◎「終電」くりあげて「夜行列車」をリバイバル / ぼくらが生きる〝新コロ〟後の〝新来〟社会(8)
-No.2705-
★2021年02月16日(火曜日)
★11.3.11フクシマから →3631日
★延期…オリンピック東京まで → 158
★旧暦1月5日(月齢4.3)
※次回は、2月19日(金)の予定です※
◆都会に夜をとりもどしたい!
「新コロ」の感染拡大、第3の波が深刻になりはじめた昨年暮れ。
首都圏の鉄道各社(JR&私鉄)は来春のダイヤ改正から、終電繰り上げの予定を公表。
これは、外出・外食自粛モードがつづくいま現在、電車の乗客減少というご時世があり。もうひとつには、これまで運行優先のシワ寄せがあった夜間の保守作業、時間確保を目指すためでもありました。
そうして、さて…年が明けても。
感染の波おさまる気配なく、自治体による「夜間の外出自粛」要請から、ついには遅ればせながら1月7日、国による「緊急事態宣言」の発令があって。
首都圏の鉄道は1月20日から、終電の時刻繰り上げを最大で30分程度、「前倒し」で行うことになりました。
こうしたうごきに対する庶民の反応は、一部から、たずさわる仕事柄「それはコマル」窮状の訴えがありました、が。おおかたは(まぁ…しょうがないかな)という、消極的に順応する態度でした。
(まぁ、そんなもんかな)でした…けれども。
このときにあたって、ぼくは、以下のような一文を某新聞に寄稿。
心もちは「新コロ後に迎えたい新世界を考える」ものでした。
☆ ☆ ☆
夜をワクワク眠りたい
いうまでもありませんが。
光り輝くお陽さまがあって、この星(地球)に生きる私たち人間です。
そのお陽さまは、夜の闇があってのちに、輝きと幸せとをもたらしてくれます。
これこそが大切なことを、忘れてはいけないと思います。
夜はたしかに刺激的ですが、やっぱり、ふつうの日常じゃありません。
徹夜して疲れた朝より、よく眠って目覚めた爽快な朝のほうが、だんぜんステキ。
ドキドキの夜を欲ばりすぎないで、すっきりワクワクの朝を迎えたい。
そんなふつうのことを、すっかり忘れてしまっているのが、いま。
夜の闇にコワイものがあるのも、じつはワクワクの朝のためでした。
そのヤクソクを忘れてしまったから、もっとコワい目に遭ってきた、ぼくたち。
ですから……
夜遅くまで、仕事をしなければならない、人たちがあれば。
その人たちのために、対策をシッカリとしたうえで。
夜遅い電車は、トクベツのときにかぎって、ふだんは減らすのがふつう。
都会だけが、いつもトクベツなのも、ぜ~んぜんオカシイ。
「夜のない街」には「ドキドキの夜も、ワクワクの朝もない」。
ニッポンは、そんな「ふつうがあたりまえの国」であってほしい!…ものです。
☆ ☆ ☆
人間は、闇をおそれて、灯りをもとめ。
さりとて、灯りのある時間が広まったいま、夜の時間は短くなりましたが…闇がなくなったわけじゃなし。
夜の闇をおそれなくなった現代人は、心の闇に襲われはじめてひさしく。
逆に、いま〝辺鄙な田舎〟といわれる地方に行くと、夜の闇の深さにあらためて驚かされ、そこにポツンポツンと点在する家々の灯りに、ホッと胸に沁みる安らぎを覚え…これが(ふつうの夜なんだ)とあらためて思い知らされます。
闇を追い出した夜は、〈便宜〉に潜む〈陥穽(かんせい=落とし穴)〉かも……
☆ ☆ ☆
〈終電〉時刻の繰り上げといっても、キホン〈始発0時〉以降はナシでしょう。
途中、通過駅で日をまたぎ、終着はたとえ翌朝であっても。
夜を欺〔あざむ〕いちゃいけない、節度がなくちゃいけない…と、かつての夜遊び人は(反省して)思います。
終電をあきらめる日は、おとなしくギブ・アップして早めに帰るか、それとも潔く覚悟して帰るのをやめるか。
