どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

2020五輪は競技として楽しみたい…日本マラソン/世界陸上ではその存在感すら示せずに敗退した

-No.1428-
★2017年08月19日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 2354日
★ オリンピックTOKYOまで → 1070日



◆見とおし暗い…とは言うまい

 ロンドンの世界陸上競技選手権大会世界陸上)、男子マラソンの中継を観た。
 メダルの期待は、なかった。

 昨年12月の代表選考レース、福岡国際マラソン川内優輝(埼玉県庁)くんが日本勢トップの3位(2時間9分11秒)に喰いこんだのが、いまのニッポンの力では正直なところ精一杯だった。
 〝川内流〟といわれる、ほとんど我武者羅といってもいい実戦の積み重ね、走りこみに走りこんで骨身に沁ませたマラソン魂で、彼は世界陸上の目標を言っていた。
「最低でも8位入賞」
 これが…ざんねんながらゲンジツ。

 世界陸上のマラソンコースは、観る者にとっては楽しみな街路を縫っての設定だったが、選手たちにとっては〝自信のほど〟を試されるむずかしいコースだったらしい。

 スタート直後から先頭にアフリカ勢の壁ができ、他の選手はこの壁の後方に屯〔たむろ〕せざるをえない状況がつづいて、日本勢もそのなかに捕りこまれて中盤まで、気の晴れる間とてない我慢くらべ。
 (オレはここにいるぞ、忘れるなよ)と。
 存在感をアピールするチャンスも獲得できないままに高速レースが進んで、やがて、ついていけずに脱落していく最悪の展開。

 これがすべて、であった。
 いちども前にでるチャンスがなかった…のなら、それが実力、やむをえないが。

 地元イギリスの選手がただ一人、アフリカ勢に独占されるトップ集団から一時、抜けだして気を吐きレースを盛り上げた。
 最後はこの選手も力およばなかったわけだが、粘って入賞を果たしている。

 川内くんにしても、福岡国際のときには途中トップに立つ見せ場をつくっている。
 それが、世界陸上の本番ではまったくいいところなし、まるで歯がたたなかった。
 結果、優勝はケニアのジョフリー・キルイ2時間8分27秒、真夏の大会では好成績といっていいのではないか。
 日本3選手は、9位=川内優輝2時間12分19秒、10位中本健太郎=2時間12分41秒、若手の井上大仁くんは26位に沈んだ。
 ここまで楽しませてくれた川内くんには、ありがとう。
 (彼はずっと走りつづけるでしょうね、きっとあの君原健二さんみたいに)

 その後の女子マラソンは中継を観なかったが、結果はもっとヨクない。
 清田真央16位で2時間30分を切れず、以下、安藤友香17位、重友梨佐27位……
 ちなみに、世界陸上のマラソンで男女とも入賞なしにおわるのは1995年大会以来になる。

 「見とおし暗いな」と呟きかけて、ボクは思いなおす。
 これがふつうなんだ、と。
 2020TOKYOオリンピックのマラソンは、変に力まずに楽しもう、と。

 
 

快生やすみ…いただいてます

-No.1427-
★2017年08月18日(金曜日)
★11.3.11フクシマから → 2353日
★ オリンピックTOKYOまで → 1071日

ダンスパーティ―をもういちど!

-No.1426-
★2017年08月17日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 2352日
★ オリンピックTOKYOまで → 1072日




◆この夏の酷暑にもめげず

 この夏のはじめは、いちだんと暑さがキビシかったわけだけれど。
 そのかげで、ボクが密かに感じていることがあって。
 それは、「実付き」はいいようだ、ということ。
 
 わが家で、1株だけのキュウリが食べきれないほどの実を付けたことは、前にもふれた。
 二人で食べてもおいつかない分は、お友だちやご近所にさしあげている。
 ゴーヤも実付きがいいし、ジャガイモも地上部の育ちぶりを見るかぎり豊作になりそう。

 ヒメリンゴも、ことしは身落ちがなく丈夫に育っている。
 ご近所のカキの木も秋の訪れが楽しみ、はちきれんばかりに健康そうな身をたわわに付けている。

 (きのどくだったのはアジサイだなぁ…)とボクは想い返す。
 空梅雨だったことしは、さいわい花付きこそよかったけれど、小ぬか雨にけむるような風情は味わえなかったからだ…が。

 わが家のガクアジサイ「ダンスパーティー」のことにふれたのは、-No.1349-6月1日記事だった。
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 その健気に明るい振る舞いで、ぼくらの気分を高揚させてくれたダンスパーティー。
 花後は、来シーズンにそなえ、花芽をのこして剪定しておいたわけだけれど……

 ひと月ほどして。
 葉の緑がまた艶濃くなってきたなと思ったら、葉群れの間にナント蕾と思われる姿があらわれはじめ。
「もういちど咲くつもりかも知れない」
「ダンスパーティーをもう一度ってわけネ」
 水と養分の補給してあげながら、期待の噂をしあっていたら。

 みごと、再起の花を咲かせはじめてくれたのが、上掲の写真(右)。
 さすがに、その季節の頃の花(左)とくらべると活気にはとぼしいのだが、それでも健気に愛らしい。

 アジサイに二度咲きがあるなんて、ボクは聞いたことがない、けれど。
 狂い咲きとか、季節はずれの花とかは、間々あること。
「きれいねぇ、ステキよ!」
 かみさんは得意の褒め言葉、水やりと共に。
 目の前に現出した2度咲きの花を、愛でている。

 アジサイの二度咲きのせいか…盛夏の頃になって〝もどり梅雨〟のような天候の按配ぐずついて。
 こんどは野菜や米の稔りに翳がさす、なんともいたずらな季節になった。

オキシトシン…「愛情ホルモン」あるいは「幸せホルモン」とも呼ばれるもの

-No.1425-
★2017年08月16日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 2351日
★ オリンピックTOKYOまで → 1073日



◆生命の疲労を癒すホルモン

 きょうは、ぼくの誕生日、72回めの……
 この日くらい、喜怒哀楽なしの〝安静〟なときをすごしたい。

 詳しいことはまったくのところワカラないのだ、けれども。
 ホルモン、というのがある。
 生体内の器官で合成・分泌され、血液や体液にのって体内を循環、さまざまな体細胞にはたらきかける生理活性物質、という。
 よくワカラナイながら〝ホルモン・バランス〟というのがたいせつなことにはナットクがいく。

