どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

◎「新コロ〝濃霧〟」の道を照らすフォグランプ/  点灯中!しばらくは〈模索の旅〉がつづきます   ⑳居酒屋「みますや」

-No.2445-
★2020年06月01日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 3371日
★延期…オリンピック東京まで → 418日
★旧暦4月10日
(月齢9.4、月出13:38、月没01:26)




◆ガマン耐えて「自粛」解除

 入口玄関のガラス戸に、
「緊急事態宣言をうけて臨時休業」
「四月八日より五月三十一日まで 六月一日午後五時より営業」
 貼り紙があり。
「御来店ありがとうございます」から始まる挨拶文は、「どうか皆様ご自愛ください」、実直な言葉で結ばれていた。

 店の名は「みますや」。
 明治の創業から100年以上つづく。
 古き良き時代からの星霜を伝える居酒屋は、地下鉄「小川町」と「淡路町」が最寄り駅だが、古書店街の神保町からも神田駅からも近い。
 神田明神のお膝もと(氏子)でもある。
 (その神田明神は、今春の祭礼をオンライン神事のみに変更している)

 この家の現当主が、ぼくの中高一貫私学、同期の卒業。
 入口玄関上に、古びた表札が出ているが…はたして気づいている人が、どれだけあるだろう。むかしの商家は、皆、こうした佇まいであった。
 ぼくも社会人になってからの一時期、同じ神田明神の氏子町、神保町に事務所をかまえていたことがあった……

 とまれ
 このたびの「新コロ」感染パンデミックの脅威は、われらが人生にとって最大の激甚ごと。この後に起こるであろう、地球規模で大津波級の変容、いかほどのものか想像もおよばない深さが覗ける。

 「みますや」には、「緊急事態宣言」の発出された4月8日、すぐに見舞いの電話を入れた。
 そのときの応答、
「店…5月末まで閉める」
 小柄な男には似合わない、古武士のごとき声音。
 不安を感じさせなかった。

 4月末にかけた様子うかがいの電話では、「都の休業補償金、申請したか」を訊ねた、が。
「いつになるかわからんし…50万…じゃな、店の案内看板だけでも月に150万はかかるんだ」
 と、素っ気ない声が胡坐をかいており。

 5月25日、「緊急事態宣言」解除のときにも。
「まだ…どんなもんかな、わかんない…けど、店は予定どおり6月から開けることにするよ」
 居酒屋とはいえ、これぞ持ち家営業の底力かと思わせた。

  ……………

 そうして月末・週末の30日、土曜日。
 いつものとおり、時季はずれだが、店、入口玄関前の鉢植えの梅を剪定がてら。
 様子見に出かけたのは、東京都が示している6月1日からの第2ステップ移行、その直前の町の雰囲気を知っておきたかったから。

 靖国通と外堀通の交差する淡路町、交差点の交通量はさすがに、ふだんの休日よりも少なく。
 もっとも、もともとが民家の多かったこの界隈、その後の世の移ろいとともにオフィスや商店が殖え。近ごろは神保町にかけての一帯が〈再開発〉地域。

 そんな流れに連れ、むかしに比べると週末の人出は少なくなってきていた。
 だから、ほんとの町の様子を知りたければ、ウィークデーの通勤時間帯に来てみなければいけないところ…だが、やっぱり、まだちと怖かった。

 表通りから一筋、内に入った路地すじは、いつもの静けさで。
 それでも、梅に鋏を入れていると、通りすがりに入口を覗きに立ち寄る、店のお馴染みさんが1人2人はかならずある。
 (上掲写真、右端に梅の枝葉の端が見えている。ほんとなら客迎えの植栽、もそっと見映え良くありたい…ところだが、きゅうくつな鉢に植え込まれてか、若木の勢いはすでになく、おまけに風通し思わしくないビル街にあるせいか、樹液を吸うカイガラムシに集〔たか〕られ草臥れてきている)

 この日も、
「いつから…?」
 初老の方から声がかかって。
「はい、月が明けて1日からです、よろしくどうぞ」
 店の者のように応対するのも、いつものこと。

 ひと仕事おえてから、声をかけたが。
 当主は、所用で出かけて留守…元気がたしかめられれば、それでいい。

 帰りは、靖国通を神保町まで歩いて、都営地下鉄で新宿に出た。
 ぜんたいに、東京の街のムードは「ふだんの休日」モード。
 第2ステップに入れば、ウィークデーの人出は日を追って多くなっていくだろう。

 行き交う人たちの顔に、「第2波までの、いまのうち…」の表情がヨメる。
「くわばら、くわばら」
 古いタイプのぼくは、肩を竦〔すく〕めてソッと呟いてみた……