どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

※トラックの荷台で「せいや!」も、まぁ…いいかぁ! 季節はずれの浅草「三社祭」

-No.2607-
★2020年11月10日(火曜日)
★11.3.11フクシマから →3533日
★延期…オリンピック東京まで → 256日
★旧暦9月25日(月齢24.3)









◆祭りの朝は早い、のがきまり

 …であった。
 準備は前日までにすませてはあるが、祭りの日にはやはり、逸〔はや〕る気もちをかかえ、ひと足早く駆けつけるのが「若い衆」の心得であり、特権でもあった。

 ところが…
 いま浅草に向かう地下鉄銀座線に乗っているボクの、腕時計はすでに10時を大きくまわっていて、これには人知れず吾から苦笑いするしかない。
 まぁ…いいか! ぼくも、もう祭りでは、年寄りの分際だった。
  ……………

 10月18日、日曜日。
 夏(春)祭りが秋祭りになった、ことし「新コロ」禍の浅草・三社祭
 本社神輿「一之宮」の庫出し、清祓いが午前11時。
 年寄りはこれに間にあえばいい。

 異例の三社祭、ことしの祭礼は、従来の氏子連中による神輿担ぎ、連合渡御などすべてとりやめ。神輿は車に遷座されて巡行するが、その道筋も知らされず、沿道での参観もご遠慮ください、巡行の模様はライブ配信の動画投稿サイトでご覧いただけます…という。
 すべてが、およそ祭りらしくもない。

 銀座線の車内にも、例年なら見られる祭り装束の姿もなく…しかし…人出に遠慮気味の気配はなく、浅草駅の改札を出た人波は、雷門方面へ、あるいは墨田川やスカイツリーに向かう吾妻橋方面へと流れる。

 仲見世通の混雑を予想したボクは、脇道の馬車通を二天門を目指す。
 途中で、祭装束の若い衆と出逢い、「支度は…」「できました」「御神輿は…」「そろそろお出ましです」と簡潔な応え、気もちよい。

 二天門をくぐった先の浅草神社、鳥居の前はすでに大勢の人だかり。きょう、いわば非常時の入口はここひとつに絞られ、境内に入りたい人は、列に並んでマスク着用の確認、手指の消毒および体温チェックを受ける。
 ふと気がつけば、「密集」を避け、こちらの様子を遠見に、浅草寺西側の石段に居並ぶ一群の人たちがあった。

 神社境内、拝殿前にはすでに人垣ができて、お参りに来た人はやむをえず、その背後から遠く手を合わせる。報道陣や素人カメラマンたちのレンズが神事の開始を待っており。舞殿前の床几には、いま流の、「密接」を避ける仕切り。




 人混みの多くが、氏子町内や神輿会の関係者で、それぞれに揃いの印半纏を着こんで、仲間たちと談笑しあっている…のだが。
 いつもと違うのは、例年なら「宮出し」の先棒どりを競って、若い衆たちが熱く爪先立ち、殺気だってくる空気がないことだった。

 (やっぱり、これは祭じゃない!)
 そんな気分をいじわるに、「どぅ、ことしは…」声をかけたら、「しょうがない、けど、ダメだね、神輿は担がないと…」ぶっきら棒に応えた半纏は、もう仲間たちの方を向いていた。




  ……………

 見えないところで、お祓いが済み、人混みの頭の上を「一之宮」の神輿の上の鳳凰が拝殿前へと移動してくる。
 ここで、もういちど神事「神幸祭」が、やはり一般の氏子たちには見えないところで挙行され。
 神輿を待つ人たちの間からは、「どこからお出ましか」推測の声。関係者にも「渡御巡行」の細部は知らされていなかったらしい。

 ぼくのカメラ・アイは、神輿の出口を思案する(いいところで迎え・送りたい)も…結局、鳥居のある神社正面口しかないと思いきめる(神輿が裏口からお出ましになるワケがない!)。

 そんなわけで
 ぼくは、拝殿から鳥居へと延びる石畳に陣どっていたのだけれど。
 振り返れば、拝殿での神事の間に、いつのまにか、鳥居のところに設置されてあった、消毒&体温検知の装置が除かれており。
 間もなく、神輿渡御を先導する役の方たちが整理して、敷石道の両脇に人垣ができ、ぼくの目論見どおりになった。

 不時やむをえない「一之宮」だけの神輿(ふだんなら三之宮まで3つが勢ぞろいするところダ)は、幔幕飾りの台車に鎮座して、先祓いの太鼓につづき、懸命にお供の人々に供奉されながら…それでもやっぱり、不憫なくらい寂しげに鳥居をくぐって行く。神さまには誠に相すまないことながら、滑稽でしかなく。
 (「新コロ」禍は〝悲劇〟の連鎖を広げたが、そこにはまた、ずいぶん笑えない〝喜劇〟も混じった…なかでは、これなんぞ微笑ましいウチ)
 その後ろ姿に、氏子町内の印半纏組から「担がれなきゃぁ、神輿じゃねぇよな」と、惜しむような恨みがましいような声がかかった。
  ……………



 神輿は、そんな送りコトバを背に聞きながして、二天門から表の通りへ。
 ぼくの、2020年の「三社祭」もこれで終わり……

 着付けサービスの、着慣れない着物姿の若者たちの姿が、そろそろ戻り始めている仲見世通り。家内の土産に、ひさしぶりに「人形焼」と「揚げまんじゅう」を買う。店の主の顔がほころぶのを見るのも、ひさしぶり。
 ひやかして歩くスーベニール・ショップ系の方は、外人観光客を待ち遠し気に「まぁだ…これからだネ」と渋く笑っていた。




 ……………

 翌日の新聞朝刊には、雷門前を巡行する写真付きの記事が載っていた。表通りに出るところで台車からお移しされたのだろう、トラックの荷台に、居心地わるそうにモジモジして見えた。

 記事には、「お囃子が先導、マスク姿の宮司が人力車で後につづいた」とあり。約2時間をかけてゆっくり巡ったとのとこ。
 祭りはあくまでも「神さまにマチを診てもらうのが本来の目的」なのだから。
 
 ぼくは、「来年こそ神輿を担がせてもらう」と意気込んでいた浅草神社奉賛会・氏子連中の気もちを汲んで、ひとり吾が胸に「セイヤ、セイッ…」気合の声を口遊む。
 よく浅草っ子たちが、「終わってようやく年が明ける」というほどに入れ込む「三社祭」。
 ことしは季節はずれに遅れた分、来年は早々に初春が巡ってくることになる。