 古代ギリシャ語由来とされる「ホルモン」の名には「刺激する」の意がこめられているそうだが、それは想像するに、複雑・緻密に構成された生命体をソツなく運営していくための、ごく根源的な〝刺激〟であるらしく。
 重要な役割を演じていることは確かなのだけれども、作用やそのメカニズムなど詳しいことはまだワカッテいない。

 そんなホルモンのひとつに「オキシトシン」がある。
 中枢神経に作用する神経伝達物質

 これを知ったのは、つい昨年、かみさんのすぐ上の姉さんが亡くなる前、癌治療の苦痛を和らげるものとして、だった。
 「痛み」は「ストレス」だから、これを緩和してやることで癒される、効果はみじかいかも知れないが恐怖心を抑え、シアワセな気分をもたらしてくれる。
 やさしく手をあてるだけのマッサージにさえ、オキシトシンを分泌する効果が認められる、とのこと。

 医療では、出産や授乳にまつわる場面で投与されてきている、というから生命にかかわることマチガイなく。
 しかも、このホルモン、なにげない日常の営みで分泌・放出されている、という。
 愛撫や抱擁など肌と肌のふれあいや、セックスによる子宮頸部への刺激よるらしく。
 それで「抱擁ホルモン」とも呼ばれるオキシトシン、良好な対人関係にあると分泌され。
 しかも、このシアワセを周囲に伝え、協調を誘う、ポジティブな性格をもつともいわれる。

 札幌の入院さきを見舞ったおり、かみさんにこのスキンシップ療法をすすめた。
 恋人同士の「ハグ」は、つよく「抱きしめ」るわけだが。
 この場合の「ハグ」は、やさしく「抱きよせ」、手を添えて「撫で」る。
 姉と妹は、ベッドに腰かけた状態でたがいに抱きあい、しばらくの時をすごした。

 ざんねんながら、これができたのは一度きりだった。
 東京と札幌との遠距離では、見舞いもなかなか思うにまかせず、次に訪れたときには姉さんは寝たきりになっており、かみさんはその肩を抱けただけ、そうしてまもなく別れのときがきた。
 だから、オキシトシンがどの程度、かみさんの姉さんに分泌されたかは、知れないのだ、けれども……

 それからというもの、ぼくたちは、このスキンシップ・ハグの抱擁を心がけるようになった。
 ナニかというと抱きあう、そんな習慣のないことに戸惑いながら……

 寒い冬にはほんのり身体の温もりを感じ、酷暑の夏は抱擁した方が涼しいくらいのこともある。
 「グルーミング行為」とも呼ばれるスキンシップ・ハグ、これはつまり、動物たちに見られる毛づくろい行為とおなじことになる。

 いまはお手軽に、「オキシトシン・スプレー」なる商品もあるらしい。
 スキンシップ・ハグもままならない、現代のちぐはぐに孤独な人の世を想う……

 

 

「核のごみ」最終処分場〝適地〟…国が示した地図/「こちらへどうぞ」お呼びの声がかかるとでも?

-No.1424-
★2017年08月15日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 2350日
★ オリンピックTOKYOまで → 1074日

*72回めの〝終戦の日〟。堪〔こら〕えて、覚悟して迎えたはずなのに、やっぱりじつはぼく、不意を衝かれてしまっていたのでした。この日への想い…お伝えしたいこと…もう少し時間をください*




◆それで?…だから、どうしたいって言うんですか!

 色分けされた列島をざっと見わたして、まず思ったのは(へぇ、そんなにありますかね…よさそなとこが)だった。
 色分けは、「適」から「不適」まで4段階。
 (どうもハジメっから突っ込まれるのを怖れて〝あいまい〟に及び腰の感、言い訳しやすい文言をちりばめ懸命に繕ってある)

 ボクなりに、「適1」=緑、「適2」=薄緑、「不適2」=グレー、「不適1」=黄土色、と解釈してみると。
「適1」=緑
 「好ましい特性が確認できる可能性が相対的に高く、海岸から近いため輸送面でも好ましい」地域。
 <ごく一部>を除くと、海岸部はほとんどが、最終処分場に「好ましい」ことになる。
 ちなみにその<ごく一部>とは、関東・東海の房総半島と伊豆半島、北海道の噴火湾知床半島、南九州の桜島・鹿児島湾岸くらいだ。
 すぐに「津波は?」の疑問がわくが。
 「処分場の建設される地下には津波の影響が及びにくい」から除外の対象にならなかった、という。
 だが、そうだろうか。《11.3.11》F1福島第一原発事故の教訓からして、地上施設が津波でやられてしまえば、地下処分場のコントロールにも支障があるのではないか。
 「ブー」である。

「不適1」=黄土色
 「火山や活断層から近い、地盤が弱いなど好ましくない特性がある」地域。
  要は「適1」の裏返し。この国は火山列島だから、ほとんどの脊梁山脈部と島嶼地域があてはまり、輸送の難しい条件を加えれば「除外」される地域といっていい。
 これはワカりやすいが、地図に色分けされて見ると、率直なところふだん感覚の半分くらいしかなく、地震のときの震度にかなり細かいバラつきがあることなど思うと、にわかに信じがたいものがある。
 これも「ブー」だ。

 あとの2つ。
「適2」=薄緑
 「好ましい特性が確認できる可能性が相対的に高い」地域。
「不適2」=グレー 
 「将来、採掘する可能性がある油田やガス田などがあり、好ましくない特性がある」地域。
 これらは、その表現からして、いずれにしても可能性の低い、つまりどちらもほぼ対象外地域といえる。
 
 ……………

 これが、経済産業省、トップクラスの国家公務員さんたちが作成、公表された「高レベル放射性廃棄物(核のごみ)」の〝最終処分場を建設できそうな地域〟を示す地図である。
 ご苦労さまなことだが、これくらいのことなら、国土基本図などの資料を集めて図上に投影させればデキること。
 原発の電力は(やむをえない?)使っても、核のごみ処分場の面倒をみるのはゴメンという大衆に対して、きわめて解決のつく可能性の低いことながら、極力、これ以上の反発をうけないように配慮した結果にはチガイない。

 ぼくが見た東京新聞、掲載の地図には関東地方の拡大図が大きく扱われており。
 いやでも注目すると、見えてくる明らかな事情があった。

 海岸部は、前述のとおり火山地帯の伊豆半島・富士山周辺と、ガス田・油田地帯と火山特性地が混じりあう房総半島とが、まず除外される、と。
 あとにのこる「好ましい特性」の認められる地域は、利根川河口域から茨城県太平洋沿岸にかけてと、もうひとつは三浦半島を中心に広がる神奈川県沿岸平野部地域で、これにはボクの住む町田市も含まれている。
 その奥には関東平野の「適2」火山灰地帯が那須火山帯の「不適1」地域まで広がって……

