスプラウトはガーデンクレス(コショウソウ)という、代表的な「もやし」の一種らしかった。
 ぼくにそのへんの詳しい知識はないけれども、種子ならなんでもいいというものでもないのだろう。少なくとも、密植・密生しても他の仲間たちに負けず、めげずに育つ楽天調和型の性質がもとめられるのではないかと思う。

 なんでも「スプラウト」には、おおまかに4つの種類がある、という。
  〇もやし型……豆型ともいって、緑化させない暗室育ちのもの。大豆もやし、黒豆もやし、など。
  〇かいわれ型……アブラナ科型ともいって、暗室で茎を育てた後たっぷり光をあて緑化させたもの。マスタード、クレス(芥子菜)、など。
  〇中間型……暗室で発芽後すぐに緑化させたもの。
  〇発芽豆ごと型……緑豆、発芽玄米、など。

 概観をながめると、いずれも「暗室育ち」が基本になっており、そうすべき(或いはしたほうがよい)理由があろのだろう。
 それはきっと発芽のはたらきによる合成と栄養の芽生えかと思えるが。
 〈もっとお陽さまを!〉タイプのぼくは、緑の萌芽の愉しみも大きいので、陽のさす室内で育てた。種子の袋にも「暗室で育てるように」との指示はなかった。
 ガーデンクレスのスプラウトは、播種のあと翌日くらいから土をもちあげる勢いで芽を出しはじめ、1週間くらいその若緑で目を愉しませてのち、サラダやほかの料理のトッピングとして食卓を愉しませ、収穫をおえた。
 1袋の細かい種子たちは、卓上のガラス鉢で3~4回分、微笑みの芽生えを見せてくれた。

 それから、またすぐに、こんどは有機エコ食品のカタログに「ラディッシュ」のスプラウトを見つけて注文、届いた種子袋を見ると前のとおなじデザインのものだった。
 熊本県天草市の「グリーンフィールドプロジェクト」という、ベンチャー系の会社らしい。
 次からはオンラインショップで注文できることも知れた。

 「もやし」というかたちの野菜利用は、新しいものかと思ったら、これがなかなかそうでない。
 5000年も前の古代中国ですでにモヤシが栽培されていたというし、日本でも平安時代書物にカイワレダイコンの記事が見えるそうな。
 18世紀、大航海時代キャプテン・クックは長い航海の船上で大麦のスプラウトをつくり、船乗りたちの栄養補助に役立てた、ともいわれる。

 以上のとおり、見た目にも滋養の観点からも愉しみな「スプラウト」。
 このまま趣味として定着しそうな気もするけれど、いっぽう、やがては飽きがきそうな感なくもなし、また、冬枯れ室内の潤いに季節限定のことになりそうな気配もあって……

 もうひとつは、ぼくなりの生命観が素朴な疑問をなげかける。
 (はたして、それを食べてしまっていいものだろうか)と。

 魚の世界でいえば、チリメンジャコ(縮緬雑魚)。生でシラス、干してゴマメ。
 ウルメやカタクチなどイワシ類をはじめ、イカナゴほか小魚たちの幼生である。ウナギのシラスもあれば、アユのシラスもあるが。
 これが群れているところを、人が、蚊帳〔かや〕のように目の細かい網でもじどおり一網打尽にして、生であれ、茹でにしろ、干そうが、煮ようと、なにしろ大量に獲っつかまえて喰っちまう。

 しかし、別の生きものではない、育てばそれなりにいっぱしの魚になるやつ、資源の青田刈りもいいとこ、いってみれば乱獲ではないのか。
 反論があるのはワカッテいる。
 「多いものは数千・数万と産む卵の、ほとんどは他の生きものの餌となって喰われ、成魚にまで育つ割合はわずか1%から数%の範囲にすぎない、多産はそのリスクをのりこえる手段でもある、それも生態系のうちだ」と。

