どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

◎新幹線〈酒〉類の車内販売休止…のこと / ぼくらが生きる〝新コロ〟後の〝新来〟社会(9) 

-No.2708
★2021年02月19日(金曜日)
★11.3.11フクシマから →3634日
★延期…オリンピック東京まで → 155
★旧暦1月8日(月齢7.3)
※次回は、2月23日(火=天皇誕生日)の予定です※






◆旅は鉄道…友は酒

 ぼくにとって久しぶりの九州、長崎行きは1997年(平成9)5月のことだった。
 この年は、東京 - 博多間を直通する「のぞみ」が運行を始めたばかり、最速4時間49分には隔世の感があった(山陽新幹線の博多まで開業が75年、旧国鉄の分割民営化87年=昭和62年)のを、よ~く覚えている。それこそ、日本地図を鷲づかみにされて縮まった気さえした。
 
 しかし
 九州新幹線開業(2011年開業)も、長崎新幹線(22年一部区間開業の予定)もまだない当時、九州はやはり遠かった。
 …というのも、飛行機で運ばれるのを好まないボクは、できるかぎり鉄道・バスか船で移動することにしていた。その方が気もちがいいのだから、いっこうにメンドウには思わない。

 長崎へは博多から特急列車、諫早までは2時間弱。
 ほぼ1日がかりで出かけて行ったのは、諫早湾に人為が招いた罪業を見とどけておきたかったから。 
 
 なぜ諫早湾か?
 そこに、その春4月、国による「潮受け堤防の水門閉め切り」という深刻な事態が勃発していたからだ。
 ニュース映像で全国津々浦々にまで伝えられた、その「ギロチン」とも呼ばれた酷〔むご〕い行為が、ぼくには水俣湾でおきたメチル水銀中毒の公害事件「水俣病」とかさなった。
 これを描いた石牟礼道子さんの『苦海浄土』が出版されたのは1969年、荒れた70年安保の前年のことだった。

 水銀中毒の水俣病と、水門閉め切りの諫早とに、直接のかかわりはない。
 けれども、どちらも結果、理不尽きわまりないことに変わりはなく。諫早干拓の結果おきた水門閉め切りが、農地を得た農民と漁場を失った漁民との…どちらにどうだったのかを、公平に検証することもむずかしいのだ、けれども。
 
 駅からはタクシーを頼んで、連れて行ってもらった干拓地。
 すっかり水の引いて干上がった泥土に、漁り舟の錨がとりのこされ、わずかに泥色に染まった小蟹が蠢くだけの広がりは、ここも〝苦海〟にちがいなく。陽に焼かれた潮水の生乾き、半ば腐れた臭いを押し隠していた。

 その向こうに遠くバリケードをめぐらす、閉め切り水門の鉄壁の扉の連なりは、いみじくも「ギロチン」の呼び名のとおり、人間所業の惨たらしくも浅ましい、森羅万象に対する反逆にほかならないことを物語っていた。

 カタマッテいる吾が身に気がついて、喉を大きく開いてはみたものの、ついに叫びの声にはならず。
 憮然として、水門に背を向けたボクは…

◆帰りの列車で呑んだくれた

 ぼくは、とんぼ帰りの列車に乗る前に、駅の改札わきの小さな売店カップ酒を買った。
 (呑んでやろう)
 窓ぎわに席をしめ、カップ酒を窓枠に置いた、途端にキメていた。 

 「ワンカップ大関」に、つまみは「都こんぶ」。
 「ワンカップ大関」が売り出されたのはたしか前回オリンピックのあった64年、ぼくが呑み始めた頃にはもう売店で待っていた仲。いまは各地とりどりの蔵元から、カップ酒が旅の友に売り出されているけれど、最初の全国区のカップ酒はコレ。

 1合のカップ酒は、1本でほろ酔いかげん。
 これを東京駅に着くまでに10本、つまり1升呑んでやろうか…と。
 窓枠に沿ってズラッと並べた図…を想像すると、向かいの領分までいきそう。
 (そりゃ流石にヤバかんべ)
 と思う間に1本は空…で、車内販売が来るのを待って次を買う。

 むちゃ酒。ひとり酒。わるい酒。
 がってん、しょうち之介で呑む。
 暮れなずむ車窓の向こうに、閉め切り水門「ギロチン」がつづけざまに落ちていく映像、脳裡に睨んで無言で呑む。

 博多で新幹線に乗り換えるときには、迷わず、売店でもらったビニール袋に空きビンを移し入れて移動する。凝り性の意地だった。
 通夜の酒…を想って呑む。
 邪魔する人もなく(アタリマエか…)、ひとり酒に酔う。

 7~8本は呑んで、名古屋をすぎた頃に、携帯にバイブの連絡あり。
 あらためて車内電話からかけ直すと、女友だちの陽気な声。大学同期の「呑み会なのよ、来ない?」と言う。きゅうにドッと酔いがキタ感じ。
「わるいな。もう、したたかに酔って候。そっちに着く頃には店も閉まって候」
 
 結局、窓ぎわにズラリ1合カップ酒ビンの列は1升には及ばず。
 まだ「若い酒」のボクは、足どりフラつくこともなく、「ギロチン通夜酒」からぶじに帰宅した。

◆あれから早や20余年…

 JR東海は、「新型コロナウイルス感染拡大防止対策」として、1月21日から、東海道新幹線車内販売で酒類の取り扱いを休止することにした、と発表。
 ぼくを驚かせたのは乗客の反応で、68.0%が「賛成」だったという。

 裏事情としてはその一方で、駅売店などでの酒類販売は続け、乗客が酒類を車内へ持ち込むことへの制限はない、のだったけれど。
 (それにしても…)
 「乗り鉄=呑み鉄」派のボクには、隔世の感つよい。

 ぼくはいまでも、長旅ならカップ酒を友に、だし。ふだんのショート・トリップ、小田急ロマンスカー新宿-町田でも、缶ビールの一杯かかせない、が。
 あきらかに同好の士が、年を追って少なくなっていくのを痛感しており。
 さらには、海外事情にくわしい友によれば「トレイン・ドランカーはそれだけでマイナス評価」だと、「スモーカーとおんなじ」と断言する。

 されど、吾は酒神バッカスの流れを汲む者。
 この世を渡るにゃ酔って候…くらいがよく候…
 しつれい…ごめんくだされ…