「たとえばコノヘンなんかもイイですよねぇ」
 念をおされているような気さえする。

 そこで、とりあえず、考えるだけ考えてみた。
 「原子力発電をやめ、核兵器開発もしません」との約束を絶対条件として……のことだが。

 わが住まいする地域の地中深く「高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場」があったら。
 毎朝、寝覚めに見る窓外の、いまは天候のよしあしによる気分のチガイくらいのものであったのが。
 立っている身体の軸の先の先、深いといって足もとに、〝蟠〔わだかま〕る〟得体の知れない現代科学の妖怪を想うと……やっぱりイケナイ……心象風景がフリーズ・アウトだ。

 いえる詫び言ただひとつ。
「ごめんなさい、節電しますから、赦して」

快生やすみ…いただいてます

-No.1423-
★2017年08月14日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 2349日
★ オリンピックTOKYOまで → 1075日

ツツガムシ…生まれてこの方、その存在はずっと名ばかり、なれど、いとオソロシく

-No.1422-
★2017年08月13日(日曜日)
★11.3.11フクシマから → 2348日
★ オリンピックTOKYOまで → 1076日



◆恙無しや…

 日本史であったか、それとも古文であったか。
「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや」
 聖徳太子が隋の煬帝に送ったという国書の文言にふれたとき。
 ぼくは、ツツガムシ病(恙虫病)に想いがとんで、ずいぶん混乱させられたことをよく覚えている。
 (万事これだからボクは思考も知識も散漫系なのダ)

 古語辞典を調べ、「恙〔つつが〕」に「病気」「患い」「災難」「さしさわり」の意があることを知り、太子の「恙無しや」の問いかけに親身あふれることを知り。
 また、当時「つつがない」暮らしというのが、どれほど尊いものであったかに感じ入ったことだった。

 そうして、想いの連想が唱歌『ふるさと』の、
「つつがなしや~ともがき~」
 にいたって、涙ぐましくもなった。

 そのいっぽうで……
 ツツガムシ病というものに、得体の知れない畏怖と厭悪感を抱いた。
 それがどんな病状のものかも知らないのだから、とうぜんのことであった。
 ただ、新聞で読んだのではないナ…きっと(その時代の映画館ではジョーシキだった)本編上映前に映写されたニュース映画、モノクロのくすんだ画像で知らされたと思う。

 「恙」なる文字に、胸のムカつくような…そう、たとえば肺腑をいきなり擽〔くすぐ〕られるとか…そんなふうに薄気味のわるい感情が定着した。
 いかなるものなりや?
 調べてみる気にもならなかった。

 人は、ヒョンなことからヒョンなことをする、生きものだ。
 気がついたら、「ツツガムシ」「ツツガムシ病」を調べていた。
 この夏の容赦なくシツコい暑さの所為かも知れない。

 結果。
 ツツガムシがダニの一種であり、「恙虫」「恙虫病」の命名も、古語(といってよかろう)「恙」に由来すると知れた。
 カラスが鳴くのはカラスの勝手、名づけて差別するのは人の勝手、わるい癖。
 でも…調べただけで痒い。
 
 古来、病因がハッキリとせず、病状・病態もさまざまでわけのわからないところがあり、そんなところから「恙」とされたものだろう。いまでいうインフルエンザのような初期症状というから、「怠い」「気がすぐれない」ことが知れる。

 長らく(恙虫という妖怪がもたらす)風土病とされていたのが、やがて病因がダニと知れてこれに「恙虫」の名がつき、このダニの幼虫に刺されることによる感染症と判明して「恙虫病」となった。

 感染症ではあるが、伝染性や人から人への感染はない。
 …とはいえ、知っただけでなにやら虫酸のはしるような。

 刺し口の赤く腫れるのが唯一の目に見える証しで、この初期に病因をまちがいなくつきとめ、適切な治療がなされればすみやかに治癒するが、誤ると長引いていまでも死にいたることがあるという。

 古書『絵本百物語』に描かれた「恙虫」を見ると、頭と尻に鍬形のハサミをもったムカデ爺のような姿カタチで厭らしい。
 ぼくは、どんなことがあっても一生、どうか「ツツガムシ病」にだけは罹りたくない……

大腸内視鏡検査をうけ、「腺腫」のポリープ2つを切除してきた…20年ぶりのぼくの夏

-No.1421-
★2017年08月12日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 2347日
★ オリンピックTOKYOまで → 1077日



◆「生還しました」

 吾ながら〝大袈裟〟なことだけれども、実感だった。
 毎年うけている町田市の成人検診、便潜血検査(検便)の結果、便に血が混じっていたことが判明。
 先週4日の金曜日に、大腸内視鏡検査を受けてきた。

 訪れた胃腸科医院に、お世話になるのはこれで二度め。
 持参した診察券は、かかりつけ内科医のものに次いで古く、日付を見れば1997年8月、20年も前のことになる。
 そのときは、真夏の瀬月内の島々を取材して帰ったあと、便に血が混じっているのにみずから気づいて、かかりつけ医の指示で検査を受けに行ったことを、いまもよく覚えている。

 いい歳にはなっていたわけだけだが、気分は(まだまだ…)てんで浮浪雲
 尻の穴から管を入れるというので、(おカマを掘られるのか、ひょっとして気もちよかったりしたらどうしよう)なんて、脳転気というか不謹慎というか。

 しかし、現実に、尻をひと目にさらす格好でベッドに横たわり、管が体内に入ってくると、そのなんとも言えず不安で不快な圧迫感に、20年前が一気に蘇る。
 あのときと同じだ……
 あのときも、じつは内心に消化器の不安を押し隠していた。

 父は胃腸の弱かった人で、前立腺癌で亡くなっている。
 乳癌を克服して生きた母は、心筋梗塞で逝った。
 わが家系にも、癌体質があり、内蔵関係に弱点をかかえる。
 自身にも、その傾向があることはワカッテいた。

 鎮静剤の点滴をうけながら行われる内視鏡検査は、施術中の医師の動静が患者にもわかる、医師と会話もできる。
 ぼくは、医師の手先より、モニターを見つめる気配、口もとからもれる呟きを聞き逃すまいと、懸命に耳を澄ませる。
 「きれいになってます、お通じはいいようですね、腸のなかもきれいです」
 医師が言う。患者をリラックスさせようというのだ、ワカッテいる…が。
 ぼくが知りたいのは、そんなことじゃない。