 なれど、しかし。
 人間は生態系の頂点にある者で、食物連鎖の低位にあって命の餌を漁るものたちと同列には論じられまい。逆にいえば、そのものたちのウワマエを撥ねているようなものではないのか。
 ヒゲクジラ類やジンベエザメが大きな口でひと呑みにするといっても、船と網とで根こそぎにしてしまう人の業〔わざ〕とは、段が違いすぎないか。しかも人の場合には、喰うものがこれしかないのではない、ほかにいくらでもあるのに「それも欲しいよこせ」といってるようなものではないのか。

 乱獲というより、乱暴狼藉にひとしい行いの果てにいま、人は深刻な資源の減少に直面して養殖に活路を見いだそうとしている、なんて。
 どっかオカシくないか。

 それと同じことが、「スプライト(もやし)」にも言えると、ぼくには思われる。
 種子の粒は、シラスである。
 命の萌芽のもとは、どう使おうと勝手、でいいのだろうか。
 倫理なんて陳腐な考えではなしに、生態系の一族一員として想うのダ。

 悩んでマス。
 ぼくがスプライト栽培をやめるとしたら、あるいはソレが原因、かも。
 
 ……………

(追記)  
 いまある「日本スプライト協会」というのは、もとは「日本カイワレ協会」2005年の改名という。
 そういえば、O-157食中毒事件の感染源がカイワレではないかと疑われたのは1996年のことだった。
 

「大手町の森」に見る〝江戸前の海辺〟の原風景/『人類が消えた世界』の植物相を想ったこと…

気象・環境・自然・動植物

-No.1274-
★2017年03月18日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 2200日
★ オリンピック東京まで → 1224日







◆2月26日(日)、東京マラソンの日

 東京駅前のゴールを見とどけてから「大手町の森」に寄ってみた。
 大規模な再開発が進む大手町に自然〔じねん〕の緑を…といっても、そのコンセプトが半端じゃないようなので、気になっていたのだった。

 「この国際都市、東京の中心から人が一人もいなくなったら、そこにはどんな植物が育ち、どんな生きものたちを育んでいくことになるのだろうか」というのである。

 地上38階建てのビルの脇。3600㎡の人口地盤上に90cmから1.6mの斜面に土を盛り、そこにコナラやケヤキなどの広葉樹を含む100種類を超える高木や低木、草花が植えられたわけだが、それらはすべて、もともとの大手町が位置した海浜と沖積低地の境界あたりに生育するであろう植物が選ばれている。
 しかもこの地面にとり入れられた起伏が、日照・湿度・風あたりなど場所によってさまざまな変化をもたらし、それによって、より多様な植生になっていく。
 たとえば地被植物の場合、2013年オープン当初は81種類だったのが、その後あちこちから飛んできた種子によって3倍くらいにはなっているのではないか、といわれ。
 そうして、この大手町の森にはいま、皇居の森をねぐらにするヒヨドリメジロなどが遊びにきている、ともいう。

 地下鉄の駅から上がってきた目に、ビルの谷間の空間は、さほどの大きさには感じられなかったけれど、それでも高い空を見上げる気もちの佳さは充分にあじわえる。
 斜面のなりたちはエスカレーターでワンフロアぶん上がる間に感得でき、このさき将来の林相にまで想いは遥かにおよぶ。

 大手町の森には小川の流れもあるようだが、自然の営みをそのままにたもつため、あえて遊歩道は設けられておらず、したがって下枝も落とさず、落ち葉はもちろん土に返される。
 冬枯れのいまは森も休眠中かと思われるが、もうじき春の訪れとともに草木は緑の成長サイクルを謳歌する。
 
 ぼくは、この大手町の森の、これからの50年後、100年後を想うと…ばかにハシャいだ気分と、人気〔じんき〕の途絶えた深い寂寥感との板挟み。

 ……というのは、このとき、あのアメリカのジャーナリスト、アラン・ワイズマンが描いて見せた『人類が消えた世界』(2007年タイム誌のベストノンフィクション、08年早川書房刊)を、ぼくは脳裏の360度プロジェクション・マッピング画面に観てしまったからだった……


