どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

◎紙ヒコーキよ蒼空に高く舞え! / ぼくらが生きる〝新コロ〟後の〝新来〟社会(6)

-No.2691-
★2021年02月02日(火曜日)
★11.3.11フクシマから →3617日
★延期…オリンピック東京まで → 172日
★旧暦12月21日(月齢19.9)
※次回は、2月5日(金)の予定です※








◆「紙飛行機」用の紙を買った!

 ナント…70を超えた齢になって初めてのことだった。
 ぼくたち世代(これはイマだってチガウまいとは思うのだけれど…)、紙ヒコーキは適当な厚みの広告紙か、良くて裏は白地の「色紙」なんかを折ったもので。少なくとも「紙ヒコーキ用」の紙を買うことなど考えられもしなかった。
 だからこそ流行った「子ども遊び」の定番アイテムでもあったかと思う(いまどきはもう、なぜか紙ヒコーキ遊びそのものが流行らない!)。

 ともあれ
 ぼくが初めて買った、正確には「紙飛行機用の専用紙」とは、いかなるものであったか。
 それは、老舗のあれこれ印刷屋さんが試行を重ねた末に開発した、折り方(設計図)付き「専用紙」。それも、いまどきハイテク全開の大都会発じゃない、四国の片田舎(失礼…)高知県中央部の山間。
 土讃線に「伊野」駅というのがあり、「紙の博物館」や国道194号沿いには道の駅「土佐和紙工芸村」がある和紙の里「いの町〔ちょう〕」在。
 名前が、これまたよくて「大国〔だいこく〕」印刷所と謂う。

 「紙ヒコーキ」専用紙を自社開発することになったのは、日々さまざまな紙とふれあう仕事柄…と、ごく自然のながれで。要は「紙ヒコーキ」好きだったに相違ない。
 そのへんの事情は、長年、出版の世界でメシを喰ってきたボクなんかには、ヨ~クわかるものがあって。紙は、木と甲乙つけがたい「可能性の宝庫」、触っているだけで想像力を刺激される。

◆目敏〔めざと〕く見つける

 それにしても、ある日の新聞家庭欄に小さく紹介されていた記事に、それこそ吸い寄せられるように目がイッた! というのはサスガ(吾ながら子どもっぽい趣味人)と言うべきか。

 記事をたよりに、ネット検索すれば、すぐに見つかって。
 通販サイトでも求められるようになっていたけれども。こういう場合は直接、会社に注文するのが、ぼくの流儀。

 それが、いまから思えば「新コロ」感染の波、ヒタヒタと押し寄せ始めていた、まだ年が明けて間もない昨年1月末の頃…だった。
 そうして、手もとに品物が届き。趣味の時間で製作にとりかかったのが、中国武漢からの邦人救出作戦やら、〝集団感染〟豪華クルーズ客船「ダイヤモンド・プリンセス号」横浜入港やら、さらには小・中学校の全国一斉休校やらの事態になった、パンデミック前夜の2月も末頃という、なんとも劇的な舞台装置での巡り合わせ。

 それでも、じつは…その頃はまだ。
 こうした〝警戒〟情報にアンテナの感度わるくないはずのボクでさえ、内心(なんだかなぁ…あぶなっかしいなぁ)とは思いつつも…まさか…これほどの緊急事態になろうとは思い及ばず。だった。
     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
 想えば……
 ヒトにはダレにも、生まれ、育っていく過程で、いつか知らぬ間に手に握らされてしまう、「不安」というやつがあって。その究極が「死」にチガイなく。
 この国の憲法でも「生存権」は第25条に定められているのだけれども。

 そのカンジンの国が、国民を、少なくともイタズラな「死」からは守るべく努めてくれているか…といえば、これがナントも心もとない「不安」の最たるもの…と。
 これまた、いつか知らぬ間に思い知らされてもいる。
 
 先の大戦、酷すぎた敗戦から75年、さいわい戦争はなくてすぎた…とはいえ、薄氷を踏む想いのモトには厳として、〝災害列島〟に棲み暮らす自然・環境・地理条件があり。それだけでも、どれほど「不安」であることか。
 
 10年前の東日本大震災+フクシマ原発爆発事故でも、アレほど舐めさせられた「脆弱」と「辛酸」の巷に、こんどはまた、カタチを変えた感染症の脅威に怯えている。
 ダレがそれを正しく知り、行く先ドコに導こうとするのか…も「不安」なまま。

 …というわけで。     

◆こんどの「紙ヒコーキ」づくりへの回帰も

 そんな「不安定」な気もちが、むかし懐かしい素朴な「遊び」世界へと、ぼくを誘ったものかも知れなかった。
  ……………

 というのは、こんど初めて買った「紙ヒコーキ」専用紙を目の前にして、ぼくの脳裏には、ありありとよみがえる想い出があった。
 (紙ヒコーキについて、前にも語った記憶)
 ひもといて(検索して)見ると、それは3年前17年8月の記事。
 以下に、ご紹介しておきたい。

『紙ヒコーキ…うずうず本能くすぐる男の子の遊び
 ~ほかには、なぁんにもない、その魅力~』

 男は、永遠の遊びっ子。
 放っておいたら、死ぬまで厭きない。
 だからこそ、その誘惑から逃れるため、仕事に没頭する。

 ほかには「なぁんにもない」のが、じつは
 紙ヒコーキ遊びの魅力!