 1週間前から服薬制限(血液さらさら製剤などは中止)、3日前からは食事制限がくわわり、前日夜半から腸内清掃(?)の下剤で準備を整えて待つ。
 入院患者なら別、ふだんの生活場面での、この非日常は心身に応える。心配は家族にまでおよぶ。

 癌細胞が見つかりはしないか……
 もちろん、癌細胞が発見されたからといって、はいソレまでよ、ではないけれど。
 その瞬間から、世界はかわる、日常だった〝ふだん〟が遠去かる。

 管は腸内壁を診察しつつ肛門から、大腸内を逆Uの字に進んで盲腸のあたりまで達し(このときが圧迫感の頂点)、出口へと戻りながら詳細に診ていく。
「ポリープがひとつ…」
 さりげなく気くばりの声がする、このたびの施術は女医さんである。

 これも20年前と同じだった。
 結局、肛門に近いところで2つのポリープが見つかり。
「ポッチリした、腺腫ですね…いまはまだ良性ですけど、念のために切除しておきましょう」

 これも20年前と同じ。
 ぼくにもモニター画像を見せてくれ、目の前で切除もしてくれる。
 粘膜の切除痕など、ほとんどのこらないように見える。

「あぁ、これ、ここに…以前のポリープ切除痕がありましたょ、きれいになってます」
 その、言われて見ればなるほど周りよりやや白っぽく見える粘膜部分も、素人目にはほとんど見分けがつかない。

 こうして、2つのポリープ切除を含めて40分ほどの施術を終了。
 なお予後1週間ほどの安静と、もとの〝ふだん〟の生活にもどる注意を受けて、ぶじ放免(これも実感!)となった。

 ポリープの3段階め「腺腫」というのは、良性であってもいずれ癌に変異するかもしれない怖れがあるもの、だから、いまのうちにとっておく。
「2年か3年に一度は、これからも検査を受けておく方がいいでしょう」 
 言外の意は、これもワカッテいる。
 ぼくには、〝できもの(おでき)〟体質がある、油断はキンモツということダ。
 切除したポリープの組織検査結果は1週間後にわかる。

 こうして半日後。
 しかし…いまのこの気分の、えらいチガイはどうだろう。

 ポリープ切除はあったものの、〝三途の川〟の渡しの手前まで行って、あやうく逃れて帰ったようだ。
 アルコールは2~3日ひかえるように言われているので、ノンアルコールの飲料でかみさんと、おとなしく乾杯。
 そのかみさんもじつは、この春さき、便に潜血が見つかって同じ大腸内視鏡検査をうけ、彼女の方はなにひとつ翳りのない「〇」の結果に、諸手をあげて小躍りというシーンを演じたばかりなのであった。

 70代に突入した爺っちゃ婆っちゃに訪れた人生の一点景……
 
 でも、あとでよくよく考えてみると、コレはぼくにとってあるいは僥倖といえるのかも知れない。
 放っとけば危なかったろうところを、少し前にさりげなく助けられている、と言えなくもないのだ。

 いずれはおおごとになっていたかも知れない心臓の冠動脈狭窄を、たまたま発見され、リスクの少ない内科的ステント挿入術で救われたのも、かかりつけ医との軽い問診ともつかない話しがきっかけ。
「どうです、歩けてます?」
「それが、なかなかねぇ、歩けったって、近ごろはケッコウきついょ」
「それって心臓、それとも足の筋肉の方?」
「どっちもどっち、みたいな感じかなぁ」
「じゃ、いっぺん、精密検査しておきましょうか」
 ……だった、のだ。 

 「生かされている命」という。
 わかってはいるが、気分としては煩わしいものがある。
 命というのは〝わがまま〟なものだ。
 〝わがまま〟に生きても赦されるうちは……

 〝わかったような顔〟したくはない、が。
 なるほど「生かされている」のかも知れない、と思う。

快生やすみ…いただいてます

-No.1420-
★2017年08月11日(金曜日、山の日
★11.3.11フクシマから → 2346日
★ オリンピックTOKYOまで → 1078日

やっぱりホント!…にあった「オキアミ王国」/  南氷洋、ナンキョクオキアミの世界

-No.1419-
★2017年08月10日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 2345日
★ オリンピックTOKYOまで → 1079日



◆これが!?、プランクトン

 酷暑がひと息ついて、夏らしく気風のいい降雨もあったが、まだ処暑には間がある、きょうこの頃。

 せめてもの涼感もとめて、極地の話しをしたのが7月下旬。
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 「極地噺もういちど」気分にさせたのは、ひさしぶりに「あみ」の佃煮を食べたからである。
 江戸っ子という、ある意味マカフシギな人種〔ひとだね〕は、ヨッと一点豪華に入れあげるかたわら、カゲロウのように、あるいは「あみ」の佃煮のように、ごく儚い存在にフッと涙ぐんだりもする。

 姿かたちは一応エビの仲間でも、存在としてはプランクトン。
 「あみ」の佃煮には、よく見るとさまざまな水生生物の微小な初期幼生が含まれる。

 「あみ」よりも目だって大きく、3~4センチくらいはあるオキアミになると、塩茹でになって歯触りにも殻が意識されるようになる。三陸沖などで捕れる「ツノナシオキアミ」というやつ。
 生物学上は別だろうが、素干しの色あいがよろこばれる「桜エビ」なんかも、庶民にはまぁ似たようなもの仲間内と言ってよかろう。

 「オキアミ」も「ナンキョクオキアミ」になると、俄然〝資源〟として注目の目線が熱くなる。
 といっても体長6cm、体重最大で2g、寿命は6年、その程度のものなのだが…。
 (とてもプランクトンとは思えない)
 南極の生態系の「キーストーン種」、総量およそ5億トンという圧倒的な〝バイオマス〟は、「この惑星でもっとも成功している動物」と称賛もされる。

 ぼくらはそれを、ザトウクジラの「バブルネットフィーディング」、水泡の包囲網を仕掛け、大量のナンキョクオキアミをガバーッとひと呑みにする姿に、コクッと生唾。
 40トンもあるあの体重を養う栄養、ナンキョクオキアミが一手に引き受けている、というだけで一言もないワケだけれど。

 それをあらためて数値にしてみると……
  ●バイオマス = 1億2千500 ~ 7億2千500万トン → 地球上でもっとも成功した種の証し。
 これについては、アリの方がより大きなバイオマスとする見方もある。が、アリの場合には数百種類あわせての総数。対するナンキョクオキアミは単独種としての数だから、比較にならないし。
  ●全世界の水産資源(魚類、貝類、甲殻類、頭足類、他のプランクトン類)
                年間総生産量 = 約1億トン
  ●ナンキョクオキアミ単独の年間総生産量 = 約1億3千万 ~ 数億トン
 こんな見積りを提示されると、正直たじろぎさえ覚える。