 

 

快生やすみ…いただいてます

-No.1273-
★2017年03月17日(金曜日)
★《3.11》フクシマから → 2199日
★ オリンピック東京まで → 1225日

三浦半島、お買い物ツアー

旅・散歩・遊ぶ 生活・食べる・飲む周辺

-No.1272-
★2017年03月16日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 2198日
★ オリンピック東京まで → 1226日




 きょう家に帰ります。

 毎度、近場行きつけの三浦半島へ出向くのは。
 心身の癒しもあるけれど、やっぱり、食い気もぬきには語れませんで……
 1泊でも2泊でも、いつも、帰宅の日には買い物をして帰ります。

 いくつかの寄り処がありまして。
 なかでも、野菜関係の「すかなごっそ」(横須賀市)と、海産関係の「鈴木水産 三崎ジャンボ市場」(三浦市)は、毎度、素通りできないことになってます。

 こんどの場合は、土曜日に、かみさんのお友だちが訪れて来ますから。
 その日、どんなおもてなしができるか、この買い物ツアーにかかっているのです……

 

三浦半島「小網代の森」へ

旅・散歩・遊ぶ

-No.1271-
★2017年03月15日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 2197日
★ オリンピック東京まで → 1227日








 また、ぼくらにとっての「ヘルス・リゾート」三浦半島へ。
 寄り道ひとつ、心がけて、きょうから1泊2日の小さな旅に行ってきます。
 観音崎京急ホテルのスパに心身を癒して、こんどの場合は、かたがた春を迎える気がまえ、身体の準備をうながすために。

 このところ、小さな半島の自然〔じねん〕の生態系をのこす、油壷に近い「小網代の森」に心を寄せておりまして。
 わずか2キロたらずの歩きなのですが……
 昨年の12月にも、ちょと立ち寄ったのですけれども……
 冬枯れの、とば口をうろついただけで、帰ってきてしまいました。

 詩人だと、こういうときにこそ胸襟をひらけるのでしょうが、どうもボクというやつは詩的な気分が薄いらしい。
 生きものの息吹が、目に見えるカタチでないと、胸がおどらないようにできてるみたいです。

 こんどは春の気配、いいあんばいに近づいて。
  〽あるきはじめた みいちゃんが
   あかいはなおの じょじょはいて
   おんもにでたいと まっている
 ……ような状況だし、天気予報もよさそうだし……

 なんて昨日まで思ってましたっけが、天気予報は日に日にずれて雲ゆきあやしく、いま前日の時点で、都心でも雪の散らつきそうなあんばいです。
 まぁ、そんときゃそんときなんですが。
 行ってきます。



 

「東京マラソン2017」は高速レースの予想どおり/しかし…日本マラソン界の現状は厳しい冬のさなか

オリンピック・スポーツ

-No.1270-
★2017年03月14日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 2196日
★ オリンピック東京まで → 1228日

*先週の土曜日あたりから、また新聞・テレビで《11.3.11》話が多くなってきて…あれから6年の日が近づいた*











◆春が向こうから駆けてきそうな…

 2月26日、日曜日。
 「TOKYOマラソン2017」は、力づよい萌芽の予感に充ちていた。

 ことしから、ゴール地点が東京駅前から伸びる行幸通り、皇居・和田倉門交差点に変更されて。
 ほぼフラットなコースどり、風の影響も少ないとされることから、はやくから”記録を狙える大会”の評判が高かった。
 まさにそれを目指す顔ぶれ、世界トップクラスのアフリカ勢が集結。日本マラソン界にも、設楽悠太(東洋大、ホンダ)、服部勇馬(東洋大トヨタ自動車)、中村佑紀(青学大)と箱根駅伝組みのイキのいいのが揃って、先輩の元祖”山の神”今井正人(順大、トヨタ自動車)も復活を期す。

 というわけで、ボクは、ことしも街にでる。
 なぜ……
 そこに道があり、道に人がいる、つまり生きているからデ!

