◎〝頑爺〟どこ行く、このコロナ禍… / ジョーダンじゃなくなって師走ちかづく!
-No.2621-
★2020年11月24日(火曜日)
★11.3.11フクシマから →3547日
★延期…オリンピック東京まで → 242日
★旧暦10月10日(月齢8.9)
◆「新コロ」感染〝高止まり〟
…傾向がつづいた先月(10月)中旬。
予測される冬の感染拡大期を前に、(いまのうちに)と思った。遊びなら控えるところだ、が…〈自粛〉にも限りがあり。先の見透しもたたない。
すでに〈遠(年)忌〉になっている、父33回忌と母23回忌の法要。
11月22日の日曜日(3連休の中日)に決めて、まずは、根まわしの連絡。
集ってもらうのは近親(姉一家)のみとし、お坊さんに来ていただいて、わが家で法事を営ませてもらうことにして。準備の手筈を整え。
これで年末にむけての懸案は(のりこえたか)と思った。ところが…
状況は2週間後に一変。
「新コロ」感染拡大は、最前線の堰を切って落とし。
にもかかわらず、国の対応あいかわらずニブイまま一向に決然とはせず。
「不要・不急の(とくに高齢者の)外出はひかえて」「三密にならない心がけを小まめに」と、国民の〝自助〟要請ばかりでは、世の中、不安な空気に覆われるばかりで、どうにもならない。
一気に、東京都を筆頭に全国的に新規感染者が大幅増。
なお確認のため、さらにもう1日の様子を見たけれど、大勢に変わりなく、19日(木)に法事の中止を決め、即、しかるべく連絡をした。
その週の始まりの16日(月)に、ぼくは、じつに暗示的な光景を目にしている。
それは、昨夜、寝つきがわるかったために寝坊して迎えた朝もすでに遅い時刻。
寝室から階下へと降り、冬とは思えない溢れんばかりの陽光まぶしく射し込む部屋に入ると、細かい埃の粒々がゆらゆらと無心に舞い遊んでいるのに、不意をつかれて吾を忘れ、茫然キョトンと目を奪われた。
この場の情景を、もう少し正確に描写しておくと。
リビングの、ぼくの定席から正面に眺められる隣室。南側の、床まで大きな開口のガラス戸越しに、冬の斜にかまえた朝陽が、真っ先に差し込む部屋があり。
そこに、太い帯になった陽光のなか、埃の粒々の踊り子たちが空気の対流に身をまかせて舞っていた。
誰か(カミさんしかいない…が)通ったあとらしく、気ままに活発なうごきがオモシロくて見飽きない…。見惚れているうちに、ぼくは気がついた。
細かい埃の踊り子たちのダンシングは、待てども待てども、冬の乾燥して軽い空気のせいもあろう、いっこうに止む気配がなく。いまは動く者とてない部屋に、空気の対流はその後も繰り返し、不規則につづいて踊り子たちにダンシングをうながしつづけた……
ぼくが、そこで凝然となったのは。
この埃の粒々に、「新コロ」ウイルス舞踊団が混じれば、どうなるか!
いうまでもあるまい、そこに感染舞台の準備は完了する。
「新コロ」パンデミックから、ほぼ1年が経って。
はじめて…といっていい。感染ルートの、いわばスクランブル交差点にもいうべきところにスポットライトがあたるのを、ぼくは吾が眼に目撃した。
ぼくは、いま、法事の中止、決断をしてヨカッタと思えた。
翌20日(金)。ぼくたちは、すでに予約注文してあった供物や引物を受けとりに行き。翌々日には、中止の謝辞を添えて荷造り、発送を終えた。
ホ~~~ッと長い溜息ひとつ。
とりあえずは、仏壇まわりを主に、法事にあわせてとりかかった清掃はこのまま、急かずにつづければ年末の大掃除はするまでもあるまい、それだけは気が軽くなっている。
3連休は、紅葉の古都京都の、ひさかたぶりの大混雑ぶりをテレビ画面で確認。みずからはきっと、シブい笑顔になっていることを、これも確認。
いっぽうでは、また。
ぼくは、ことし年明けのクルーズ船横浜寄港から始まった「新コロ」パンデミックの後…を考える、下敷きのメモを書き溜めてきて、その項目が30になることも確認している。
年明けからは、月に1度くらいのペースで『新コロ後のこころ(仮題)』をまとめていくことにしている。
来年に延期のオリ・パラの行く末は、まだ知れない…が。
これだって、〝延期〟の時点ですでに〝冷めたスープ〟であることにチガイはない。折々に「新コロ」模様の推移とともに見ていけば、世の中がよりワカリやすくはなっていくのだろう。
とりあえず、この年越しと正月は、基本。
気もち「ローリング・ストック・デイズ=ハイ・ランク・バージョン」で、控えめ気もちゴージャスに、すごすことにしている。
もちろん正月2日は、箱根芦ノ湖畔へ箱根駅伝往路の応援に行くつもり。