どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

◎「新コロ〝濃霧〟」の道を照らすフォグランプ/  点灯中!しばらくは〈模索の旅〉がつづきます   ⑰オリンピック中止…濃厚

-No.2438-
★2020年05月25日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 3364日
★延期…オリンピック東京まで → 425日
★旧暦4月3日、三日月・眉月・若月・
(月齢2.4、月出06:15、月没21:10)






◆「2020TOKYO」…がだんだん遠くなる

 まだ、たしか…あの「開催延期」から2ヶ月ばかり。
 なのに、オリンピック・ムードは遠く、かすかになるばかり。

  〽オリンピックが だんだん 遠くなる 遠くなる
   いまきたこの道 帰りゃんせ 帰りゃんせ

 まるで、童謡『あの町この町』(野口雨情作詞、中山晋平作曲、1924=大正13年)の気分だし。
 そのあとを追っかけて来るのは、『帰ってこいよ』(松村和子の演歌、1980年)だ。

 …ついでに、このときとばかりに、ニッポンの大地も叫ぶがごとく揺れてきた(またぞろ地震の不気味なうごき…地殻がズレる…)

 ぼくは、「延期」が決まった時には、まだ少し余裕があった。
 (そうなのだ…認めておこう、じつはボクという人間は、自身も含めて、ヒトという地球上の生きものに対してアマすぎる…のに、吾からアキレるくらい)

 ほんとはウイルスの怖さ、侮れないことを悟っていながら、ひょっとするとお目こぼしがあるかも知れない…などと思いこもうとする癖〔へき〕を拭いきれなかった。

 しかし

  ……………

 さきに、あの傲慢不遜なIOC(国際オリンピック委員会)が、これまでの上から目線、急に和らげでもするように「開催費用の一部負担」をしてもよい、発言(バッハ会長談話)をして見せたとき…さすがに、これはクサイと看破した。

 これに対する開催国日本側の反応は、さすがに「半信半疑」だったけれど、それでも、お人よしに「歓迎」のそぶり。
 実ところは、スポンサーがらみの報道対策出費にかぎられるのではないか…と。

 イヤちがう!
「そんなんじゃないだろ、〝中止〟の心配こそ、すべきじゃないのかぃ」
 ぼくには、IOCの発言の裏に、そんな見えないアドバルーンが透けて見える気がしたものだった。

 その後も、アヤしげなことはつづいて。 
 「東京大会」のエンブレムに、「新コロ」蔓延をニオわせるウイルス印を紛れこませるという、タチのわるいイタズラ騒ぎも勃発。
 眉を顰めさせられた人も、たくさんいたはず!

 それから間もない後に、コーツIOC副会長(東京大会調整委員会委員長)の、
「再び延期することはない、開催の準備に入れるかどうかの判断時機は10月くらいになるだろう」
 発言がとびだしたのだから、これはもう、クサイどころじゃない、実弾ズドンだ。

  ……………

 ぼくは「延期」が決まったときから、抽選に当たったパラ・チケ(オリ・チケの方は1枚も獲得できていない)も、半分、〝観戦〟も〝払い戻し〟も諦めており。

 しかし、東日本大震災からの復興もともに、考えていきたいオリンピック・パラリンピックの位置づけだっかから。

 どうなるにしても、この一大イベントの結末まで、しっかり見とどける覚悟ではある…けれど、状況はいよいよ濃霧はてなし…出口なし。

 それよりも、ニッポンという国が「新コロ」の対策、誤って「破綻」することのほうが、はるかに大きなシンパイごと……