 去年は、品川駅の折り返し点前から浅草雷門前、さらには東銀座からゴールのビッグサイトへと、吾ながらこまめに動いて忙しすぎたから。
 ことしは、20km地点の門前仲町とゴール手前の丸の内仲通りにしぼる。
 まちがいなく、これまでよりとびぬけてたいへんな人出が予想され、観戦エリアに陣取り確保をしなければならない、と思いきわめた。

 門前仲町に着いたのが朝9時半。
 新宿都庁前のスタートが9時だから、いくら高速レースといっても、まだちと早い…といってもすでに、コース沿道にははやばやと席どりをすませた観衆の姿があちこちに見えていた。

 「門仲」に来たらいつものきまりで、深川不動、富岡八幡の順に詣でる。
 参道を行く人の足どりもいつになく浮いている。
 八幡様の境内には、日本一の大神輿の露払い格とでもいうか、手ごろ担ぎごろの神輿2台が用意されており、祭り半纏の世話役さんに声をかけると、「オー出るとも」と景気がよかった。

 コースに戻ると、しまった、もう最前列が埋まりかけており、やっとのことで給水ポイント近くになんとか陣どる。
 スマホ片手の事情通らしきファンが、「すごい世界記録なみの速さでつっこんで来てますよ」と仲間に告げている。

 先行の車椅子マラソンの選手たちが過ぎ、先導のパトカーが過ぎ…。
 まもなくトップ集団の姿が見えてくる、ペースメーカーも含めた8人ばかり、すべてアフリカ勢。
「ヤバいんじゃないの、日本がいないよ、まだハーフだろっ」
 だれかが叫ぶ。
 第二集団も黒人選手でしめられ、しばらくしてやっと設楽悠太くんが日本選手の先頭で来る。

 若い設楽くんの走りも、この時点では日本記録を破る勢いだったが、あのアフリカ勢のずば抜けた実力を見せつけられたあとでは、あまりにも見劣りがする。
 このレースには世界新ペース・国内最高ペース・日本新ペース、3つのパターンのペースメーカーが付けられた。
 だから、まぁ、順当といえば順当ながら、それにしても世界との差がズド~ンとでかすぎる。

 ……………

 ぼくはゴールの東京駅方面へ。
 丸の内へ、行幸通りへ……
 (20km地点で見せつけられた世界との差に)はんぶん帰りたくなる気もちをおさえて。

 世界新がでるかも知れない、うまくすれば、つられて日本新のメもあるかも知れない。

 東京駅丸の内口は、ふだんとはチガウ人並でごったがえしていた。
 およそマラソン観戦になんか縁のなさそな人たちの姿も目立った。
 そう〈おまつり〉であった。
 市民マラソンでもあるこの大会には、今回64人のランニングポリスが動員されたそうだが、丸の内口の交通整理にはDJポリスらしき姿も見られた。

 ふだんはどこか、とりすましたふんいきの丸ビル、大型スクリーンの設置された特設会場には、内外の関係者・無関係者とりどりに集って。
 高級ブティックのショーウィンドウが並ぶなど、どこかエキゾチックな香りもする丸の内仲通り。
 移動柵で厳重に警護された舗道のコース沿いは、すでに2重3重の人垣で溢れんばかり。なんとか3列目に入れてもらえたボクの後ろにもすぐに立つ人がいた。
 「立ちどまらないでください」
 整理員がムリを承知で懸命に訴えている。

 観衆の頭ばかりが右往左往するなか、トップで目の前を通過したのはケニアのキプサンゲ。
 優勝タイムは世界記録にはおよばないながら、日本国内最高の2時間3分58秒。〈門仲〉でぼくが見送った状況とかわりはなく、以下6位までがすべてケニア勢で8分台。
 その後にやっと、後半の追い上げなった井上大仁山梨学大、MHPS)くんが8位に入って8分台。彼も箱根駅伝組のひとりで、マラソンは2回目。
 その井上を36kmすぎまでリードしながら、敗れた設楽悠太くんが11位で9分台。