 これに、さらに、生態系の維持に寄与する数値(ナンキョクオキアミの捕食量)を並べると。
  ●アザラシ類(カニクイアザラシなど)=6千300万   ~1億3千万トン 
  ●クジラ類(ヒゲクジラ)      =3千400万   ~4千300万トン
  ●鳥類(ペンギン、アホウドリなど) =1千500万   ~2千万トン
  ●イカ類(コウイカなど)      =3千万      ~1億トン
  ●魚類(コオリウオなど)      =1千万      ~2千万トン
  ●総計なんと、1億5千200万 ~3億1千300万トン    
 ただただ茫然。

 〝食物連鎖〟というとき、ぼくたちの頭には単純に、順次「小」から「大」への図式しかない、けれど。
 ナンキョクオキアミから次の段階へは、一気に巨大な哺乳類へと棒高跳び的な超飛躍を遂げてしまう。

 ナンキョクオキアミの分布が南氷洋に限られることを想うと、この南氷洋にのみ見られる現象の極めて宇宙的なことを思い知らされる。

 ……………

 その南氷洋(ぼくらの戦後すぐ世代にとっては、かつて国際捕鯨オリンピックの舞台)、〝周極フロント〟と呼ばれる縁辺部から南極大陸までの約3千200万㎢は北極海のおよそ65倍というから、ホッキョクグマの氷原もにわかに色褪せるようだが。
 冬はこの海域の4分の3が氷結、夏はまた2千400万㎢の海面となる、そのダイナミズムの中枢にナンキョクオキアミがいることを想えば、心ふるえる。

 これだけの勢力をもつナンキョクオキアミの世界には、きっと「オキアミ天国」が存在するに違いない。
 じつは、ぼく、ずっと秘かに思いつづけ、夢に見ていた。

 それが、ホントウにあるらしい、少なくとも「オキアミ王国」の存在を信じて追い求めつづけている研究者がいる、というのを知ったのは、つい最近にこと。

 その成果、深海潜水艇による調査結果の映像を観るチャンスにも恵まれた。
 巨大な群れをなすことで知られるナンキョクオキアミ、その密度は1㎥に1万~3万個体とという高密度だそうだが。
 潜水艇が深度を下げて行くにつれ、その体じゅうに発光器をもつという小さな個体群が、揺れ動く水玉模様となってずんずん密度を増していく。

 ゆったりエビ泳ぎの群れから、アトランダムに素早く捕食行動に飛びだすものが続出して、この海が植物プランクトンで充ち溢れていることが知れる。…ということは豊富すぎるほどの栄養塩に溢れ、しかもその消費量にはまだまだ余裕のあることを示唆してもいるのだろう。
 
 やがて中層と思われる深度に達するにしたがって、青く光る「光エビ」の群れは、まるで星雲のごとき耀きに充ちて、ほとんど目眩〔めくるめ〕いた。
 その動き、原子運動の世界をスローモーションで見るがごとき趣きもあった。

 ナンキョクオキアミは「巨大化のエサ箱」である、ともいわれる。
 クジラがその代表格だし、ほかの生物個体にも種々、その表れが見られるという。

 ひとつには、この巨大なエサ箱には、目だった捕食者という存在も、思ったより少ないことがある。
 たとえば、いま、南氷洋の海底には、これまでは棲息しなかったタラバガニが現れているそうで。
 これには、海底にまでおよんだ温暖化の影響も指摘されている。

 また、いっぽうではその温暖化が、ナンキョクオキアミのバイオマスを過去数十年の間に急減させている懸念もある、という。
 (その減少率が80%にも達すると推測する科学者さえある…とか)
 それを絵解きすると、こうなる。
 地球温暖化で氷山のような流氷が減少すると、流氷中に存在する洞窟状の穴場もまた少なくなり、これを捕食者からの逃げ場に利用していたナンキョクオキアミが被害を受ける、と。

 ナンキョクオキアミの「オキアミ天国」も崩壊の危機にあるやも知れず、とは。
 なんとも世知辛いうえにも世知辛い、美しき〝青い水の惑星〟ではないか……
 
 
 

F1…まぁ自動車は家具か玩具みたいなもの/   そんな欧米世界を追いかける日本のモータースポーツ

-No.1418-
★2017年08月09日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 2344日
★ オリンピックTOKYOまで → 1080日

*72回めの長崎原爆の日。あの日、永訣を誓ったはずの〝核の傘〟の下に、いまも居つづけるニッポン。国とはナニか、防衛とはナニか……*





トヨタ2000GT

 1966(昭和41)年10月1日~4日。
 場所は茨城県谷田部の自動車高速試験場(現在の日本自動車研究所)のテストコース。
 そこに、まだ学生時代、21歳のぼくがいた。

 ざんねんながらテスト関係者ではなく、映画撮影(アルバイト)スタッフの一人としてだった。
 このとき、ここで行われたのが、トヨタ2000GTのスピードトライアル。
 4日間72時間走行する間に、時間と距離あわせて13カテゴリーの世界記録更新を目指すものだった。
 その模様を追跡したのが、記録映画の名門岩波映画で、ぼくはそこのプロヂューサーに知遇を得ていた関係で「やってみないか」と誘われ、二つ返事でとびついた。役どころは演出部助手。

 時代は、ポルシェ、クーパー、トライアンフなど、ヨーロッパ名車の独擅場であったスピードトライアルの世界に、はじめて東洋から日本が参戦の名乗りをあげはじめた頃にあたる。
 この4日間、谷田部の高速周回コースには2000GTの走行音が響きつづけ、関係者が刻々と伝えられる途中計時の数字に一喜一憂を繰り返しており、ぼくら撮影スタッフも専用テントを根城に駆けずり回っていた。
 撮影カメラは高く組まれた櫓上に据えられており、ぼくら演出部助手も撮影部助手に混じって交換フィルムマガジンを肩に、懸命に櫓を攀じ登ったりした。

 3人交代制のレーサーのひとりに、ファッションモデル兼実業家でもあった福沢幸雄がいた。
 このトライアルは、最中に台風が接近するなど劇的なことがあった、なかでも記憶にのこるのは、なぜかドライバーが福沢のときにエンジンンの調子のよくないことがつづき、ぼくらはそのエンジン音に眉を曇らせたものだった。
 (レーサー福沢幸雄は、それからほどなく事故死している……)

