どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

※ボブ・ディランを聴きながら詞は生まれた /  『生きようウイルスとサイド・バイ・サイドで』

-No.2522-
★2020年08月17日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 3448日
★延期…オリンピック東京まで → 341日
★旧暦6月28日(月齢27.4)




◆8月15日…ボブ・ディランを聴きながら考えた

どこまでも オドロキに充ち アナドレないのが
生きもの おたがいさま なのだから

ウイルスを 妖怪や悪魔…「敵」と見るのは ヤメよう
彼らも 「生きたい」 のは同じ
ウイルスもヒトも 遺伝子レベルには つながりがある
どれほどの友だちか…を 考えよう

きみには あなたには どんな友だちがいる?
親密な熱い友もあれば いつも気になるあいつだって ある だろう?
考えや 進み方はちがっても 友だちは友だち
きっとウイルスの「だち」は そっちのタイプなのさ

気になる「だち」のアイツは しかし パーティーに招く友だちか?
それはチガウし アイツも望みはしない
じぶんには愉しみなことが 他人には迷惑 オーケー…それでいこう
それぞれの道を たがいに尊重しあえば うまい行きさき きっと見つかる
そうさ 「ウィズ」じゃぁない 「サイド・バイ・サイド」さ

想えば2月の ダイヤモンド・プリンセス 現代の黒船
あのクルーズ船が コスモスからのメッセージだったら…
この半年の 「おののき」も「自粛」も 無駄じゃぁなかった

それにしても どうして ぼくたちは?
「TPO」を置き忘れ ケース・バイ・ケースそっちのけで
みじめに 「ドナドナ」の馬車にのせられ さ迷いはじめた?
マスクだ…手を洗え…くっつくな…はなれてろ…だって
ウイルスらしく ヒトらしく  間違っちゃいけない
ヒトが ヒトからはなれて どこへ行く 

開悟したボクたち いたずらに消耗するのは もう やめよう
あきらめとも うらみとも もう おさらば
ウイルスに 勝ちも負けもせず ヒトらしく誇らしく 生きよう
たくさんの生きものたち 多くの友だちが 滅ぶのを見てきた
ぼくたちだから いま いえる
だれも 倒れも 倒されもしない ヒーローとして生きよう

もう しゃべりすぎるのは やめよう
シャキッと歩こう ついてくる者の足が 道を広げる
これだけは忘れるな だち(ウイルス)を見そこなっちゃ いけない
前を向いて行こう 上を向いて歩こう
おたがいっこに サイド・バイ・サイドの 道を進もう

◆ぼくはボブ・ディランの『Murder Most Foul』を聴きながら考えた

 ……この詞に曲が付けられたら、イイのだけれど……

 ボブ・ディランの新曲、『Murder Most Foul』(もっとも卑劣な殺人)は、16分54秒。
 ほとんどエンドレスのフォーク(ソング)、モノローグのバラード、そうして正直、よくわかりませ~ん。けれども、つうじてしまう。

  〽1963年11月(22日)、ダラスでの忌まわしい日

 …で始まる詞は、ニッポンでは、テレビ初の衛生中継画面に「ケネディー大統領暗殺」という、衝撃のニュースを伝えることになり。
 アメリカでは、ボブ・ディランがレコード・デビューをはたした年でもあった。

  〽とんでもなく多くの人たちが見守っていたが、
   誰一人として何も見えていなかった
   あまりにもあっという間の出来事、不意を衝かれた一瞬の出来事
   あらゆる人たちの目の前で

 長い詞のなかには、あのころ1960~70年代のなつかしいシーンやアーティストの名が登場する、けれど。
 アメリカンにもわかりかねる深さが、ファー・イーストのぼくにわかるわけがない。
 彼が言う「死んだ者だけが自由になれる」の真の意味でさえ。

 ただ、その声からつうじるものに、ぼくは応える。
「きみも齢をとったな、なに…これは文句なしの喝采なんだから、礼にはおよばんょ」