どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

◎「新コロ」禍中…の三浦半島へ /        ひと夏のおわりを見とどける(後編)

-No.2540-
★2020年09月04日(金曜日)
★11.3.11フクシマから → 3466日
★延期…オリンピック東京まで → 323日
★旧暦7月17日(月齢16.0)






※9月2日の(前編)のつづき

◆〝ボトルネック〟の観音崎

 (とろり)と眠気をもよおす午後。
 ぼくに、ふだん昼寝の習慣はない…のだけれど、猛暑の真夏だけは別だった。
 これは、子どもころからそうだった。昼飯は昼寝の前奏曲でさえあった。

 ホテルのチェックインは午後3時。
 まだ、その時間までには間があったが、
「海風のテラスでお茶にでもしようか」
 ぼくの提案のウラには、(横になりたい)欲が勝っていた。

 贔屓にしている観音崎京急ホテルの道をはさんで斜向かいの、自然公園内に横須賀美術館があり、そこの浦賀水道に目前にしたレストランが極上のビュー・サイトでもあるのだった。
 なにしろ、(すぐそこにベッドが待っている)ところまで近づいておきたかった。

 半島のメイン・ロードに出ると、そこには、ついさっきまでは見られなかった渋滞気味の車列が待ち構えており、これでやっと「夏休み最後の日曜日」らしくなる。
 相模湾側から浦賀水道側へと下って、ふたたび三浦海岸の海水浴場。
 午前中に通ったときは空いていた同じ道が、こんどはみごとにヴァカンス・ムードいっぱいの大混雑。浜は人、海はサーフ・ボードが溢れかえっていた。

 半島の、狭い浜伝いには駐車スペースも極く限られているから、車窓から眺めるだけ。仔細はわからないけれども、〝三密〟のうち「密集」と「密接」の2つは充たしていると思われ。
 明らかに、このとき、人々の頭から「新コロ」は雲散霧消していた。
 集団になったとき、ヒトの行動心理は実〔げ〕にムツカシクもオソロシイ……

 しかし、この混雑&渋滞のおかげで、はからずも余るはずだった時間は消費され、ホテルに着く頃にはチェックイン・タイムになっていた。
 首都近郊のリゾート・ホテルは、予約でほぼ満杯の盛況。ぼくたちには「Go To   トラベル」の恩恵はなかったが、受益組も少なくないらしい。

 プール・サイドには、いま人気の「グランピング」小屋が3棟。「シーサイドBBQステイプラン」客でもあろうか、家族連れが芝生で、はしゃぎまわっていた。
 「グランピング」というのは、寝泊まりするスペースだけは戸外の小屋で、あとはすべてホテルのサービスを利用する…という、お手軽キャンプ。テントを張ったり火をおこしたりが苦手なパパ族にウケているらしい(とうぜん、アウトドア派のボクには経験がない)。

 ともあれ
 ぼくたちは、このホテルがお気に入り。とくに2011年、東日本大震災の被災地東北巡礼が始まってからは、長旅のあと〈癒しのひととき〉の定宿になっていた。

 ご存知の方も少なくない、かと思う。
 ここ三浦半島観音崎は、対岸、房総半島の富津岬との間に挟まれた浦賀水道の〝隘路〟、いわばボトルネックにあり。おかげで、東京湾に出入りするさまざまな船舶の航行が間近に望める。
 世界には、ほかにも絶景の海峡は多々あろう、けれど、わが家からもほど近いところに、この心和む景観はありがたかった……

◆水道の西空に夕焼け燃える

 ゆったり「風呂に入ろう」それが目的でもあった。
 ホテルの別棟、温浴施設「SPASSO」は日帰り入浴もできるので、行楽客や近在の漁家からも湯浴みに訪れる人が多い。

 客足が増すのは、午前中と夕方。いま「新コロ」禍中では、いうまでもなくマスク必装、ときに「入場制限」がかかるおそれもある、とのことだったが。
 幸い、それはなくてすみ、男湯には思ったほどの客はなく。
 スカッと高く抜けた天を仰いで、露天の湯に浸かると、目の前を色とりどりの船が往き、空には羽田・成田発着の機影がよぎる。
 
 (この解放気分…何年ぶりか!)
 感慨も、しぜん、大袈裟にならざるをえなかった。

 ロビーに出たら、もう、かみさんは湯上りの汗を拭っていた。
 女湯の方は浴客が多くて、コワいから湯舟には浸からず、「身体じゅうをていねいに…ねぇ、2度もよ、洗って出てきちゃった」という。
 彼女は、浴場での感染をもっともオソレていたので、気のどくだったけれども、やむをえない。

 部屋に戻って、大窓ごしに波静かな浦賀水道を往く船を肴に、あらためてビールで乾杯。
「ほんとに、のどか…よねぇ」きょうは、そればっかり。
 空気に湿気が少ないから、あいかわらず暑い陽の、午後になっても景色はクリアさをうしなわず、白雲の峰がキラキラ目を眩ます。
  ……………
 やがて、正面の西の空に、雲のいたずらなスポット効果のなか、〈さよなら夏休みショー〉の夕焼けに魅了され。
 出船・入船の影も、日暮れとともに淡く黄昏てきた。

 メイン・ダイニングでの夕食。
 テーブルに設置された感染防止の透明アクリル・ボードが、「新コロ」時代の食卓をシッカリ意識させる。
 ぼくら爺っちゃ婆っちゃ、いまの日常には馴染みのない風景だった…が、これが〈ふだんの風景〉になるのだけは、とても耐えられそうにない。
 どうしたらいいのか!? ここが智慧の絞りどころダ。

 食後は、わが部屋の俄かバーで、赤ワインに酔う。
 テレビの画面には、退陣表明した安倍総理の後任選びや、あいかわらず「新コロ・パンデミック」の特集番組が…まるで他所ごとかナニかのように映っていた……

◆湘南の海辺も…特別なひと夏にお別れ

 翌朝。観音崎の空は、高曇り。
 水平線の白雲の連なりには「また来年の夏ね」と、早や、再会のメッセ―ジでも書かれたかのごとく。
 ここに来たら日課の、渚のウォーキング後もさっぱり、汗が少ない。
 サービス・チェックアウト・タイムは11時。

 帰路は、半島の相模湾側、渚づたいの道をゆっくり走ってみる。
 佐島…長者ヶ崎…森戸…葉山…逗子…鎌倉…
 (終わったネ)
 どこの浜にも、のこるは〝名残り〟の客ばかり。
 マイカー・ドライバーを悩ませつづけたろう、狭っ苦しい道も、心なしか涼しげに風が通って見える。気がつけば、秋の彼岸も近い。

 滑川のT字路で、湘南の海にお別れ。
 若宮大路から鶴岡八幡宮、雪の下から建長寺円覚寺
 道すじのどこにも、すでに〈ふだん〉が戻っており。通りすがりには「新コロ」第2波、主役のウイルス、どこに潜んでいるのか…窺えもしない。

 きのう日曜日、家を出る頃に、熱帯低気圧から台風10号に、一挙に急成長した不気味に巨きな雲の渦。
 気象庁からは「特別警報級の猛烈な勢力」、「最大級の警戒を要する」警告が早々と発っせられた。

 じつは、この酷暑の夏に幕を引いてくれるのは秋迎えの台風だけ…と秘かに期待していたボクだが、それがいささか「張り切りすぎ」みたいになってきたのが、こんどはにわかに、シンパイになってきていた。

 「新コロ」感染列島は、それ以前に「自然災害列島」なのに。
 この国の政治は…こんども…どっか、そっぽを向きっぱなしだ……