◎ひとまかせに流される…とキケンな「緊急事態宣言」/ 時間はできた、考えようぜ…
-No.2392-
★2020年04月09日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 3318日
★延期…オリンピック東京まで → 471日
★旧暦3月17日、十六夜・立待月
(月齢15.7、月出19:34、月没06:07)
◆「自粛」より「禁止」がいい…ホントに!?
7日(火)、政府の「緊急事態宣言」があって、仔細いかなるモノなりやと、こころもち少しは緊張して記者会見を見守りました、けれどもヤッパリ(なんだ、そんなもんかぁ…)気が抜けちまいました。
それにしても、ナゼでしょうね。
安倍首相のメッセージというのは、信頼するにたる発信力には欠けた、ただの伝言にすぎないことに、あらためて驚かざるをえませんでした。
ついでに、カネのかけどころもワカッテない、みたいですね。
「言霊〔ことだま〕=言葉にやどる威」というものがないから、まるで気もちに響きません。
これは一国の宰相として、まことにキノドクなことだと思います、ご本人にとっても、ましてや国民にとっても。
影で、語り口や言葉づかいをアドバイスする補佐役があるんでしょうに…人選ミスですかね。
それは、ともかく。
この「緊急事態宣言」がでたとき、ぼくにも(いよいよ来たな)という、(小さなコウフンを内蔵した)一種フシギな感慨があったことは否定できません。
コレって、いったい、どうした気分のもんなんでしょうか…?
〝国〟ってなんだ?
〝戦争〟はなぜおこる?
考えさせられました……
ぼくもべつに、「緊急事態宣言」を待ってたわけじゃないんです、「遅すぎた」感がつよかったのは、ほかの多くの市民と同じなんです、けれども。
ナニもこれくらいなら「緊急事態宣言」によるまでもない、同じかそれ以上に効果のある施策の手は、いくらでもあったろうにと思うんです。
それより
もっと気になったのが、市民(国民)が、これをどう受けとり、どう感じたか、デス。
真相は、もうしばらく経たないとわからない、わけですけれども。
…じつは
先に東京都から初めて「外出自粛要請」のあったときに、テレビのドキュメンタリー画面で、言い放った若者のコトバが、チクリと胸を突いたからです。
「〝自粛〟なんて、そんなの無理、できっこない。はっきり〝禁止〟って言ってくれりゃ、しょうがない、そうすると思うんだけどぉ」
しかも複数の人が、そんなふうに言いました。
同じニュアンスの言葉(言い方はチガウけれど)に、ぼくは覚えがあります。
それは先の大戦(太平洋戦争)に突入したときのこと、多くの市民が記憶していたのは、
「賛成とか反対とかなかったです、気がついたら、いつのまにかそういう世の中になっていて、次に気がついたらボロ負けしてました、そんな感じで、終わってからが怖かった」
ということ。
戦時中の人たちは、知らぬ間に戦争の〝流れ〟にのせられていました。いまの人たちは逆に、進んでそんな状況にじぶんを追いこもうとしている、その違いだけです。
けれど……
日本人は「まじめで忍耐づよい」といいますが、同時に「あなたまかせで付和雷同しやすい」側面をあわせもちます、ざんねんながら。
こんどの、新型コロナウイルス感染拡大に備える「改正特別措置法(新型コロナ特措法)」に基づく「緊急事態宣言」には、早くなんとかしてほしいから「やむをえない」と感じている喫緊の問題解決のほかにも、政府の恣意的な運用が可能な重大事、さまざまな「私権制限」という、つよい「副作用」が伴うことが指摘されています。
ゲンに首相は、これにからめて改憲の論議を呼びかけています、ヤルことがロコツにすぎる、というか、いま「明日からの生活はどうなる」という非常事態のときに、ナニ寝呆けたことを…です。
しかし、政治家というのは、こういうことは得意ですから、庶民は知らないうちに騙されてしまうオソレがあるわけで、ほかの些細なことのように(まぁいいかぁ)というわけにはいきません。
新型コロナウイルスも脅威ですが、そればっかりに気をとられているわけにも、いかないんです。
ここしばらくは、おたがいさまに気苦労なことですけれども、十二分に気を張っていなければならない…と思う者です。
……………
そういうわけで、これから先しばらくは。
このブログの記事も、「コロナ疲れ」のないように気をくばりながら、つづけていくつもり。
まずは、今回のお話しに関わる記事に、1回おつきあい、いただいてから。
前からのお約束どおり、こういうときにこそジックリ考えておきたい「天皇制」と皇室テーマの話しを2~3回。
それから、せっかく〝できた時間〟を活かして手がける、ハンドメイド・インテリアの話題に移っていこうと思っています。
……ヨロシク……