どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

◎ニッポンは独自の「〝国民〟緊急・非常事態確認」の声明を!

-No.2401-
★2020年04月18日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 3327日
★延期…オリンピック東京まで → 462日
★旧暦3月25日、有明の月
(月齢24.7、月出02:57、月没13:46)









◆「新コロ」感染拡大阻止にむけて「外出の8割削減」

 …を、日本国の(安倍)首相は掲げてみせました。けれども…
 その顔つき、なんとか深刻そうに見せようにも、どうにも叶わぬ(それが地=ジ=本質なんだからしようがない)、どこ吹く風でしかない…ヤッパリいかにも、おもしろくなさそうな無表情でした。
 この深刻な実態に鈍感な反応ぶりは、17日(金)夕方の記者会見でも相変わらず、でした。
 なにをアダコダ算盤はじいて、余計な算段に思い惑ってるんだか…これには(ショージキひたすら滅入るばかりデス)。

 追っかけ厚労省では、「なにも防止策をとらなかった場合」国内で流行が終わるまでの被害推計値を公表して見せました(その内実は、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議メンバーの専門家、北海道大学大学院医学研究院、西浦博教授、苦労の試算という次第)。
 その数値は、約85万人が感染して重篤な症状になり、うち半数の約40万人以上が死亡する…というもの。
 たしかに脅威デス、けれども似たような予測なら、ずっと前から指摘されてたことじゃないですか!

 政府スジとして言いたいのは、どうやら、
 でもね「防止策は講じてきたから大丈夫ですよ」てなところ。
 あるいは、例によって姑息な言いのがれでしかない、「後手後手ばかり踏んできた」との批判を躱〔かわ〕したい思惑なのでしょう。
 ならば、「だったらもっと早く、トットと、本気になってやっとくれ」。ですが…

 さすがに10日後、その効果のほども期待薄…とようやく気がついて。
 また例によって終末ぎりぎりの金曜日になって、「緊急事態宣言を全国規模に拡大」しなければならなくなり。ついでに、もともと自粛とはセットであるべき補償の付け焼刃、すったもんだの挙句、なんとか、とりまとめては見せましたけれども…。

 いまの政府、政権の主だった面々の面がまえ、注視しつづけたところから察するに…
 「えっ…そうなの?」「ホントにぃ…そうだったんだぁ!」状態としか思えず。
 (ぜんたいナニを考えてるんだか…)
 そんなんじゃ、とてもとっても、この難局は乗り越えられやしません。
 まったく頼りになりゃしない。

 首相・政府がヨミ誤ったのは、「国民はもっと言いなりになるはずだった」ってところでしょう、が。
 時代が変われば人も変わるし。そもそも人(国民)をひとっ括〔くく〕りに考えようとするところが、徹底的にズレてます。

 ついでに、諄〔くど〕いようですが、言うこと、ことごとく実〔じつ〕がないのですから。
 親身がないものは通じようがありません。

 いまだに日本という国の、いまの政権は、

◆身内の瀕死に重篤な病状に立ち会いながら、けしからんことに「だいじょうぶかなぁ」なんぞとほざきながら、財布なんか覗きこんでる

 …ようなもの、ほんま怒阿保やね。

 むかし中国の故事「国破れて山河あり」になって、どうするの。
 最前線で苦闘する〝最後の砦〟の医療従事者を捨て置いて、そうして国民を喪って「国」なんてのがあるものか。そんな、あってなきがごとき〈国のアンタがタイショー〉が成り立つものか、どうか。
 よ~く、考えてもみるがいいんです。

 それと、ついでに、もうひとつ。
 この絶好の攻め時に、政権とってかわろう意気込みであるはずの、野党はいったいナニしとるの。
 旗色鮮明な対抗政策うちだして攻勢かけるべきときに、シッカリせんかぃ、こっちも怒阿保じゃ。

 ……と、以上のような状況であれば……やむをえません。

☆彡ここは、もう、「〝国民〟緊急・非常事態確認」声明あるのみ

 いうまでもない、これは〝国家〟ではない、ところがミソ・醤油(特色)デス。
 ざんねんながら、発するメッセージことごとく信頼感ゼロにひとしい首相の「宣言」「発令」では、国民の危機意識は徹底できませんから。

 ならば、「日本国民統合の象徴」天皇の意向をうけ、主権者国民がみずからのための覚悟として、国民を代表するカタチで首相が声明すればいい。

 そうして、テレビ画面では…

☆彡深刻な事態を受け容れやすい「ACジャパン」のキャンペーン・コマーシャルのみに絞る

 いま「新コロ」感染・蔓延の危機的な事態、その影響の大きさ、正体の全容さえつかみきれない実態からすれば、9年前のあの「東日本大震災」をすでに凌駕しています。
 
 にもかかわらず、国民の緊張感・緊迫感は、正直たりていません。
 相手が〈目には見えないウイルス〉ということもあるでしょう(それは福島第一原発事故のときの〝放射性物質〟と同じデス)が、いつもの休日風景と、なんら変わるところなし…のように見えます。
 これでは〈外出8割減〉など到底、無理な話しで。つまり
 危機を訴えるメッセージが、ざんねんながら伝わっていません。

