※ぼくの「窓」は…「外から内へ」「内から外へ」をさ迷って…「明かり採り」に行きつきました
-No.2443-
★2020年05月30日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 3369日
★延期…オリンピック東京まで → 420日
span style="color: #dd830c">★旧暦4月8日、上弦の月
(月齢7.4、月出11:21、月没00:17)
◆開けても…閉じても…情念の〈窓〉向こう
前回、-No.2439-5月26日(火)記事。
「窓展:窓をめぐるアートと建築の旅」に触発された〈窓とぼく〉について、少しばかりお話しさせてもらいました。
それから、想い出すままに、これまでの旅で撮りためた写真のなかから〈窓〉をテーマに探して見たら、以下にお見せするようなシーンがのこされていました。
そんな写真と記憶をたどって、思いつくまま、フォト・エッセイふうに、まとめてみました。
外から内を見る「窓」の情景には〈凝縮〉の薫り、内から外を見る「窓」の情景には〈澄明な拡散〉の薫り…がありました。
どちらが好み、ということは、とくにありませんでしたが。
外から内を見る「窓」の情景には、「肖像権」とか「財産権」とか、いずれも「人権」へとつながる複雑かつ微妙な気の流れがあって、気ままなレンズには、どうも向かいにくいところがありました……
なんとはなしに重い、ものがあって。
※上掲の写真 (上)糠平湖畔コテージの窓=北海道上士幌町/85年晩秋、(下・左)山居倉庫の窓=山形県酒田市/96年晩秋、(下・中)サイロの窓=北海道根室市/75年冬、(下・右)総持寺祖院の窓=石川県門前町/96年秋
そうこうするうちに、そんな、ぼくの困惑と悩みを解決してくれる光明が、ス~ッとひとすじ、射しこんできてくれました。
天窓や障子窓から射してくる陽光と、その翳りと…です。
窓の内にいるぼくと、外にある自然〔じねん〕との、たくまざる交歓。
これにはボク、すっかりシビレてしまいました。
※上掲の写真 (左)大沢温泉ホテルの天窓=静岡県松崎町/84年夏、(右)旅館・油屋の障子窓=長野県軽井沢町追分/84年冬
※上掲の写真 (左)上平村・岩瀬家の障子窓/82年晩秋、(中)平村・村上家の障子窓/95年秋、(右)平村・相倉合掌集落の障子窓/95年秋 以上いずれも富山県
この「窓」をテーマにしたフォト・エッセイ。
思い入れのネタは、まだ、ほかにも。
また、なにかの折りに、風を入れてみることにしますネ……