◎〝ヨコ軸〟に目覚め、分水嶺を越える / 「新コロ」ころころ旅ごころ
-No.2495-
★2020年07月21日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 3421日
★延期…オリンピック東京まで → 368日
★旧暦6月1日、新月・朔日
(月齢0.4、月出04:47、月没19:32)
◆「旅」って…なんなのさ
日本政府の「Go To トラベル(旅に出よう…より、旅に出ろ…ニュアンスがつよい) キャンペーン」が、濃霧の迷海にいよいよ突入する。
学校は20日(月)から、〝短縮〟夏休みに入って、すったもんだのキャンペーンは、明日(22日)にもスタート。
いまさら引っ込みもつかない「目をつぶって突撃」…の泣き笑い世界。
だれかが言っていた「Go To トラブル」が、ほんとうになるだろう。
ぼくたちは、そもそも「新コロ〝濃霧〟」の道を歩んできたのだ。
フォグ・ランプが頼りの、道が絶えたら、こんどは「とりつく島もない」迷海だ、という。白昼の悪夢か……
でも、ぼくは思う。
「旅」ができればシアワセ、じゃないか。
ヒトに言われるまでもない。
おカミの助け(補助金)なんか、いらない。
「旅」の味わい、究極は「孤独」じゃないか。
「旅」に出よう、それぞれにデキる「旅」を……
◆短距離の〈遠さ〉…そして長距離の〈近さ〉…
『遠くへ行きたい』という長寿番組が始まったのは、昭和45年(1970)。
同じタイトルの唄(永六輔作詞、中村八大作曲)とともに、「ディスカバー・ジャパン」(国鉄=現在のJRの誘客キャンペーン)が人々を旅に誘った。
けれど、その「遠くへ…」は、かならずしも旅程や距離ではないことを、たびたびの旅を繰り返す人ほど、すぐに思い知ることになった。
「遠くへ…」の旅情は、(心もち)あるいは(憧憬)の産物であって、けして親(近)しさを厭〔いと〕うもんじゃない。
「知らない街」が、同じ生活圏内に魅力をもって存在することもあって、そんな旅がまた、ことのほか感動ふかいものだったりもする。
想い出してほしい、『遠くへ行きたい』の歌詞は「知らない街を 歩いてみたい」からはじまっていたことを。
「遠くへ…」は、「どこか遠くへ」のメッセージ添えであったことを。
「遠くへ…」はまた、スポーツ感覚でもある。
〈遠い〉短距離…があったり、〈近い〉長距離…があったりして。
人に、わけもない嫉妬心を覚えさせたりもする。
いずれにしても……
◆いま、このときは…都会〔まち〕をあとに
田舎から田舎へ、「旅」しよう。
人は、日本列島をタテ軸で動くことに、慣れてしまった。
ヨコ軸を忘れさせたのは、都会へ都会への引力であった。
もとは、文化の軸〈表〉だった日本海側を、いつのまにか「裏日本」にしちまい…かつては〈裏〉だった太平洋側を「表日本」に替えてしまったのも、都会であった。
つまるところ、〝享楽の巷〟はそれだけで、ときどきに〝謹慎〟する責を負う(その価値あり…と言い換えてもいい)。
もうひとつには、このチャンスにこそ、いまこのときを疑って振り返ってみよう、常識をひっくり返して見よう(懐かしく…ディスカバーでもいい)か。
たとえば宮城県人なら、タテ軸の岩手県や福島県を目指すのではなく、ヨコ軸(山形県)に目を向けてみる。
奥羽山脈でも、越後・木曽・飛騨の中部山脈群でも、中国・四国・九州の山地でもいいから、なにしろ脊梁山脈を越えてみる。
「峠」を越える旅、「分水嶺」を越える旅が、これまでの、ともすれば一方的な見方を変えてくれるかも知れない。
そこから、この国とはナニか? 日本列島とはナニか? 日本人とはナニか?…に気づくことになる、ことだってあるやも知れない。
都会人だって、なにも…流せないほどキツく浸みこんだ血すじ、ほどのことじゃない。
〝謹慎〟に、怯〔おび〕えることも、怯〔ひる〕むこともない。
「俺たちゃ 街には 住めないからに(『雪山賛歌』)と、無理に悲壮がることもない。
<自粛>が〝萎縮〟や〝硬直〟にならないように……
「知らない街」を探して、行けばいい。
自由なこころで、とらわれない感性を誇りに、旅すればいい。
首都圏、東京・千葉・神奈川の1都2県。
関西の、大阪府・京都府・兵庫県は、この際、都会というものがもつ〝脆弱〟を想って、黙して慎む。
間の中京、愛知県も、仕方ない、つきあってもらう。
九州の福岡県、北海道でも札幌だけは、〝謹慎〟すべき都会の資格をもつ。
☆ ☆ ☆
そのうえで…このコトバを噛みしめてほしい。
「旅なんかしないで、その土地に生きられる人を尊敬する」
佳き旅の先人だった、永六輔さんの〈旅の杖〉を受け継いで、行こう。