どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

※新聞「号外」縮刷版に発見した「特鋳」活字… / 「B29」(=米戦略爆撃機)

-No.2394-
★2020年04月11日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 3320日
★延期…オリンピック東京まで → 469日
★旧暦3月19日、寝待月・臥待月
(月齢17.7、月出21:57、月没07:25)





◆「B29」の脅威を活字1文字に凝縮

 街の新聞屋さん(販売店)から、読者勧誘用の「号外縮刷版」をもらったことがありました。

 ちなみに、ぼくがいま宅配購読しているのは「東京新聞」(東京の地方紙)ですが、販売店は全国紙の朝日新聞に委託されています。
 販売委託にも、朝日系、読売系などの〝ながれ〟があるのです、けれども…いまは(そんなこと知らない)人の方が多いんでしょうね。

 …ともあれ、そういうわけで貰ったのは「朝日新聞」の「号外」縮刷版でした。

 「号外」は「発刊番対象」のことで、これは皆さんご存知でしょう。特別な事態が生じたときに別刷りで発行。「特報」とも呼ばれて、たいがいは無料配布されます。
 その縮刷版を通覧すれば、現代これまでの、世の中にあった大きなできごとがざっとワカル、わけですけれども。
 なかでもいちばんに、ぼくの注意をひいたのは1つの活字でした。

 その号外は、昭和20年(1945)5月26日付。
 つまり第二次世界大戦(日本にとっては太平洋戦争)も、敗戦まぢかの末期。物量および機動力にものをいわせたアメリカ軍の空襲によって、宮城(皇居)にも被害があったけれども、幸い天皇やお住まいは安泰であった…という記事。
 無差別爆撃(アメリカ側は〝誤爆〟と報じましたが)きわまった世情がうかがえるものです。

 この日本本土空襲のために造られた…といってもいいのが、大規模焼夷弾攻撃任務の「B29」と呼ばれる「戦略爆撃機」で、1944年ボーイング社製。
 全長100mもある巨大機でありながら高速、しかも航続距離にもすぐれたこの戦略爆撃機焼夷弾攻撃が、ついに日本の〝本土決戦〟を諦めさせ、敗戦を決定的なものにしました。

 昭和20年5月23日の夜間、東京にB29が558機、さらに2日後の25日夜間には498機が大挙来襲した大規模攻撃は、人々を恐怖のどん底に叩き落したのです。
 これが「東京大空襲」。

 その焼夷弾というのが、いま新型コロナウイルス感染で喧伝されている「クラスター」爆弾の元祖みたいなやつで、発火性の薬剤小弾を抱え込んで飛来、着弾すると辺り一面に薬剤小弾を撒布してこれに引火、延焼させる仕組みの酷〔むご〕い兵器。
 爆風と焼き払う火焔と、さらには酸欠などによる窒息死をもたらす仕掛けでした。

 両日とも、折からの強風もあって大火災が発生した結果、市民762人が死亡、64,060戸の家屋が焼失するという、甚大な被害をおよぼしました……

 といっても
 ぼく自身が、このときの本土空襲を体験しているわけではありません。
 ぼくが生まれたのは、このときから3ヶ月あまり後の、8月16日。敗戦の翌日になります。

 ぼくが、ものごころつく頃になってからは、折にふれて、母から「警戒警報、B29来襲」の話しを聞かされました。
 母は、産み月に近づく大きなお腹を抱え、まだ2歳になったばかりの娘(姉)の手を引いて、空襲警報の鳴るたびに、防空壕に身体を押し込むのがたいへんだった…と。
 また、同じ防空壕にいた軍需工場の雇員の人からは、機銃掃射に追われて命拾いした話しなんかも聞かされてね…とも。

 そんな怖ろしい敵機「B29」、新聞活字の文字一画分に凝縮されたのが、上掲「号外」記事の見出しにあり、同じ小ぶりの造り文字は本文1行目下にも見られます。
 この造り文字は、当時、強烈なインパクトをもって見つめられたにちがいありません。

 …が、なぜ、そこに目が惹きつけられたか、といえば。
 ぼくは印刷屋の息子ではなし、長じて印刷仕事を経験したわけでもありません、けれど。
 高校時代に参加した文芸部で、同人誌や学園誌の編集に携わり、その頃の印刷がもっぱら活字(凸版)だったから。
 印刷の主流が現在のオフセット(平版)印刷になるのは、その後のことでした。

 「ひらがな」「カタカナ」に膨大な文字量の「漢字」を加えて、1字1字「母型(活字)」にしていかなければならない、日本語表記印刷の「版組」には苦労の多いこと。
 英語表記を代表とする「欧文」と比べると、それだけでも不利なわけです、が。
 それはさておき…

 活版組では、文章にしたがって1字1字活字を拾っていくわけですけれども、たまたま見つからない(理由はいろいろ)字があったときは、とりあえずナニか適当な活字をひっくり返して、「裏」にして仮に組んでおく。
 結果「ゲラ(校正用ためし)刷り」では、下駄の歯の跡のような黒い「二の字」になる。

 校正作業では、この欠字には原稿どおりの文字に直すように、指定を「朱」書きする。
 これで、ほとんどは正しく修正されるのです…が、なかには、どうしても直らない字がでてくる。それは、ほとんどが「難字」の類いの「稀にしか使われない字」であり、最後はベテランの植字工(活版を組む人)によって発掘されることになるのです…けれど。
 
 それでも、どうにもならない、活字にない「字」というのが出てくる…と。
 むかしは、篆刻(てんこく=印を彫る)のように作ったのだろう、けれど、ぼくたちの頃は「漢字テレタイプ( 自動活字鋳造機)」というのがあって、これで造れた。
 これを、たしか「特鋳〔とくちゅう〕」とか呼んでいたと思う(…でも、これは疎覚〔うろおぼ〕えで、もしかすると、チガっているかも知れない)。

 タイプライターを大型にしたような装置で、これを自在に操る、いかにも〝職業婦人〟という感じの方の指先がやたら眩しくて。
 ぼくなんぞも、なんとか自分の文章に「特鋳」活字を使いたくて、懸命に漢和大辞典をひもといた記憶があります(ただし、その「特鋳」文字がナンだったかは、もう覚えていません)。

  ……………結果

 たいへん、お待たせすることになってしまいました、が。
 まさに「B29」というのが、この「特鋳」活字だったわけです。

 英字の「B」に、半分くらいまで思いっきり平体をかけ(扁平にし)た下に、洋数字の「29」、これも圧縮扁平したのを添えて、いかにも無理矢理に一画に造られた活字に、当時の「無念」と「悔しさ」が思いきっり溢れているじゃありませんか……

  ……………そこで

 こういう苦しまぎれの「特鋳」文字を使わなければならないような、そんな「文化不幸」な国には、二度としたくない…と、ぼくは思う者デス!