 以下は、服部勇馬くんが自己記録を2分更新しながらも9分台で13位。復活か注目された今井正人くんは11分台の14位に敗れ去った。
 記録の詳細は帰宅後に知ったのだけれど、しかし、衝撃的な現場を目撃した〈後のまつり〉には、ため息ばかり。

 活きのいい若手が発奮した、といっても正直「まだまだ」だし、かといって「やっぱりベテラン」といっても頼りにはならない。

 1週間後にあった世界選手権(ロンドン)代表選考レース最後の琵琶湖毎日マラソンでも、思うような結果はのこせなかった。というより、TOKYOに比べるとはっきり見劣りがして、選手諸君にはわるいけれども凡レース。
 代表は、順当なら福岡国際で日本勢トップ9分台の川内優輝(埼玉県庁)、別府大分毎日で優勝の中本健太郎安川電機)、東京マラソンで日本勢トップ8分台の井上大仁(MHPS)の3人だろう。
 けれど、ゴメンなさい、先行きは険しい。
 
 若手の台頭といってもブレークしたほどの者はないし、ベテランの存在感もひとすじの光明らしきものなく、ようするに「あいつがいれば」と期待を抱かせる”芯”がない、のがくやしいけれど現状。
 日本陸連マラソン強化戦略プロジェクトリーダーの瀬古利彦さんもいうとおり、「2020東京(でのメダル)は難しいだろう。
 けれど、ケッパレ、ガマンのときがダイジなときだ。

 せめて。
 1964年の東京オリンピック、マラソンで銅メダルの円谷幸吉さんの話でもちきりになるのだけは、なんとか阻止してほしいものだと思う。 









つくり休みいただいています

-No.1269-
★2017年03月13日(月曜日)
★《3.11》フクシマから → 2195日
★ オリンピック東京まで → 1229日

「識字率」より「識見率」をたいせつにしたい…/ じつはごきげんうかがいみたいなお咄②

文化・社会・観賞・読書・思想 思うこと・考えること

-No.1268-
★2017年03月12日日曜日
★《3.11》フクシマから → 2194日
★ オリンピック東京まで → 1230日



◆「ちょこざい」な「わからんちん」めが…「なにぉ、わかってらぃ」

 きのうは、ふとした会話をきっかけに、「識字率」と「識見率」とにまつわる裾野の端っこ、ちょと撫でてみたわけだが。
 言葉のもつ意味・意図に気をくばるキッカケは、たとえば夢にも、もとめることができる。
 
 ボクには夢見が多い。それは「こんな夢…」と語るほどもない、つまり(ろくな夢を見ない)ほどのものだが。
 だからやむなく、夢の見かたについては、それなりのくふうもしてみたわけで……

 もちろん諸事おなじことで、即効性はない、けれども。
 (いい夢をみたい)と想いながら眠ることをつづけていると、見られるようになったからオカシイ。

 いい夢をみたい…といっても、雲をつかむようなことだから、やはりべつに手がかりがいる。
 そのひとつが、コトバを思い泛べてみること、そう、思いつくままに。
 夢見のこまかい内容は、朝起きてみると忘れてしまったいることが多い、けれど。
 このコトバの場合はそれが少ない。

 あらためて気になり、辞書をひくことも多い。
 思えば、親や先生たちから「人に尋ねる前に、まず自分で辞書をひきなさい」とよくいわれた子どものころ。じつは、幼い立場から言わせてもらえば、興味をひかれることが多すぎてそれどころじゃないんダ、重い辞書と悪戦苦闘してるうちにどっかへいっちゃう…という事情もあって、つい「ねぇ、どうして…」身近なところに尋ねてしまうことになるのだった、わけだが。

 いまになってみれば、「辞書で確かめる」ことがあきれるほどすんなり、腑に落ちている。
 その辞書も、じつは一冊ではない。
 頭に予備の、というか別にメモか付箋のようなものが付属していて、これを活用すると辞書がひきやすい、親しみやすいものになることもワカッテいるから、オドロキだ。

