◎「新コロ〝濃霧〟」の道を照らすフォグランプ/ 点灯中!しばらくは〈模索の旅〉がつづきます ⑳居酒屋「みますや」
-No.2445-
★2020年06月01日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 3371日
★延期…オリンピック東京まで → 418日
★旧暦4月10日
(月齢9.4、月出13:38、月没01:26)
◆ガマン耐えて「自粛」解除
入口玄関のガラス戸に、
「緊急事態宣言をうけて臨時休業」
「四月八日より五月三十一日まで 六月一日午後五時より営業」
貼り紙があり。
「御来店ありがとうございます」から始まる挨拶文は、「どうか皆様ご自愛ください」、実直な言葉で結ばれていた。
店の名は「みますや」。
明治の創業から100年以上つづく。
古き良き時代からの星霜を伝える居酒屋は、地下鉄「小川町」と「淡路町」が最寄り駅だが、古書店街の神保町からも神田駅からも近い。
神田明神のお膝もと(氏子)でもある。
(その神田明神は、今春の祭礼をオンライン神事のみに変更している)
この家の現当主が、ぼくの中高一貫私学、同期の卒業。
入口玄関上に、古びた表札が出ているが…はたして気づいている人が、どれだけあるだろう。むかしの商家は、皆、こうした佇まいであった。
ぼくも社会人になってからの一時期、同じ神田明神の氏子町、神保町に事務所をかまえていたことがあった……
とまれ
このたびの「新コロ」感染パンデミックの脅威は、われらが人生にとって最大の激甚ごと。この後に起こるであろう、地球規模で大津波級の変容、いかほどのものか想像もおよばない深さが覗ける。
「みますや」には、「緊急事態宣言」の発出された4月8日、すぐに見舞いの電話を入れた。
そのときの応答、
「店…5月末まで閉める」
小柄な男には似合わない、古武士のごとき声音。
不安を感じさせなかった。
4月末にかけた様子うかがいの電話では、「都の休業補償金、申請したか」を訊ねた、が。
「いつになるかわからんし…50万…じゃな、店の案内看板だけでも月に150万はかかるんだ」
と、素っ気ない声が胡坐をかいており。
5月25日、「緊急事態宣言」解除のときにも。
「まだ…どんなもんかな、わかんない…けど、店は予定どおり6月から開けることにするよ」
居酒屋とはいえ、これぞ持ち家営業の底力かと思わせた。
……………
そうして月末・週末の30日、土曜日。
いつものとおり、時季はずれだが、店、入口玄関前の鉢植えの梅を剪定がてら。
様子見に出かけたのは、東京都が示している6月1日からの第2ステップ移行、その直前の町の雰囲気を知っておきたかったから。
靖国通と外堀通の交差する淡路町、交差点の交通量はさすがに、ふだんの休日よりも少なく。
もっとも、もともとが民家の多かったこの界隈、その後の世の移ろいとともにオフィスや商店が殖え。近ごろは神保町にかけての一帯が〈再開発〉地域。
そんな流れに連れ、むかしに比べると週末の人出は少なくなってきていた。
だから、ほんとの町の様子を知りたければ、ウィークデーの通勤時間帯に来てみなければいけないところ…だが、やっぱり、まだちと怖かった。
表通りから一筋、内に入った路地すじは、いつもの静けさで。
それでも、梅に鋏を入れていると、通りすがりに入口を覗きに立ち寄る、店のお馴染みさんが1人2人はかならずある。
(上掲写真、右端に梅の枝葉の端が見えている。ほんとなら客迎えの植栽、もそっと見映え良くありたい…ところだが、きゅうくつな鉢に植え込まれてか、若木の勢いはすでになく、おまけに風通し思わしくないビル街にあるせいか、樹液を吸うカイガラムシに集〔たか〕られ草臥れてきている)
この日も、
「いつから…?」
初老の方から声がかかって。
「はい、月が明けて1日からです、よろしくどうぞ」
店の者のように応対するのも、いつものこと。
ひと仕事おえてから、声をかけたが。
当主は、所用で出かけて留守…元気がたしかめられれば、それでいい。
帰りは、靖国通を神保町まで歩いて、都営地下鉄で新宿に出た。
ぜんたいに、東京の街のムードは「ふだんの休日」モード。
第2ステップに入れば、ウィークデーの人出は日を追って多くなっていくだろう。
行き交う人たちの顔に、「第2波までの、いまのうち…」の表情がヨメる。
「くわばら、くわばら」
古いタイプのぼくは、肩を竦〔すく〕めてソッと呟いてみた……