どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

※ヨナグニサンの繁殖戦略に想う /        あらためて「自然(=神)こそ偉大!」

-No.2603-
★2020年11月06日(金曜日)
★11.3.11フクシマから →3529日
★延期…オリンピック東京まで → 260日
★旧暦9月21日(月齢20.3)





◆「新コロ」禍のひと夏を惜しむ

 秋台風のシーズンもおえ。
 秋空に赤とんぼが舞えば、蝶たちの表舞台もシーズンうちあげ、もうはや越冬の季節を迎える。

 ついに、この夏、話すキッカケを失ってしまったことがあった。
 つくづく想えば「新コロ」の奴めに、いいように鼻づらとって引きまわされてしまった、この夏。
 いっぽうでは、これもまた地球温暖化の影響とやら、日本列島を襲う台風の発生状況とコースも変わった。

 沖縄の島々から九州、中・四国とたどる、おきまりのコースが減って、かわりに関東地方を直撃するケースが増えてきている。が…

 ことし台風が沖縄・奄美を直撃することがあったときには、ぜひ、お伝えしておきたい…と思っていた、ある蝶の生態話がある。

 大きな蝶。
 …といえば、関東地方に生まれ育ったボクの体験では、オオミズアオが最大。
 ただ、これは蝶といっても蛾(ヤママユガ科)の仲間だ、けれども(ナニ世に言われるほどの画然とした差別はないのダ)。

 まだ、ぼくが小学生だった頃の、ある暑い夏。
 寝クタビれ寝ボケて目覚めた…というような塩梅のよくない早暁。ショボつく目をこすりながら出た庭の、まだ仄暗い隅っこ、物置小屋の壁に怪しげなモノを発見したボクは、(おっ…オオミズアオ)息を呑む想いで、ゾッと水を浴びせられたような感覚に浸されたのを覚えている。

 その蝶(…とボクは初め、そう思った)の翅は、水の青にやや薄い緑を滲ませた色に見え、翅を広げた大きさはたっぷり10センチくらいあったのではないか。静かにとまっている態はこの世のものとも思えない、〝黄泉のつかい〟を連想させ。翅の間に覗ける頭部には、多くの蛾に特徴的な櫛歯状の触覚が2本の高感度なアンテナのごとく見えていた。

 ぼくが蛾を苦手とする理由の最たるものが、この触覚であった。いまアンテナのごとく…といったが、ぼくにとっては実際、シビレるほどにこれがオソロシかった。

 じつをいえば、このとき、ぼくが「オオミズアオ」の名をナゼ知っていたのかは、いまだに吾ながら不明。というのは、興味は抱いても、ぼくは蝶マニアではなく。だから、きっと、図鑑かなにかで見知っていたものだろう。

 オオミズアオの種名は「アルテミス」。
 ギリシア神話の「狩猟・貞潔の女神」。アポロンヘリオスと同一視され太陽神とされたように、後にセレーネと同一視され「月の女神」とされ。また「闇の女神」ヘカテーと同一視もされて、三通りに姿を変えるものとも考えられた…という。

 こんな事情を知ったのは、このときの出逢いの、すぐ後。
 興奮して本を調べたとき。ぼくの印象では〝狩猟・貞潔の女神〟はチガウと思われ、そうして〝月の女神〟あるいは〝闇の女神〟にたどりついて、ようやく合点がいってコクンと腑に落ちた。
 日本の古名に「ユウガオビョウタン」というのがある…との紹介には、断然ナットクでもあった。

 ただ、さらにそれから、しばらく後。
 ぼくは、よく似た近縁種にオナガミズアオというのがいる、ことを知り。さて、ぼくの目撃したのは「オオ……」であったか「オナガ……」の方であったか、謎の霧につつまれた。
 「オナガ……」は、名のとおり翅の先端が尖っている、といわれても記憶は判然としないし、ただ「翅の青みがつよい」といわれると、たしかにそんなふうだった気もするばかり。

 生物に見る自然の驚異には、目を瞠ることが多いけれど。
 この「オオミズアオ」の場合にも、成虫はあんなに大型でありながら、すっかり口は退化して、もはや食べたり飲んだりすることもない、そうな。
 そんな生きものが、ほかにもないわけではない…けれど、その〝悲愴〟ぼくの胸を焦がして忘れ得ない。



◆台風のあと…をねらって羽化する

 大型で美しい蝶なら、〝愛と美と性の女神〟「アフロディーテ」に譬えられる「モルフォ蝶」がいる。「オオミズアオ」が〝翳りをまとった美〟なら、モルフォ蝶のは〝火に耀く美〟といっていい。それほどに、その水色はたしかに美しい。

 しかし、蝶の神秘は蛹にある…ことを知ってからのボクは、幼虫の「イモムシ」時代も含めて、より大型の蝶に惹かれるようになっていった。
 怪獣映画『モスラ』(1961年、東宝)の出来は、子どもごころにもウソっぽすぎてスキにはなれなかったけれど。そのモデルとされた「ヨナグニサン(与那国蚕)」には(いちど逢ってみたい)憧れを抱いた。
 そんな人が少なくないらしい(もちろん、なかには気味ワルく思う人もあるようだけれど…)のも、ワカル気がする。