 先夜もそれをして寝たら……
 「ちょこざいな」という言葉が、風呂のなかでの屁ひりみたいにポコッと、いきなり浮いてきた。
 時代がかっている、ボクには、そいうことがよくある。

 つづけて「しゃらくせぇ奴めが」とくる、まるで江戸っ子ワールド。
 「ちょこざい」は「さしでがましい、くそなまいきな、りこうぶった」ことだし、「しゃらくさい」もやっぱり「ぶん不相応になまいきな」である。
 「猪口才」も「洒落臭い」もあて字にすぎないが、イエテル。

 つまり、小利口で小賢しい余計者を非難しているのだけれど、それがどうもおかしな塩梅に、ボクが他人に言っているのではなく、逆に他人さまの不興を買っている様子。その証拠に、
「なにぉ、わかってらい」
 なんてバカな見栄をきっている、「小癪な奴」が己だからイヤになる。

 ついでに「癪に障る」の「癪」というのが気にかかる。
 「癪」というのは、古典落語の世界によくでてくるから、言葉にはなじみがあるだが。
 「(特定の病いを指すのではなく)さまざまな病気によって胸部・腹部におこる激痛」の通俗的呼称といっても、どうにもいまひとつピンとこない。
 「腹だち、いかり、あるいはそのような状態になること」なんて解説になると、もうお手上げ。
  これを、また「さしこみ」とも言うらしい、ますます混乱するばかり。

 じつは〈辞書にも限界がある〉というより、〈説明の限界に迫る〉のが辞書の役どころ、といってともいいくらい。
 
 そこへ、邪魔だ、どきな、と「癇癪」玉が炸裂。
 こうなると「ちょっと癇に障る、いささか腹が立つ」どころではおさまらない、なにしろ「癪」のあたまに「癇」がくる。

 いつもは万事におうような横町のご隠居の、なぜかしらん虫のいどころがわるくなったかして、感情の波だち激しく腹に据えかねる風情だ。神経過敏で怒りやすい性質〔たち〕の大家さんなんぞは「癇癖」と嫌われることになる。
 けれども、これでもタチの部類でヤマイとまではいかないらしい。

 年寄りが「癇」なら、子どもは「疳」、「ひきつけ」をおこす。
 この言葉にはナットクの親御さんが多いのではないか。

 そうこうするうちに、日が暮れかけて夕焼けの空に、なぜかカラスが「カー」と鳴くと。
 真打登場は「置いてけ堀」。
 なぜか魚がよく釣れた帰りになると、どこからともなく「置いてけぇ、置いてけぇ」と声がする…という、いわずと知れた本所七不思議のひとつで。
 怪談みたいにドロドロしないところがイイのだが。

 これが転じて「他者を見捨て去ること、置き去りにすること」をさす、となると、はて如何なものか。
 「置いてけ」っていうから置いてったものを、あとから「置いてきやがった」と逆さに恨むのは筋ちがいというものだろう。
 いくら語呂がいいとはいえ、「おいてけぼり」を「置いてけ堀」にされちゃ、そりゃあんた、ちょいと間がわるいってもんじゃないんですかい……
 (おあとがよろしいようで)

「識字率」より「識見率」をたいせつにしたい…/ じつはごきげんうかがいみたいなお咄①

文化・社会・観賞・読書・思想 思うこと・考えること

-No.1267-
★2017年03月11日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 2193日
★ オリンピック東京まで → 1231日

*《11.3.11》あの東日本大震災から6年がたち、亡くなられた方々の7回忌を迎える…黙々合掌*
*この日だけは、あれから毎年、マスコミこぞっての特集さわぎ…ぼくは、黙して掌をあわせ祈りのときをすごす人々に心をよせている*



