どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

◎全線開通した「常磐線」沿線を訪ねて⑤ /    Jヴィレッジからの「聖火リレー」出発…延期…

-No.2390-
★2020年04月07日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 3316日
★延期…オリンピック東京まで → 473日
★旧暦3月15日
(月齢13.7、月出17:07、月没04:56)


※3日(金)。イギリスの作家で環境保全活動家のC・W・ニコルさん(79)が、移住(日本国籍取得)していた長野県の里山で、直腸癌で亡くなった。著書『誇り高き日本人でいたい』ほか、日本人よりも日本を愛し(吾ニッポン男児としては頭ポリポリしかなく…)、東日本大震災では津波に被災した東松島市の学校高台移転を支援するなど、幅広い活動にはただ頭が下がるばかりでした。ご冥福を祈ります。








◆上手にくふうされたホーム

 「富岡」駅からは15分ほど、台地のトンネルを潜り抜けるとすぐの「Jヴィレッジ」駅ホームに、電車はすべりこむ。
 19年春に開業したばかり、最新のこの駅を、ぼくは工事中のときから見知っていた。
 トンネルの出口、急斜面の立地を見れば、橋上駅舎になるだろう想像はできたけれど、それにしても、素人目にはずいぶん難しい工事に思えたものだった、が。

 できた〝島式ホーム〟は、いまふうのバリアフリー仕様、スロープを折り返すかたちで乗客を無理なく上へと誘い、最後はエレベーター(と階段)で地上に運んでしまう、という。
 なるほど「餅は餅屋」で、うまいこと設計するものだと感心する。

 上階の窓からは、広野火力発電所の建屋が間近に望めた。
 日本サッカー界初の「ナショナル・トレーニングセンター」、Jヴィレッジへのアクセス利便向上に造られた、この駅も無人だったけれど。ほかの生活駅とは事情が異なる。
 特急電車はイベント開催時にだけ停車(聖火リレー出発式のある26日は停車)する、ふだんは普通列車のみの「臨時駅」扱いなのだから、ここは、これでいいのだろう。

◆仕掛けは「ヒ・ミ・ツ」とのことだった、けれど…

 Jヴィレッジは広い。目指すエリアによって徒歩5~10分かかる。
 聖火リレーのスタートは2日後。なにかしらのサインがあるだろう…と思ったのだけれど、イベント・ポスターくらいしか見あたらず。まだ会場への誘導案内も出ていない。
 しかたない、とりあえず宿泊施設ほか運営機能が集まるセンター棟へ行ってみる。

 イベントもないこの日は、閑散とした館内。
 おみやげグッズ・ショップに尋ねたら、わざわざ反対側の窓際まで出張って、教えてくださる。
 指を差す向こうには、雨天練習用のドームが見えた。
「いいときに来られました。明日になるとアチコチ通行止めになって、わたしたち従業員だってタイヘンなことになるでしょう」

 いうまでもない、その表情は(迷惑)どころか(大歓迎)。これまでの憂鬱な9年を想えばトウゼンであろう。
 

 ドームの方へ行って見る。
 広い駐車場には、NHKのテレビ中継車の姿も見られ、メイン・ストリートにはなるほど、さっき聞かされた「交通規制」の貼り紙が出ていた。
 なんといっても、いまは車社会。常磐線電車の駅より、国道6号から入る道の方がメインなのだった。

  ……………

 Jヴィレッジの立地する、広野町楢葉町にも苦節の9年であった。
 《11.3.11》東日本大地震&大津波禍に加えて、福島第一原発の爆発事故という未曽有の災厄があり、全町避難となった両町は、それでも原発立地の大熊町双葉町に比べれば、はるかにマシ。
 北隣りの富岡町よりも救われたし、日本列島の風向きからして、北の浪江町南相馬市よりも(正直ナンボかよかった)。

 広野町は2012年(平成24)春に、楢葉町は2015年(平成27年)秋に「避難指示」が解除されている。これを受けての復興推進にあたって、最優先されたのがJヴィレッジを人気スポーツ「サッカーの聖地」に復旧することだった。

 そのJヴィレッジは1997年の開設。
 「ナショナル・トレーニングセンター」の誘致・建設には、この相双地域に原発拠点を置く東京電力の、資金協力が欠かせなかった……

 その後のJヴィレッジは
 福島第一原発爆発事故により、2011年3月15日から13年6月末までスポーツ施設を全面閉鎖。国が管理する「原発事故対応拠点」になっていた。
 (その頃の寒々としたJヴィレッジの情景を、いまもボクは忘れない)

 この閉鎖されていた運動施設が、部分的に再開されたのは18年夏。同年秋には新しい全天候型練習場の利用も始まった、復興の道。
 こうした動きに、なにより大きな弾みをつけることになったのが、「オリンピック聖火リレー出発地」に選ばれたこと。
 政府のこれまでの復興策には、正直、賛否こもごもだった地元、だれの顔にも、この一事には愁眉が開いた。

  ……………

 ドーム前の緑の人工芝ピッチでは、「聖火リレー出発式」の準備が粛々と進んでいた。
 急ごしらえの舞台では、飾りつけや映像・音響装置の支度。その前には、薪のようなもので組まれた一群の装置が本番を待つばかり。これはナニか、気にかかる。
 火が燃えたら効果的だろう…が、イベントは午前中…ハテ?

 通りかかった若いスタッフの一人に声をかて尋ねたら、
「すいません、関係者以外にはヒ・ミ・ツなんです」
 仲間たちと、オカシそうに顔を見あわせていた。

  ……………

 常磐線の列車ダイヤでは、ここJヴィレッジ駅でも2時間半ほどの列車待ち。
 まだ早春の、温もりのない午後の陽も傾いて、ぼくたちのエネルギーもどうやら尽きてきた。

 センター棟のティールームで、ホット・コーヒーを味わいながら、店の女性スタッフと「聖火リレー」ほかのあれこれ、よもやま話のいっとき。
「明後日の天気はだいじょうぶみたいです…ここから後のことがどうなるのか、それがシンパイですけど」
 大きな緑のフィールドの広がる向こうの空が、徐々に残照の色になってきていた。

  ……………

 「Jヴィレッジ」駅までタクシーを頼んで、夕刻17時すぎの常磐線普通列車
 「いわき市」駅から特急「ひたち」に乗り換え、終着品川駅着が21時すこし前。
 「コロナ疲れ」というより「コロナに飽きた」感がつよい、都会の不安な電車に揺られ、家に帰り着くと22時をすぎていた。

 「お疲れ!」ビールを喉に味わいながら点けたテレビ画面に、「オリンピック1年ほど延期へ」の報せが流れ……
 翌日25日には、「聖火リレー」出発直前に中止のニュース……
 26日、準備されていた出発式の舞台が片づけられる様子を観ていたら、あの薪組みは桜花の枝を飾る装置だったことが判明…しかし、すでに出番はなくなって。
 「決めるのが遅すぎ」関係者の一人が、やるせない声をマイクにぶつけていた……

  ……………

 こうしてオリンピック・ムードは、ともあれ一旦キャンセル、再開のときを待つことになり。 
 復興Jヴィレッジで開催される初の大きなイベントは、当初はオリンピック後のこと(21年)になっていた「ももいろクローバーZ」の単独コンサートになる…模様だ。

 もうひとつ。仙台(宮城県)・盛岡(岩手県)に〝復興〟祈念の灯として公開展示されてきた「オリンピック聖火」は、いまもJヴィレッジにあり、4月末までセンター棟ホールに一般公開されている。
 その後は、東京に運ばれ、1年先まで保管されることになる予定とのこと。