どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

※波濤の太鼓~奥能登・外浦~ / 『よみがえる新日本紀行』とともに…➁

-No.2547-
★2020年09月11日(金曜日)
★11.3.11フクシマから → 3473日
★延期…オリンピック東京まで → 316日
★旧暦7月24日(月齢23.0)


 かつて、NHKのテレビ番組に『新日本紀行』というのがあった。
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【註1】『新日本紀行』☟
*1
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 懐かしく感情移入ゆたかに観たわけ、そこには紛れもないぼくの青春とその後が綯い交ぜになって投影されていたからだ。

 そんな記憶に『よみがえる新日本紀行』話し、第2回目の舞台は…








◆〝波の花〟散る厳冬、「波濤の太鼓~奥能登・外浦~」

 まずは、次の過去記事をお読みいただこう。
blog.hatena.ne.jp
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 記事にある「御陣乗太鼓」の取材話しが、いまからおよそ半世紀(44年)も前の1976年だったわけだ、が。
 こんど気がついて見ると、『新日本紀行』「波濤の太鼓~奥能登・外浦~」の放送は昭和46年(1971)。さらに、遡ること5年も前の話しになる。
 ほかに、当時のボクが「御陣乗太鼓」を知るきっかけは考えられないから、きっと、この番組から衝撃的な感動を受けとったのだと、いま気がつく。
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 奥能登・外浦の主邑、輪島は、「朝市」と「輪島塗」で知られた町。

 「朝市」は、他所のどこにもある定期市とは違って、いまも輪島の〈日常〉。だから、町には魚屋や八百屋がない。
 近辺の各集落から、女たちが、それぞれ海山の産物を持ち寄って、
「こうてくだぁ(買ってください)」
 と呼び声高く、熱心に商うところから、輪島の男たちは「能登のとと(父=夫)らく(楽)」と呼ばれる風土。

 …だから、だろうか。
 ぼくの印象のなかの奥能登の男たちは、皆〝黙黙〟。
 喋〔しゃべ〕くり陽気な女たちにくらべると、笑っても顔つきはどこか、はにかんで見えて、日本の原風景を思わせる。

 輪島塗は、厚手の下地(木地)に補強の「布着せ」をして上に漆を塗って仕上げる、「丈夫」が代名詞の漆器。江戸時代、「一航海千両」と豪語された北前船によって全国に販路を広げた、日本一の生産量を誇る伝統工芸品でもあるのだ、けれども。その仕事ぶりは、あくまでも地道、ここでも職人たちは〝黙黙〟。

 奥能登・外浦の、そんな風土に暮らす人たちを、カメラも〝黙黙〟と丹念に追いかけた…いまから思えば、まっこと昔気質な。

 特徴的な民俗風景としては、冬の風雪を防ぐ「間垣」と、揚げ浜塩田能登のはま塩)と、海辺の段々畑「白米千枚田(いまは〝地主制度〟に活路)で知られ。

 伝統行事では、珍しい奇習の「あえのこと」。「あえ」は「饗」で「酒食をもてなす」ことだけれども、行事は、なんと農閑期の冬12月。
 ここでは、豊作を授けてくださる(目には見えない、目の見えない)「田の神さま」を、裃姿に威儀を正した主が田まで出向いて迎え、家内に導いて年を越して2月まで、あれこれと手厚く接待する。いわば、神さまの居候。
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 そんな日本の原風景、奥能登・外浦。間垣の里の夏祭りは、〝黙黙〟からガラリと一転する。
 「きりこ(灯籠の山車)」と神輿の渡御につづいて、沖の舳倉島〔へぐらじま〕に鎮座する奥津比咩神社に奉納される「名舟大祭」のクライマックスが、勇壮無比おどろおどろの御陣乗太鼓である。

 この祭りの、ここ一番に、日ごろ寡黙に稼業に励んでき男たちが、燃え、滾〔たぎ〕り、神になりかわる。

 ぼくがお逢いした夜叉面の太鼓打ち、一代リーダーの池田庄作さんという方も。
「(太鼓の)皮破れるか、撥〔ばち〕折れるか」
 それほどの烈しい打音轟かせ、気迫とともに叩きつけつつ、仲間ともども入れ替わり立ち替わり荒れ舞いながら…しかし、ふだんはいたって寡黙な男だった。

 面をつけるから視界をさえぎられ、バチは拳4つほどの短さゆえ、打ち手の拳はイヤでも太鼓の縁にあたるのを、ナンの避けようともせず、したがって太鼓の皮には男たちの拳の血潮が染みている…という壮絶な太鼓。
 これには、ぼくも、男の血が滾ってくるのを、おさえることができなかった。

 いまは、その池田さんたち先輩世代の教えを受けた跡継ぎ、輪島塗り職人や半農半漁の浦人たちが、脈々と、太鼓打ちと舞の芸を、おどろどろの面とともに、また次の世代へと橋渡し。
 名舟の浦に生まれた男の子たちは、歩きだすともう撥を手に太鼓打ちの稽古。そうして〝黙黙〟と、父や祖父の跡を追っていくのだった……
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 奥能登の味わいは、波の花散る磯の幸「岩海苔」。
 ぼくは、その、生海苔の磯の香だけを賞味するシンプル・ベストの「海苔鍋」で酒を呑みつつ、胸に太鼓のリズムを追うのが、秘かな愉しみ。
 いまも胸臆に疼くがごとき、これぞ醍醐味…!

 

*1: NHKで、1963年から1982年までの18年半の間に、制作本数計793本という記念碑的な番組のひとつ。その紀行精神は、後の『新日本風土記』(2011年春からBSプレミアムで放送)に受け継がれている。あの頃をふりかえると、この『新日本紀行』につづいて民放では日本テレビが、当時の国鉄キャンペーン『ディスカバー・ジャパン』とタイアップするかたちで 1970年(昭和45)から『遠くへ行きたい』をスタート…いまから想えばいいセンチメンタル・ドリーミーないい時代。  この『新日本紀行』でとりあげた日本各地をもう一度訪れ、当時からその後の歴史をふりかえって紹介しようと、新たに始まったのが『よみがえる新日本紀行』の取り組み。新日本紀行の制作は、16mmフィルム撮影(VTR=ビデオテープ録画ではない)で行われたおかげで、フィルムライブラリーに記録がのこった、むかしのものでは珍しいケース。1967年からはカラー放送になっていたものを、2018年から、高精細の4K画質に変換・制作、ハイビジョン放送されている。