 ぼくは沖縄の、石垣島から西表〔いりおもて〕島、さらに波照間島までは足跡を記したものの、最西端…すぐ向こうは台湾の、与那国島までは行きつけていない。
 石垣でも西表でも、お目にかかるチャンスはなかった。

 ご覧のとおり、エキゾチックでアラビアンなムードを醸しだす大きな蛾は、翅を広げると15センチ近くにもなる(大きいのは雌)というから、大人なら手いっぱい、子どもの顔ほどもあることになり。日本最大、世界でもオセアニアに棲息するヘラクレスサンに次ぐ2位の座にある。
 オオミズアオと同じヤママユガ科。赤褐色に白い三角の紋を散らした翅の、先端が鎌のように曲がっているのが最大の特徴で、これは「外敵を威嚇するため」といわれている。が、さて、どうか?…と、ぼくは首を傾げる(理由はあとで述べる)。

 「ヨナグニサン」は、その名のとおり沖縄の八重山諸島、なかでも石垣島西表島与那国島にしか分布していない。ヨーロッパで親しまれている名称は「アトラスガ」だし、中国では「皇蛾(皇帝のごとき蛾)」と呼ぶ。
 
 とは言うものの、しかし。
 じつはボク、この蝶(蛾)の実物は、どこかの昆虫館だったか温室植物園だったか、いまはもう覚えてもいないところで一度だけ、太い樹の幹にジッと留まっているのを見ただけ。記憶にあるのは、微かに翅をふるわせていた、ことだけ。

 あとは、標本に固唾を呑んで見入るばかり。ましてや飛ぶ姿も見てはいない。
 だが、そのことにも別に不思議はなくて、「ヨナグニサン」は飛ぶのが上手ではなく。島の民家の灯火に飛来する…とはいっても、実態は留まりに来るのだそうな。

 飛ぶことが珍しい、ばかりではない。
 「ヨナグニサン」は「オオミズアオ」と同じく、羽化後(成虫になってから)は口器(口吻)が退化し失われるために、それまでに蓄えた養分で生きるほか途なく、寿命はせいぜい1週間ほど、という。

 このへんから、ぼくは生物の繁殖行為(セックス)に、根源的な神秘性に感じてしまい、ほとんど涙するほかない。
 雌は、生まれるとすぐにフェロモンをふりまいて雄を呼び誘い、雄は触覚でこれを嗅ぎつけ駆けつける。これで命のかぎり、精一杯。雄は生殖の後、死を迎える。
 雌は、豆粒ほどの卵を産んだ後、これも間もなく息絶える。

 「ヨナグニサン」も「オオミズアオ」も、わが子の誕生を見ることはない。故郷の川に遡上して交尾・産卵のあと、傷つき果て「ほっちゃれ」になって生を終える鮭と同じだ。

 さらに「ヨナグニサン」の場合の、蛹から羽化への潮どき待ちの話しに、ぼくは涙こらえて天を仰ぐ。
 なんと! 台風の通り道…沖縄の地理環境を利用するという。

 卵から孵った幼虫は、節くれだって大きなイモムシ期を経て、やがて蛹になるわけだけれども。発生は年に3回というから、すべてが、この〝台風待ち〟できるわけでもないのだろうが…。

 なにしろ、樹の枝から垂下した蛹は、気圧の変化を感じとるものだろうか、台風の通過後にあわせて羽化する、とのこと。
 台風の時期をはずれるか、あるいはまた、たまたま台風の訪れはなくても、気圧の按配を診て羽化のときを測っているのやも知れない。
 ついでに申し添えておけば、この「ヨナグニサン」、熱帯性にもかかわらず高温を苦手にする…ともいわれる絶滅危惧種
  ……………

 与那国島には、「アヤミハビル(沖縄の方言でヨナグニサン)館」というのができており、ここで生態にふれることができるし。
 最近は、幼虫期40日間ほどを同じ樹の葉を食べる性質を利用、ヨナグニサンの糞(とても臭いらしい)で染色にも成功した、とのこと。
 山繭の糸で織物…だけではなかった!
  ……………
 
 おしまいに、さきほどボクが首を傾げた「ヨナグニサン」の翅の、蛇を思わせ敵を威嚇するのではないか…という説について。
 ぼくが感ずるままを言わせてもらえば、羽化後の「ヨナグニサン」の短命からして、またあるいは、大きく鎮まったその在り様からしても、あらためて威嚇の必要なし。ただ、その〝威〟もって制するのみ、と思える。

 ちなみに、もっとも怖い天敵はコバチの仲間。彼らは「ヨナグニサン」の幼虫に卵を産み付け寄生させる。それはかなりの高確率になる、とのこと。
 敵は、威嚇に怯えなくてもいいのであった……