◆「識字率」というのがある

 「文字の読み書きができる人の割合」というやつで、かつてはこれが、国や地域の文化文明のほどを示す尺度とされた。
 知識の深化は文字によるところが大きいと、そういうふうに受けとめられたからである。
 識字率が低いようでは文明国といえない、というわけで、しかしこれも多分に、いわゆる現代先進国の驕りであるわけだけれど……

 なにしろ、そこへいくと日本(人)は、むかしから教育熱心な民族そして国柄であったから、おかげさまで識字率は高い。おそらくは、かぎりなく100%に近い(統計的には99%以上ということになるらしいが)はずだ。

 しからば、しっかりと、どこに対しても恥ずかしくない文明国か…ということになると、ちょと首を傾げたくなることが多い。
 はたして、アイヌアボリジニなど文字をもたなかった民族の智慧に敵うほどのものがあるのだろうか、と。

 個々の考えにいろいろ、さまざまあるのはいいが、脳の皺がひとすじ刻みを増すほどの考え、熟慮をくわえた末なのかどうか。
 ひとごとじゃない、ぼくなんかも常々、つい考えが上滑り気味なのを恥ずかしく思っている。

 つまり、「識字率」よりも「識見率」。
 ほかでもない自分なりの判断・評価ができるか、その判断に思いすごしや誤解はないか、評価に歪みはないか。
 それよりなにより、そもそも、ナニかするのにナニか考えのあってのことか、どうか。
 ほとんど衝動と情動だけで、毎日を生きてはいないだろうか。

 ……………

 以下は、そんなこととはいっさい関係のない、ごきげんうかがいの咄みたいなモノだが。
 見通しのきかない、かぎりなく不透明な現代ではことに、掬ったはずの網の目からこぼれゆくコトバの持ち味にも気を配りたい。 

 先日、たまたま食事どきのテレビに映しだされた子どもの駆けっこ場面、ひとり離れて遅れアゴを出す子に。
「げっぱ」
 かみさんが吹きだす、その言葉のアタマには「やぁだ(あの子ったら)」と接頭辞だか感嘆詞だかが付いていた。

 北海道の表現で「どべ」、「びり」のことだと教えられる。
 「どべ」はわりあい広い地域でつかわれる方言で「泥」のこと。「びり」はナニか破れるときの擬音語「ビリッ」から来た語に思えるが、念のために辞書をひもとくと「使い古して性〔しょう〕の抜けた布」という意味もあることが知れた。(やっぱり、破ける)んダ。

 いずれにしても「どべ」にも「びり」にも、「いちばん下」「最後の最後」の、語感ぴったし。
 「げっぱ」は、まさか「出っ歯」ではあるまいが、その響きには近しいところが感じられる。

 いちばん下、最後の最後は、人体では排泄の「尻」にたどりつく。「どんじり」は「どべ‐の尻」、では「しんがり」は「尻‐刈」かというと、さにあらず、「尻駆け」の音便に戦国余波のニオイがする、音が飛んでいる。
 戦陣ではだいじな役だが、先駆け(魁)のような誇らしさはない。「あとぞなえ」あるいは「しっぱらい」ともいった…と辞書にはある。やっぱり「尻」なんダ。

 くだけて「どんけつ」、「びりっけつ」ともいう。
 「鈍‐けつ」、「ビリッ‐けつ」と置き換えると不思議なほどのナットク感がある。
 「けつ」だって「尻」である、「尻の穴」が「どんけつ」だけれど、その「穴〔けつ〕」鍼灸の「ハリをうつ勘どころ」の意味もあることを想うと、なにやら奥が深い。

 「ぽか」「どじ」「へま」なんかも、ニュアンスのちがいはあるものの、およそ「およばない」「およびもつかない」ことにかわりはなくて、からかいつつもいじらしく思う心情が滲んでいる。

 ……………

 てな具合に、泉のごとく湧いて枯れることがない。
 つづきは明日また、のことにさせていただこう。

快生やすみ…いただいてます

-No.1266-
★2017年03月10日(金曜日)
★《3.11》フクシマから → 2192日
★ オリンピック東京まで → 1232日