 想い出す…
 最初に飛ばした紙ヒコーキは、「やり」と呼ぶやつ。
 名前のとおり、槍みたいに真っ直ぐ飛んで、それだけだったのに不満があった。

 次に飛ばしたのが、槍の頭に耳(小翼)を付けた「いか」。
 これは、飛びながらちょっと浮いた。

 なにかの本で教わった「つばめ」には、もうビックリ。
 クルッと宙返りして、ブーメランみたいに戻ってきた。

 やがて滞空を競うようになって、「へそ」にいきつく。
 「へそ」はきっと、「重心」を意識した名だったろう。
 飛ばしては追いかけ、ずいぶんアレコレ工夫を試みたものだった……
 
 けれども、それだけ。飛ばして、浮かす。
 ほかには「なぁんにもない」のが、「紙ヒコーキ」遊び。

 上品にいえば「折り紙飛行機」。
 イギリスの子ども遊びの本には、はじめ「ペーパー・ダーツ」と紹介されていたそうだから、やっぱり「やり」から始まっていた。
 (紙ヒコーキの基本の型と進化ばかりは、どうやら不変のものらしい)

 材料の紙は、「ざら紙」とも呼ばれた「藁半紙」。
 ぼくら戦後すぐ世代の子ども時代は、なにしろ〝くすんだ〟色の紙ばかりで、それさえムダには使い捨てできない、ましてや〝白い紙〟はそれだけで憧れ。
 遊びの紙ヒコーキ用には、広告紙でもなんでも使ったが、正直、使い勝手のいいものではなく。
 いまなら「軽くて、丈夫で、腰のある」紙は選び放題だろうが、ぼくらの頃は「折り紙用の色紙」が最上品だった。

 つぎに、紙ヒコーキ遊びにも進級があって。
 2階建ての校舎では低学年は1階、高学年になると2階に上がれた。
 だから低学年の子らにとっては、2階の教室窓から紙ヒコーキを飛ばせる高学年は憧れであった。

 しかも、なお、世の中は嗚呼…無常。
 やっと2階に上がる頃には、「折り紙ヒコーキ」から「組み立てヒコーキ」に興味が移っている。

 組み立て式というのは、ケント紙のような厚紙から型を切り抜き、貼りあわせて胴体や翼を作るわけ…だが。その機体の設計がむずかしいので結局は、縁日や玩具屋で買ってもらう「できあい」品、頭に鉛の錘が付いたヤツの方がよく飛ぶのが、興ざめでもあった。

 次の進化が、いよいよ最上級。
 工作用の角材でつくる機体、竹ひご細工の翼に、薄紙を貼る「模型ヒコーキ」へと遊びは進む。
 この模型ヒコーキには、プロペラとゴム動力が付いて、よりホンモノらしく。
 しかも見上げる空高く、惚れ惚れするほどよく飛んだ。

 ここで
 個人的な事情をいえば、ぼくの場合は、小学校卒業が転機になって、紙ヒコーキの世界からは遠ざかることになったのだが。
 なお童心を抱きつづける向き、あるいはまた、航空力学研究の分野から紙ヒコーキに惹かれる向きも、少なからず。

 折り紙飛行機の「飛行距離」と「飛行(滞空)時間」には、ギネスブックに世界記録(いずれも室内)の登録があるし。日本紙飛行機協会主催の「全日本紙飛行機選手権大会」というのも存在する。

 しかし……
 この世界、いまだに女性にはあまり人気がないらしい。
 というより、なにより。
 あいかわらず「男の子の遊び」でありつづけるのは、「飛べ」それだけ。
 ほかには「なぁんにもならない」のにネツを上げるところが。
 いかにも男っぽく、無駄っぽい!