 このときの体験が、ぼくを車社会の一員にした。
 やっとこさ中流の端っこにしがみついていたボクら戦後すぐ世代にとって、それまでマイカーは夢であり、豪華カタログやショールームの世界であった。
 それが、グッと現実に近づいた。同じ学生アルバイトスタッフのなかに、運転専門の気のいいやつがいたのもおおきく、後にぼくも運転免許を手にドライバーの仲間入りをすることになった。

 ぼく自身、カー・レースやラリーに興味をふかめることはなかったが。
 自動車と人、交通の変遷、車社会の到来と未来には、いつも注意の目を向けてきた。

 そんなぼくが、ウムと唸らされた日本のレーシングドライバーは、中嶋悟
 1980年代後半のF1レーシングドライバーで、体格はぼくよりもやや小柄か。それが国際的な大舞台ではどうしても不利にはたらく、という指摘がなされたこともある。

 けれども、あれはどこの、なんのインタビューであったか、で。
「欧米では、車があってあたりまえの時代が、もうずいぶん長い。生まれたときから車のエンジン音を聞いて育っている、運転なんかまだできない子どもの頃から、でも、どっぷり車体験のなかにいる、これがおおきいと思う。日本ではそんな暮らし、まだ始まったばかりですから、日本人がF1で勝てるようになるには、もう少し時間がかかるんじゃないかと思う」
 要旨、以上のように語っていたのが、記憶にいまも新しい。

 その後、ぼくは旅の空。
 パリ下町の路上を、なんの屈託なく走りまわるボロ車、ポンコツまがいの(メーカー・マークだけは日本でも有名な一流の)車が、うっかりすると片方のドアが1枚なかったり…という状態で、なんの不自由もなく、それこそ下駄かズック靴のように履きこなされていたのを見てナットクした。
 これが長い歴史を経ていまある車社会なのだ、と。

 おなじ頃のニッポンでは、休日に愛車を洗い丁寧にワックスをかける姿が〝いい暮らし〟ぶり、自家用車がまだステータスの段階にあった……

 あれから20数年。
 ことし5月、世界3大レースのひとつ、アメリカ伝統の「インディ500」で、元F1ドライバーの佐藤琢磨(40歳、ホンダ)が初優勝を果たした。新聞各紙はこの快挙を「日本モータースポーツ史に新たな金字塔」と讃えた。

 これは、いまの時代、時計の針のめぐる速さにおどろくべきことなのか。
 それとも、「いや、まだ、ちょっと」中嶋さんなら呟くところであろうか……
 

嗚呼…不安いっぱいの…新国立競技場

-No.1417-
★2017年08月08日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 2343日
★ オリンピックTOKYOまで → 1081日




◆ツケが〝弱い立場〟にまわらないように

 23歳の若い命がひとつ失われた。
 「過労自殺」として遺族が〝労災を申請〟したことから明らかになった。
 2020TOKYOオリンピック開催を目指して急ピッチに進む新国立競技場の建設現場で、彼は現場監督を務めていた。
 月200時間を超える残業に追われつづけての死は、「こんなかたちでの解決しかできなかった」ことを詫びるかたちのものだった。
 (やっぱり…か)やりきれない気分は、国民おおかたのものであったろう。

 ぼくが、新国立競技場の建設が始まって間もなくの現地を踏んでのは4月10日。
 その報告記は、-No.1309-2017年04月22日記事「新・国立競技場の建設が始まった神宮の森」だった。 
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 あのときのボクの脳裡に、こんどのようなことが起こる心配がなかったわけではない。
 けれども、大規模建築現場のダイナミックな躍動ぶりに目を奪われ、心は「きっと間にあわせてみせるんだろうな」気分でいっぱいだったことを、ここに告白する。

 そうして、じつは、このニッポン人に過剰な「間にあわせる」「なんとかする」意識が〝労災〟の根源にはある。
 政府が「働き方改革」の実行計画で、残業時間の法的な上限の導入を決めたとき、建設業への適用を「5年間猶予」したのもそれだった。「間にあわせる」「なんとかする」、国家的プロジェクトともなればなおさらだ。

 〝労災〟のリスクが高い職業は➀道路貨物運送業➁飲食店➂建設業と言われるが、けっしてそこだけの問題でもない。
 もっと普遍的に危険な〝思考回路〟が、ざんねんながらニッポン人にはある。

 たとえば、こういうこと。
 あの《11.3.11》東日本大震災・大津波被災、ボランティアの支援活動場面で、現地で苦笑いまじりに指摘されたのが、「息抜き」の仕方を知らない都会の人たち、だった。
 破壊されたビニールハウスの後片づけに追われながら、農家の人が溜息まじりに言っていた。
「農家の者には、休み休み働かないと身体がもたないことが分かっているけど、都会の人にはそれがワカラないからデキない、気のどくだからコッチもね、あわせて働いちゃうからクタビレちゃうの」

 じじつ、ボクなんかもそのくちで、始めっからめいっぱいに突っこんで働くことしか知らない。手を休めてダベってる人なんか見るとズルイ気がする。結果バテてへたりこんだら、それでオシマイ。
 それでもボクみたいに、そこそこ体力もあり、まだまだ足りないながら経験もあれば、なんとか乗り越えられるが。
 そうでない者には、(励んでも役には立たない)理不尽な思いだけが重くのこることになる。

 このような場面を見て、つい、考える。
 (タイヘン…でも、ナントカする人がいてナントカなってる、ナントカできない人はナントカならないんだろうか…)と。
 これが、じつは、マチガイ。
 
 〝電通〟問題があったのも、遠い日のことじゃない。
 あのときも、企業側を擁護まではしないまでも、個人の資質を云々する声が少なくなかった。

 そうだ、職種や職能の問題でもない。
 「なんとかする・間にあわせる症候群」の問題だ。

 つきつめればDNAに関わることかも知れないから、これを無くすには長い時を要することになるだろう。
 とすれば症状の極力緩和、徹底的な意識改革につとめるほかはない、と思われる。
 その意味で、まさに個人の資質のことなのだ。

 耐え抜ける人、ナントカできる人がいる。いっぽうに、
 耐えきれない人も、ナントモできない人もある。
 強い立場の陰には、かならず弱い立場がある。
 
 弱い立場にツケがまわることのないようにする…のが、根源のルールじゃないか。
 指導的な立場にある人には、最低限、この認識が不可欠だ。

 こんどのことが歯止めにならず、また同じことが繰り返されたり、「なんとかする・間にあわせる症候群」が原因の事故が起こったりするようだと、2020TOKYOは酷いマイナスイメージのオリンピックとして記憶されることになってしまうだろう。

