◎「新コロ〝濃霧〟」の道を照らすフォグランプ/ 点灯中!しばらくは〈模索の旅〉がつづきます ⑰オリンピック中止…濃厚
-No.2438-
★2020年05月25日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 3364日
★延期…オリンピック東京まで → 425日
★旧暦4月3日、三日月・眉月・若月・
(月齢2.4、月出06:15、月没21:10)
◆「2020TOKYO」…がだんだん遠くなる
まだ、たしか…あの「開催延期」から2ヶ月ばかり。
なのに、オリンピック・ムードは遠く、かすかになるばかり。
〽オリンピックが だんだん 遠くなる 遠くなる
いまきたこの道 帰りゃんせ 帰りゃんせ
まるで、童謡『あの町この町』(野口雨情作詞、中山晋平作曲、1924=大正13年)の気分だし。
そのあとを追っかけて来るのは、『帰ってこいよ』(松村和子の演歌、1980年)だ。
…ついでに、このときとばかりに、ニッポンの大地も叫ぶがごとく揺れてきた(またぞろ地震の不気味なうごき…地殻がズレる…)
ぼくは、「延期」が決まった時には、まだ少し余裕があった。
(そうなのだ…認めておこう、じつはボクという人間は、自身も含めて、ヒトという地球上の生きものに対してアマすぎる…のに、吾からアキレるくらい)
ほんとはウイルスの怖さ、侮れないことを悟っていながら、ひょっとするとお目こぼしがあるかも知れない…などと思いこもうとする癖〔へき〕を拭いきれなかった。
しかし
……………
さきに、あの傲慢不遜なIOC(国際オリンピック委員会)が、これまでの上から目線、急に和らげでもするように「開催費用の一部負担」をしてもよい、発言(バッハ会長談話)をして見せたとき…さすがに、これはクサイと看破した。
これに対する開催国日本側の反応は、さすがに「半信半疑」だったけれど、それでも、お人よしに「歓迎」のそぶり。
実ところは、スポンサーがらみの報道対策出費にかぎられるのではないか…と。
イヤちがう!
「そんなんじゃないだろ、〝中止〟の心配こそ、すべきじゃないのかぃ」
ぼくには、IOCの発言の裏に、そんな見えないアドバルーンが透けて見える気がしたものだった。
その後も、アヤしげなことはつづいて。
「東京大会」のエンブレムに、「新コロ」蔓延をニオわせるウイルス印を紛れこませるという、タチのわるいイタズラ騒ぎも勃発。
眉を顰めさせられた人も、たくさんいたはず!
それから間もない後に、コーツIOC副会長(東京大会調整委員会委員長)の、
「再び延期することはない、開催の準備に入れるかどうかの判断時機は10月くらいになるだろう」
発言がとびだしたのだから、これはもう、クサイどころじゃない、実弾ズドンだ。
……………
ぼくは「延期」が決まったときから、抽選に当たったパラ・チケ(オリ・チケの方は1枚も獲得できていない)も、半分、〝観戦〟も〝払い戻し〟も諦めており。
しかし、東日本大震災からの復興もともに、考えていきたいオリンピック・パラリンピックの位置づけだっかから。
どうなるにしても、この一大イベントの結末まで、しっかり見とどける覚悟ではある…けれど、状況はいよいよ濃霧はてなし…出口なし。
それよりも、ニッポンという国が「新コロ」の対策、誤って「破綻」することのほうが、はるかに大きなシンパイごと……