◆専用紙ヒコーキは、空高く舞い飛んだ!が…

 話しが…思いのほか長くなってしまった。
 これも「紙ヒコーキ」愛ゆえ、お許し願いたい。

 ともあれ、そういうわけで。
 高知県いの町、大国印刷製の「紙飛行機専用紙」。
 ぼくが購入したのは、屋内用「ハイタカソニック」(写真=上左、「やり」型)と、屋外用「ハイタカジャイロ」(写真=上右、進化型)の2種類。
 いずれも4枚入り用紙の、ぼく用に2枚ずつ、あとの2枚ずつは、小学校で子どもたちに手づくり遊びの指導もしているという、友人Sくんにプレゼント。

 ぼくの、(かなり長きにわたる休眠期間を経て後のいってみれば出戻り)「紙ヒコーキ」づくりは、最初の1枚で試作。もう1枚で本番を仕上げた。
 わが家、狭い室内でのテスト結果もオーケー。

 …で、さて(どこで飛ばそう)、気づいてガクゼン、なんと飛ばす場所がない!
 ぼくも地元の小学校で「木工教室」指導の経験があるのだ、けれども。なにしろ時悪しく、学校が一斉休校中では、体育館も校庭も借りられない。
 そうなって初めて、ぼくは、いまどきの世の中どこにも、自由に「紙ヒコーキ」を飛ばせる空間などない…ことを思い知らされた。
 (嗚呼、無常にも無情!)

 それでも折角、専用紙を折って仕上げた「紙ヒコーキ」を、この蒼空に飛び舞わせたい、一念の結果。
 まぁまぁ、あまり傍目〔はため〕を憚〔はばか〕らずに飛ばせるところは、わが家近くにある公園のほかにはなし……

 思いきわめた、翌くる朝、早く。きれいに晴れ上がった空に励まされて、公園広場へ。もうパラパラ、早起きの子が遊びに来てはいたけれど…ままよ。
 吹いて来る風の向きをたしかめ、思いきり腕をひねって、紙ヒコーキを蒼空めがけて投げ上げた、ところ。

 (おっ…のったゾ!)
 「ハイタカジャイロ」(屋外用)は、はっきり〝滞空〟態勢にあり。風のぐあいもヨカッタのだろう、ゆっくり左旋回して、一度はさらに高度を上げさえして。もういちど左旋回してから、ゆっくりと着陸態勢に入った。

 この間、30秒を軽くこえていたことに、ぼくは深~く感動の子。
 アトになって、いまの飛行を映像に撮っておかなかったことに気がついた…けれど。満足…ゾク…ゾク!
 結局、それっきり。いまの子どもたちの目を惹きつけることもなかった…一抹の寂しさ心にのこして、公園を後にした。
  ……………

 それっきり、「紙ヒコーキ」は〝駐機〟のまま。
 いまも、車で出かけるときには同行させるが、出番は見い出せない。
 友からも「試験飛行成功」の知らせがあったきり。

 だけどさぁ…
 ぼくは、ふと空を仰いで想うのだ。
 この「新コロ」渦中の、子ども「遊び」世界にこそ、「紙ヒコーキ」遊びほど相応しいものはない…んじゃないだろか!
 たとえ遊び仲間があっても、究極「ひとり宇宙」の「紙ヒコーキ」遊びに、「密」はありえない。

 教えてやっておくれよ! 現役の子どもたちに。
 「子ども遊び」先輩、「永遠の遊びっ子」大先輩たちよ!
     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆


 おしまいに…
 いまどきは流行らない、かに思われがちな「紙ヒコーキ」遊びも、けっしてオタク文化・博物館入りしてしまったわけではない、証拠の施設をひとつ、お知らせしておきたい。

 紙ヒコーキ遊びのための「紙ヒコーキ・タワー」を持つ町がある。

 そこは広島県東部、岡山県との境にある神石〔じんせき〕高原町は、その名のとおり、中国山地から南にはりだした標高400~500mの高原地帯。
 世帯数が4,000ちょっと、人口9,400人ちょっと、町の木がヤマボウシという、それだけでもホッコリ、川の源流部に位置する農山村の気色が目に泛ぶ。

 (じっさい、山帽子とも山法師とも書くヤマボウシは、ミズキの仲間で、初夏の緑の山肌を明るく彩る、花のように見える苞が白いベレー帽のような、じつに可愛らしく好ましい落葉の樹だ)

 豊松地区の米見山(よなみやま=標高663m)、山頂公園に立つ塔の高さは26mの5階建て。
 この「とよまつ紙ヒコーキ・タワー」、ぐるり360度を見わたせる展望台から、思い思いに自作の紙ヒコーキを飛ばせる。
 入館料、小学生以上300円には折り紙(エコ用紙)5枚付き。
 もちろん、折り方も教えてもらえる。
 大山や比婆山など中国山地の山々を望む高さからは、朝の雲海眺望という愉しみもある、そうな。

 記録会も開催されているそうだ、けれども。そんなことより
 「紙ヒコーキ」がウマく気流をとらえらえたときの、あのワクワク浮揚感を、もういちど童心によみがえらせたい。

 子どもたちに混じって、大人たちにもケッコウ人気がある…というから、コッソリ感も無用。
 紙ヒコーキにする〝エコ用紙〟は、回収できない遠くまで飛んでもサトウキビが原料だから自然に還せる。
 (知ってる!?、サトウキビで漉いた紙ってサ、紙ヒコーキの浮力・揚力のつよい味方でもあるんだゼ)