※ちょっとヒトコト…フタコト…ミコト ~No.109~ 現代はじめに耀いたスターたち ⑥スティーブ・マックィーン
-No.2422
★2020年05月09日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 3348日
★延期…オリンピック東京まで → 441日
★旧暦4月17日、居待月
(月齢16.0、月出20:44、月没05:58)
1980年。
スティーブ・マックィーンが、胸膜中気腫からの転移による末期肝臓癌で死亡、との報があったとき。
ぼくは、その行年50歳に、まず驚き。
それから、
逆算すると生まれた年が1930年になり、つまり、ボクより15歳も年上だったことに、なぜか新鮮な驚きがあった。
スティーブ・マックィーン(1930~1980)は、どこか、あっけらかんとしたそんな俳優…じゃない、やっぱりスターだ!
しかも、だけど…
だって、それなら、これまでにとりあげた60~80年代のスターたち
マーロン・ブランド(1924~2004)
ポール・ニューマン(1925~2008)
マリリン・モンロー(1926~1962)
ジェームズ・ディーン(1931~1955)
彼らと同じ時代に生きていたわけで…ありながら、ぼくのなかではなぜか、彼らとは〝無縁〟に存在しつづけた。
同じ映画界にいながら、別世界にいた感があるのだった。
それほどに〈年齢不詳の風姿〉というのは、なるほど、映画スターにうってつけのキャラクターともいえるわけだ、けれども。
ちなみに
ぼくは、スティーブ・マックィーンの出演した映画、そのほとんどすべてを劇場公開で観ている、最初で最後のスターになりそうだ。挙げてみようか…
『荒野の七人』(1960)
『大脱走』(1963)
『砲艦サンパブロ』(1967)
『華麗なる賭け』(1968)
『ブリット』(1968)
『栄光のル・マン』(1971)
『ゲッタウェイ』(1972)
『パピヨン』(1973)
『タワーリング・インフェルノ』(1974)
ぼくは、ここで、先の4人とマックィーンの世界のチガイ(もちろんボクにとってのだが…)に、ガテンがいく。
ぼくは、映画(という名の〝映像芸術〟)の真価を「記録映画」におく者だ、けれども、いっぽうで「映画はあくまでも娯楽」とする者でもある。
したがって、「舞台芸術の芝居」とは一線を画する(芝居はナゼか恥ずかしい)色が濃い。
この辺までは、マックィーンを別世界にする謂れはないわけだ…が。
ぼくは、アクション映画に魅力を覚えず(けしてアクションがキライなわけでは毛頭ない)、しかし〝アンチ・ヒーロー〟には格別な魅力を覚える者だった。
だから彼は、ぼくの棲む世界とは、ちょっと〈位相のズレ〉た世界の存在でありつづけた、というわけだ。
◆〝受賞〟には縁遠かった男
スティーブ・マックィーンの映画は、そのほとんどが、アクションものであったけれど、それをも感じさせなかったのは、ひたすら彼が〝醒めた男〟だったことによる。観る者を夢中にさせておいて、もう自分はすでにそこを脱して、ぜんぜん涼しい顔をしてござる。
したがって彼の映画では、ほかの役者さんたちのように、監督が誰某〔だれそれ〕なぞと詮索する必要がない。
(上記の作品名に、いつもの監督名がないのはそのためである)
彼は〝醒めた男〟であり、いつも〝独自の男〟だったから、そのせいで惜しむらくは、監督たちからオファーのあった、せっかくの別な役柄に出演するチャンスさえ逃すことが多かった。
彼は、アクション・スターであるより〈本質カー・レイサー〉であったから。そんな彼には、ほかの役柄で新境地をひらく必要もなかっただけなのだろう、が。
そういうわけで、ぼくは彼の映画ほど純粋に娯楽させてもらったものはなく、そのせいで映画の内容など、ほとんどのこってはいない。
上記作品のなかで、克明に場面を想い出せる映画は、わずかに『大脱走』(ヒルツ大尉=脱走屋ヒルツ役)と『タワーリング・インフェルノ』(オハラハン消防隊長役)くらいのものである。
〝受賞〟には縁遠かった男でもあり。
『砲艦サンパブロ』でノミネートされたアカデミー主演男優賞も、ついにオスカーには手が届かなかったし。
わずかに、『大脱走』でモスクワ国際映画祭で主演男優賞に輝いたのみだった。
それでも1974年、「世界一の高給スター」になれたのはファンの人気あったればこそ。
スティーブ・マックィーンには、それで充分だったのだろう。
……………
先日。
唯一、劇場公開を見逃していたスティーブ・マックィーンの遺作『ハンター』(1980)を、BS番組の録画で観た。
あらすじ、そのほか、述べるまでもない。
ただ、老いて病み衰えた一代の〝アンチ・ヒーロー〟。
本人は意識しなかったろう〝窶れ〟に、〈男の引き際〉のむずかしさを想った……