◎「新コロ」禍中…の三浦半島へ / ひと夏のおわりを見とどける(前編)
-No.2538-
★2020年09月02日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 3464日
★延期…オリンピック東京まで → 325日
★旧暦7月15日(月齢14.0)、満月
◆8月30日(日)、三浦半島へ…車で
「新コロ」禍中の夏休みが、いかなるものであったのか…を、確認しに。
サマー・バカンス、シーズン中のお出かけは、朝早くからエンジン始動しておかないと、なにかとゴタついて1日を気もちよくすごせない。
…ハズなのに、なぜか身体が言うことをきかない感じで、出遅れ、ついでに忘れ物を想いだしてわが家へUターンまであったりした。
慣れているはずの〈外出モード〉のオイルが、みごとに劣化していた。
にもかわわらず…
国道16号、保土ヶ谷バイパスから横横(横浜横須賀)道路、町田のわが家からのルートに、車列あきらかに少なく。渋滞の覚悟、みごとに肩透かしを喰らう。
みんな通りすぎたあとか…あるいは誰もが出遅れたか…ワカラない。
三浦海岸の〝海水浴&サーフ銀座〟を走り抜けたが…浜に人影もボードも(アレマ!)と少なく。静かな波の煌めきばかりが眩しい。
(のどかだ、ねぇ~)つい、助手席のかみさんとハモってしまう。
ふだんの夏なら、渋滞の車列を縫って人が浜へと流れ、〝芋を洗う〟と表現される人波の間で海が肩身を狭しくしていたところが…だ。
浦賀水道沿いを毘沙門の磯場まで行き、台地の畑作地帯へと上がって風が碧から緑にかわり、無料になった城ヶ島大橋を渡って城ヶ島公園へ。
1日1000円ぽっきりの駐車場が、ぼくらの入場後、間もなく満杯になって、ようやく(夏休みのしめくくり)を実感する。
やっぱり、みなさん出遅れていたらしく、フ…と微笑ましい。
夏の雲にも、すでに秋の気配が滲みかけるこの季節だ、けれども。
湿り気の少ない陽気に、カラッと空は澄み、磯遊びの親子連れの向こうには、房総の山並みがクッキリ望まれた。
城ヶ島の広い園地では、駐車場が満杯になっても、人が〝密〟になることがむずかしい。そんななかでも、親子そろってのマスク姿、そんな世に「必要だからじゃないよ、ひと目があるからさ」という声が多かったことを想い出す。
(TPOだよね)ボクは、歩きだして間もなく、息苦しさとムレに耐えかねてマスクを外した。
昼どきになって、油壷マリンパークに近い、小網代湾のシーボニア・マリーナ、レストランへ。
戸外での〝人混み〟より、ダイニング・テーブルでの会話〝息がかり〟の方が、ずっと気にかかる。食事は、もっとも心もちの緩むときであった。
ふだんからテーブル数も少なく、余裕のある店内は予約客でいっぱい、席待ちになったが、海からの風の流れもよく。くつろいだ気分で外食のチャンスから、どれほど遠ざかっていたことか…を、しみじみ噛みしめる。
マリーナからは、ひと夏のおわりを惜しむかのようにヨットやクルーザーが湾内に繰り出して、子どもたちを遊ばせながら、大人たちもそれぞれ、たっぷり水浴びを愉しんでいた。
(のどかだ、ねぇ~)
爺っちゃ、婆っちゃは、もういちど溜息。
こんどは、わざとらしい口調で…すると、お道化たつもりの声音が、おしまいは欠伸まじりになっていて(オォ、マイ、ガッ…)、そのまま天を仰ぐ。
このとき「新コロ」は、どこにも完璧に居場所を失っており……
そうして
ぼくたち、いまの「新コロ」時代に必要だったのは、どうしても遠くへ「ゴー・トゥ・トラベル」だったのではなく、ただ坐りっぱなしでいた姿勢から、息抜き気分転換の軽い運動の時間がほしかったのだ、ということに気がついていた。
(つづく)