◆冷たい「終電」、温もりの「夜行列車」
大都会が「眠らない街」を目指し、「夜型人間」が幅を利かすようになって、「終電」時刻は遅く、「始発」時刻は早くなるばかりだった現代。
ふところ具合が温かくなれば、お愉しみの時間も長くなる、わけですが。
いっぽうで
たとえば旅が、いまはずいぶん即物的に、美味いもの喰いと買い物ツアーに傾いて、ロマンやノスタルジアやドリームとは縁遠くなるばかりに思えます。
かつての鉄道(国鉄)には、「夜行列車」花ざかりの時代があって。
特急や急行の寝台列車、暗い車窓から沿線民家の灯りを遠く眺めるのは、特別な夜のすごし方。ときに映し鏡にもなる窓ガラスはポエティックでもありました。
「夜行列車」というのは、もともと、昼夜を通して走らないと目的地に到着できない長距離列車のこと。
ですから日本でも、新幹線網や航空路網が発達するまでは、重要な長距離の移動手段で。その運行形態は、各駅停車の普通列車にまでおよんでいたものです。
ちなみに、いま、ぼくの手もとにある交通公社の『時刻表』1972年3月全国白紙ダイヤ大改正号(東海道新幹線が走り出して8年後)を見ると。
東海道本線の「下り」には、東京発23時35分大垣(岐阜県)行き普通列車、通称「大垣夜行」というのがあって。なんとこの電車は、横浜で日付が変わったあと、翌朝07時10分に大垣に着くと、そこから先は7時14分発西明石(山陽本線、兵庫県)行きに接続する、超長距離便(逆コースの上り便もありました)。
この夜行列車の歴史をさかのぼれば、前身(1968年まで)は…東京-大阪間ともっと長距離走者でした。
そうして、この「大垣夜行」のその後は、旅行事情の変化をうけて96年に全席指定(新型車)の「ムーンライトながら」へ、さらに09年には定期運行から「臨時列車」への変転を経て、コロナ禍中の20年3月後には運行終了になりました。
この背後には、深夜便の乗客が高速バスにながれた事情もあったのです。
いま当時をふりかえると…
じつは、東海道本線の「終電」はこのあと、23時56分発の小田原行き。
学生時代、神奈川県川崎市に住んでいたボクは、どんなに呑んだくれても大垣行き電車には乗る、とキメていました。終電の小田原行きは最後の砦です。
「大垣夜行」には、遠くても小田原あたりまでの通勤・通学客のほかに、中京・関西圏へ用向きの客などもあって、車内は日常・非日常が交錯、ふしぎな空気につつまれていたものです。そんな縁から、ぼくも、こころみに東京-西明石を乗り通したことがある。安い普通運賃で、西明石に着いたのは翌日11時01分でした。
学生時代、甲斐・信濃路の山歩き。「夜行日帰り」の定番は中央本線の夜行列車。
急行もたくさん走っていましたが、安く連れて行ってくれるので、ありがたかったのは新宿発23時55分の長野行き(終着翌11時11分)でした。
憧れの〈北の大地〉北海道へは、東北本線の夜行列車。
津軽海峡のトンネル未だ通じず、青函連絡船に頼るしかなかった頃、時間と宿代を節約する最上の手段は、夜行寝台列車で青森、翌朝の船に乗り換えて海を渡ること。
特急より運賃の安あがりな急行には、「八甲田」と奥羽本線回りの「津軽」、そして常磐線回りの「十和田」。いずれも長旅には疲れました、けれどもドキドキ、なにしろワクワク。
いまも、これらの夜行列車と同じようなかたちで運行されている「終電」近辺の電車はありますが。世の中のありようも車内のふんいきも、まるで違います。
それをコトバにすれば、「非日常の旅」であり「とくべつな夜」だった、ことになります。
夜を忘れる…ふだんの「終電」は早めにきりあげて、とくべつな夜を愉しむ「夜行列車」(それも超高級版にかぎらない)に旅情〝復活〟をもとめる。
そんなのも、ちょっといい感じ…に思いませんか。