快生やすみ…いただいてます

-No.1416-
★2017年08月07日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 2342日
★ オリンピックTOKYOまで → 1082日

妖怪〝衣蛸〟…噂の主はムラサキダコ

-No.1415-
★2017年08月06日日曜日
★11.3.11フクシマから → 2341日
★ オリンピックTOKYOまで → 1083日

*72回めの「ひろしま原爆の日」。この10日後に生まれたぼくには…にもかかわらず原爆投下の既視感があって、いまだに遠い声を聞く。生涯にせめて一度、この日に笑顔でありたいと願いつづけてきた、けれど、ことしも叶わなかった……*

◆ヒラヒラ大風呂敷

 学生時代にレトロな気分、シャーロックホームズを気どったわけでもないが、親爺さんのインバネス(ケープ付きロングコート)を着て冬のキャンパスを闊歩したことがあった。
 似あわなかった…というより、他人さまには異様な風体にしか映らなかったようで、1日でやめてしまった。

 「マント」とか「とんび」とも称され、お大尽の服装といわれた品を、ケッコウおしゃれな人だったらしいとはいえ、わが父親が持っていたこと自体おどろきだったが、このインバネスがまたとても重かった。古くなって、首すじや肘のあたりなど擦れてきてもいた。
 街を歩いたら、ガキどもが囁き交わしながらついてくる。クルッと振り向き、両手にマントを広げて威嚇したら、よほどビックリしたのだろう、蜘蛛の子を散らすように逃げていったっけ。

 マントには、そんな効果があった。
 『吸血鬼ドラキュラ』である、オオコウモリのイメージだった。

 ヒラヒラしたものは、よろず生物の注意をひくが。
 相手が小さければ、カワイイだけで、なんら問題はない。蝶々がそうだ。
 それが、ある大きさを(子どもの身長、大人の半身くらいだろうか…つまりは大風呂敷である)を超えると、俄然、恐怖心を煽るモノになる。
 それは、目の前を覆われ真っ暗になる怖ろしさ、にチガイない。

 暗い暗い〝胎内めぐり〟は産道の記憶、産まれ出るまでの恐怖を克服する試練の道のりにほかならない。
 悪さを叱り、押し入れに閉じ込める〝お仕置き〟には、怖ろしい体験の記憶を呼び覚ます狙いがあった……

 〝青い大陸〟海に広がるマントは、忍び寄る捕食者の死の影である。
 襲いかかる影は、逃げる術もなにもかもを奪い去る。

 海の妖怪に〝衣蛸〟というのがある。

 ふだんの見た目には、ふつうのタコなのだが、船とか潜水の漁師とかが近づくと身体を衣のように広げ、その大きいことざっと6畳ほどもあり、搦めとって海の底へと引きずり込んでしまう、と。

 伝説の出自は京都府与謝郡というから、丹後半島、舞台は日本海である。そんなのが、たしかにいそうな気配がある。
 おなじ妖怪でも〝海坊主〟なんかは、ボクのイメージでは太平洋上に、大見得をきって現われる。

 ところで、この妖怪〝衣蛸〟、伝説の発祥はムラサキダコであろう、といわれる。
 別名が「毛布ダコ」、「羽衣ダコ」、「蛇ダコ」と、なるほどマントでも広げそうに面妖なやつ。
 その泳ぐ(逃げる)映像を見ると、ほんとにヒラヒラ、ユラユラと、煙幕でも張るように皮膜を広げはじめたのには魂消た。

 妖怪伝説の、その大きいこと「6畳ほど」もある…というのは大袈裟なようだが、皮膜の長さ3メートル幅2メートルにも達するそうだから、吃驚値としてはまぁそんなものかも知れない。
 この皮膜は実際、天敵、たとえばクロダイなどに襲われたときの目晦まし用にちがいなく、だから場合によっては、おまけに墨まで吐き散らすこともあるそうな。

 では、この皮膜の丈夫さはどうかといえば、厚さ2ミリほどときわめて薄く、捕まればすぐに千切れてしまう…というより羽衣(マント)を脱ぎ捨て逃走する。同時にこのとき、ネバネバの粘液を分泌するらしい。逃げるが勝ち、トカゲの尻尾切りとおなじだ。

 ついでに、このムラサキダコは「喰えるか」といえば、「喰えないこともないが、水っぽくて喰えたもんじゃない」そうで。
 いちいちゴモットモ、ちゃんと理屈に適〔かな〕っている。
 肉食魚のシイラなど、ムラサキダコには見向きもしない、というのだから。

 雌雄でいえば、雌の方が大きくて(暗い深海に多く見られる特性)体長70cmくらい。こちらがもっぱらマントを広げる。
 いっぽうの雄は体長せいぜい3cmほど、膜なんか張っても意味がないくらいに小さい。

 はじめにふれた妖怪〝衣蛸〟伝説には、ふだんの生態として「貝殻に入って海の上をぷかぷか漂っている」という話しもあった。
 ムラサキダコの生態も、ふだんは海面の近くを漂っていることが多いらしく、背中には穴が二つあって空気を吸いこみ、浮袋にためている、ともいう。
 ますます面妖、ますますソックリ。

 ちなみに、〝生きた化石オウムガイを彷彿とさせるムラサキダコの近縁にはカイダコ類があって、かれらも海面を漂流することで知られており。
 カイダコ類の雌は、腕からカルシウムを分泌して貝殻を造り、ふだんはその中に包まれて暮らし、この中で卵の保育もする。
 そうして、かれらもまた雌が大きく雄は極く小さく、これまた日本海岸への漂着が多いらしい。

 ムラサキダコにまつわるアレコレは、妖怪〝衣蛸〟の伝説をふくらませ、捕まえようとすれば衣脱ぎ捨て、目眩まして逃げる。
 海の摩訶不思議、真っ赤に沈む日本海の夕陽にも似て……
 

 

メートル法と尺貫法…アナゴを「はかりめ」とも呼ぶ

-No.1414-
★2017年08月05日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 2340日
★ オリンピックTOKYOまで → 1084日





◆測ってください!