 もちろん
 いうまでもなく大半の国民は、国の「要請」に応えてきました。
 ふつうの市民感覚でいる多くの人は、すでに〝自粛〟態勢にあり。その割合はおそらく、6割を超えて7割に近いと思われます。
 けれども、〈自覚のない〉あるいは〈たりない〉人間が、ざんねんながらいるもので。
 その数は、どんなときにも、いかなる場合にも1割はいる、と覚悟しておかなければいけません(こんどの場合は東日本大震災のときより多いかもしれない)。
 つまり、はっきりいえば、この国はいま「ダメなやつ」に負けてしまっているんです。
 
 …となると、感染阻止のキー・ポイントになるのは、ふわふわと漂うがごとき〝浮遊層〟ということになって、その割合はのこる2~3割。
 この層を〝自粛〟とりこめなければ、〈外出8割削減〉は成功しません。

 そこで……

 東日本大震災の頃は「公共広告機構」と言いました。あのときのことを覚えておられる方も少なくないでしょう。
 あのときは、しばらくの間、民放のコマーシャルすべてが、公共広告機構のキャンペーン・コマーシャルだけになって、国民に遍〔あまね〕く未曽有の危機にあることを、こころやさしいメッセージで認識させてくれました。

 いまこそ、あのときの態勢、民放の全コマーシャルを自粛、「ACジャパン」のキャンペーン・コマーシャル一本に絞って危機を訴える必要がある、と思います。
 首相のメッセージなんかより、はるかに大きな効果が期待できます。

 もう、これまでにも、頼りにゃならない政府に業を煮やして、民間の企業や個人、自治体や医療機関などが、それぞれに、払底するマスクやフェイスシールドや防護服づくりに、あるいはPCR検査の拡充などに、さまざまな場面で、さまざまに〈くふう〉し実践してきました。

 国は、政府は、細かい心くばり、気くばりができないんですから、あとは黙ってカネを出す(財政的な支援に徹する)ほかないんデス。
 このままの状態でゴールデンウィークに突入して、新コロ難民がぞろぞろ地方に流出したらどうするの! あとは都市封鎖(ロックダウン)あるのみ、になっちまいます。
 アベノマスクじゃなしに、アベノミクス力の見せどころじゃないですか。
 

☆彡感染しない、させない唯一の砦…岩手県を励まそう!

 「新コロ」感染、日本に発生以来、健気にも耐えつづけ、〝燎原の火〟のごとき蔓延にも侵されることなく、堅く孤塁を守ってきた岩手県

 「緊急事態宣言」が全国に拡大された、ここへきて、ゴールデンウィークの近づくにつれ、地元でも「帰郷する者だってあるだろうから、いずれ感染者がでてくるのではないか」との声が、聞かれるようになってきました。

 うんにゃ、しかし、ここは是が非でもガンバってもらわなけりゃいけない。帰郷する者も心して、ウイルスを持ち帰らない郷土愛と細心の注意とで、「感染に耐えた県」の名誉を守ってもらいたい、と思う者です。
 
 〝復興〟希望のレール、「さんてつ」リアス線「大槌」駅(旧JR山田線)にはかつて、(宮沢)賢治童話にちなむエスペラント語の愛称「Lumoturo(ルーモトゥーロ)」がありました。意味は「灯台」。
 岩手県は「新コロ」克服の希望の灯り灯台」だ、と想うからです。

◆蛇足に…ぼくの町田〈まち〉観察

 ヒタヒタと潮が満ちて来るように、いまボクが実感するのは、これは間違いなく歴史の一大転換期になるだろう…ということ。そんな重大な場面に立ち会っています、ぼくたちは!
 向きがどうなるか、いいほうに向かうのか…などは、皆目、見当がつきませんけれども、たしかに。

 そんな場合にも、いや、そんな場合だからこそ、欠かせないのが〈ふだんの街と人〉のありよう。その観察です。

 冒頭の写真は…
 「外出8割削減」要請があってから後の、これが町田市南部(横浜市寄りの中心部)付近の〈街と人〉の風景。
 町田市の性格を、ぼくなりに分析しておけば、「進歩的な考えを追求する土壌をかかえながら現実的な性向は穏健保守的」といっていい、と思います。
 つまり、ここも平均的なニッポン。

 「非常事態宣言」後すぐ、日用買い物のスーパーはレジに長蛇の列でしたが、1週間もすると一見落ち着きました。が、トータルの人出を見ると、ふだんとなんら変わらない。
 軽い運動や散歩の道すじ、診療に出かける街にも、緊張をふくんだ雰囲気はほとんど感じられませんでした。これって…やっぱり変…が実感。

 金曜日(17日)に、いつも鮮魚を物色する小田急デパ地下に寄ってみたら、いつもの週末にも増す人だかりにビックリ(そういうボクも不要・不急の外出の一人)。
 デパートとしては、床に「ソーシャル・ディスタンス」の線を引いて、密接しないように声をかけ、混雑緩和をはかるのが精いっぱいの様子。
 人々の表情には、皆、「ヒマだから買い物」と正直な想いが現れていました。

 ちなみに、前にお話した、行き場を失った食材のこと。
 つまり、ウイルス騒ぎで激減した外食のせいで、余った高級食材が巷に安く出まわることになるかも…の期待は、やっぱり淡い泡のようなもの。
 ぼくが、こよなく愛する刺身の柵も、ほとんど、いつもの品揃えがつづいていました(写真は本マグロ大トロとサヨリの刺身…包丁はわが家)。