 千葉房総、富津の浜では「はかりめ」と呼ぶ。
 新鮮で美しい肌艶を褒めたら、漁師は「鮮やかだろ」魚体に並ぶ規則的な星(斑点)を自慢した。
 アナゴ、である。立派なマアナゴだった。
 アナゴはその名のとおり、海の〝穴〟を拠りどころにする魚だが、マアナゴはその褐色の魚体に並ぶ側線、白い点線模様が特徴だ。
 煮アナゴは人気の寿司ネタ、天麩羅にもよし、蒲焼にしても旨い。

 ところで……。
 漁師はマアナゴの白い星(側線の点々)を、ただの「モノサシ(定規)」ではなく「竿ばかり」の目盛に見たてていた。
 そこがだいじなのだが…さて、ご存知であろうか?

 「天秤ばかり」ならワカルかも知れない、「上皿天秤ばかり」は学校の理科室で見覚えのある方が多いはず。
 「上皿」の場合は片方に重さを計りたいモノを乗せ、もう一方に計量の分銅〔ふんどう〕を乗せる。「竿ばかり」では皿のかわりに竿を用い、紐で吊るした分銅とのバランスで重さを計った。「上皿」より「竿」の方がより重量のあるモノが計れた。

 「竿ばかり」の「竿」には、目盛の点々(黒い竿に白い目盛など)が明瞭であったのを忘れない。
 もっとも、この秤は尺貫法(長さの基本単位を尺、重さ(質量)を貫とする)の時代のもので、メートル法(長さがメートル、重さがキログラム)の導入とともに姿を消している。

 日本の軽量法が尺貫法からメートル法(十進法)に、法律で切り替えられたのは昭和26年(1951)。
 だから昭和20年生まれのぼくは、はじめからメートル法の教育を受けて育ったわけだが、この頭には尺貫法がドッコイ厳然と居坐っている。
 大工さんたち職人が「尺寸」の世界にいたし、商家出の父は「貫目、匁〔もんめ〕」で重さを言い、裁縫を得意とした母は「鯨尺(呉服尺)」の世界にいた。まわりにも、まだ〝尺貫人間〟が多かった。

 国立博物館の見学であったか、断面がX字型をした「メートル原器」を見て〝科学〟の一端にふれた。
 狂いを最小にするため白金90%、イリジウム10%の合金でできている、と説明されていた。その長さの定義が「地球の北極点から赤道までの子午線弧長の1000万分の1」とされていたのに、文明力と説得力を感じた(さらに進歩したいまは定義がかわっている)。
 それにくらべると尺貫法の根拠は、ずいぶん「脆弱」で分がわるく思われたものだった。

 しかし、グローバルな商取引(貿易)にかかせない「世界に共通する単位制度の確立」のため、1830年にフランスで制定されたメートル法も、普及までのハードルは高かった。

 まず、お膝元のフランス自体が旧単位の使用を罰金付き禁止にしてやっと成し遂げているし。
 日本でも、明治18年(1885)のメートル条約加入から昭和41年(1966)の完全実施(計量法の施行から15年後)までに、使い慣れた単位の廃止に対する庶民の根づよい抵抗があって80年以上もかかっている。
 文明国でもアメリカなどは、いまだにヤード・ポンド法のなかにいるくらいだ。

 〝尺貫法〟を「古い」と言う前に、ちょと省みてもらえばよくワカル。
 たとえば土地の取引や証明にいまもシッカリ生きのこって使われている「坪」がある。これなど法律上は廃止された単位でも、いまだに調査師業務ではメートル法以上の存在だし、一般の土地取引表記でも「㎡」にかならず「(坪)」が付随している。
 あなたも、他人から宅地・建物の規模を聞かれたときに、つい「坪」で答えていませんか……

 また、ホームセンターで扱う木材関係では、規格材と呼ばれる板の、厚みは(9mm、12mm、15mm)というように3mm刻み、幅(9cm、12cmなど)も、長さ(91cm、182cm)も、尺貫法の「尺寸」の遺伝子に支配されている。

 一般の方にはやや縁遠いかと思われるが、ベニヤ板などの寸法、たとえば「3×6(さぶろく)」と呼ぶのは「3尺×6尺」のことで、だから「1m×2m」ではなく「91cm×182cm」になっている。
 大工さん必須の道具で、ぼくも木工にかかせない曲尺(矩尺)〔かねじゃく〕というのがある。この道具のプロ用高級品の目盛には、いまだに片面に尺寸目盛がついている(尺寸だけのもある)。

 ここで、〝計る〟こと、〝結果を伝える〟ことの始まりを思うとき、その方法にまず、身体の部分を用いたろうことは想像に難くないし、実際にそのとおりでもあった。

 たとえば。
  ●「ディジット」というのは「指1本の幅」で、1.905cm=約4分の3インチの長さ。
  ●その「インチ」は「親指の幅」で、2.54cm。
  ●「寸」もおなじく「親指の幅」に由来して、約3.03cm。
 …と、ごく小さいところからはじまり。
  ●「束〔つか〕」が「握りこぶしの幅」で、約7.6cm。
  ●「パーム」の7.62cmも、おなじ「握りこぶしの幅」。
  ●「スパン」は「開いた手の平の親指から小指の先まで」で、22.86cm。
  ●「尺」は「腕を曲げたときの肘から手首までの長さ」で、約30.3cm。
  ●「フィート」が「足の踵から爪先までの長さ」で、30.48cm。
  ●「キューピッドは「腕を曲げたときの肘から中指の先まで」で、45.72cm。
 …とつづいて、さすがに50cmを超えるとグンと少なくなる。つまり人体感覚からは遠くなっていく。
  ●「ヤード」が「腕を伸ばしたときの鼻先から親指まで」で、91.44cm。
 *これに似たのが、「半間〔はんげん〕」で、約90.9cm。ちなみに1間は「家の柱と柱の間」で約180.18cm。人体から建物に基準が移っている。
  …とまぁ、ざっとこんなところだ。

 ぼくが日ごろから、「なにしろ測ろう」「まず測ることに慣れよう」と、自戒とともに他人にもすすめていること。
 おしまいに、その基本の「基」、「測るクセをつけるのにいい方法」を、お教えしておきましょう。

 これは、あくまでもボクの場合…ですが、身長170cmの中肉中背、ごくふつうの体型といっていいと思うので、あてはまる人は多いはず。まず測ってみてください。
  ➀チョキ(人差指と中指)をいっぱいに広げてた指先の幅が、約10cm。
  ➁手の平を広げたときの指先幅が、約20cm。前記「スパン」よりやや短い。
  ➂上の➀に➁をプラスして、約30cm。
  ➃両手をいっぱいに広げた指先から指先までが、約170cm。約1間ですね。
  ➄上の➂に➃をプラスして、約2m。

 ……どうです、たいがいのモノの寸法の、少なくとも〝けんとう〟がつくようになったでしょう?