どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

※古い樫の木のような…男が男だった時代の人… / スペンサー・トレイシーの『老人と海』 

-No.2526-
★2020年08月21日(金曜日)
★11.3.11フクシマから → 3452日
★延期…オリンピック東京まで → 337日
★旧暦7月3日(月齢2.0)






◆カジキ漁の…老人

 その老人(名はサンチャゴ)には、もう84日間も不漁がつづいていた。
 (80日超というのが、どれほどの時間か…19世紀でも『世界一周』が果たせた日数だったし、だから、いまの「新コロ」パンデミック第1波の半年あまりには、ただただ茫然とするばかりだ…けれど)
 誇り高き老漁師には、ひどくこたえる辛い日々。

 彼は、夜の沖からはハバナの街灯りが遠く望めるキューバの寒村に住み、一本釣りで大型のカジキを仕留めて暮らす。
 (ニッポンでも〝突きん棒カジキ〟と格別に呼んで賞味する!)

 助手の少年と小さな帆かけ舟でメキシコ湾の沖に出ては、えものを狙う日々だったが、このところひどい不漁つづきで、少年は両親から、別の船に乗って稼ぐように命じられてしまい、いまは仕方なく助手なしだ。

 漁師仲間たちは、「あいつは運の尽きた過去の男さ」と、口には出さなくても蔑みに近い憐みの目で見ており。しかし、孫ほども歳の若い少年だけは、老人を理解し慕って、漁のない老人に、じぶんの稼ぎからコーヒーやビール、朝晩の食事を差し入れていた。

  ……………

 このブログの読者なら、ほとんどの方が読んでいるのではないか。
 アーネスト・ヘミングウェイの『老人と海』。
 ぼくが、生涯にただ1冊、原文で読んだ本であり。この読書で、ぼくは日本語表現に専念しよう…と思いきわめることになった。

 ヘミングウェイノーベル文学賞受賞に寄与したことでも知られる、ぼくの好きな短編だったけれども。いまは手もとに本はない。あえて理由を言うなら、ぼくも歳をとったから…だろう。

 この本、原作の映画『老人と海』(1958)は、ジョン・スタージェス監督がスペンサー・トレイシー主演で撮った。
 『荒野の七人』(1960)、『大脱走』(1963)などのアクション映画で知られるジョンは、もともとがドキュメンタリーからスタートした人。そんな彼が、ほとんどスペンス(S・トレイシーの愛称)の〝ひとり芝居〟といっていい映画を撮り。
 スペンスの演技というより存在感が、ぼくの好きな海を舞台にして絶妙。その作品は、まだ若かったボクに、「すぐれた叙事は、そのまますぐれた叙情である」ことを教えてくれた。

  ……………

 ムービー・カメラは、それから…ひたすらに、老漁師と海との〈叙事叙事叙情〉を
見つめ、根気よく、飽きずにつきあう。そう、少年のようにだ。

 9月の明くる日、いつものとおり、老人は早暁の海に漕ぎだす。
 ほかの漁師たちも、それぞれに、それぞれの漁場を目指し、やがて小舟の灯りは広い海原の闇に消えて、老人はひとりになる。これもいつものとおり。
 海には、トビウオが跳ね、老人の舟には小鳥が羽を休めに立ち寄る。これも、よくある、いつものことだ。

 朝が明けて、じぶんの持ち場(漁場)についた老人は、幾筋かの糸を海中に垂らして、大物とのファイティング待機の態勢に入る。針には、自慢のとびきり旨い餌が仕掛けてある。さぁ、いつでも来い、喰いつけ。

 はじめに、カツオが一尾かかって、こいつで軽く腹ごしらえでも…と思っていたときに、1本の仕掛けにグイとアタリがある。こちらはデカい。
 食いついたのは巨大なカジキにちがいない、老人にはそれがわかる。

 糸を素手であやつり、好敵手の獲物に語りかけながら老人は、頭の隅っこで、いまは助手の少年がいない境遇を悔やむ。…が、ひとりでもなんとかできるだろう。
 老漁師は、獲物が波間に浮き上がってくるのを待つ。そうすれば浮袋に吸い込まれた空気が再び深く潜る妨げになるからだ、が…。

 相手は、不気味に掛かった針先の痛みに耐えて潜行したまま、それからの3日3晩、老人の舟を引きまわした。
「おまえは賢いらしいな…」「それとも前に釣りあげられかけたことがあるか…」 

 老人は、その獲物に充実した手応えを感じながら、糸先に探りをいれつつ、ひそかに念じる(海面に浮け…)と。いつまでも、潜りつづけていられるものではない。
 だが、大物も忍耐づよく、老人の体力を奪っていく。

 ときには、気を失いかけるほどに、消耗した頭に去来するのは…輝かしく力漲っていた過ぎ去りし日々。
 むかし船員だった若い頃に、アフリカの岸辺で見たライオンの群れのこと。力自慢の黒人と演じた一晩がかりの腕相撲勝負に勝ち、「チャンピオン」と讃えられたこと、など。とりとめもない。
 そうして、やっぱり海だ。励ましてくれるのはイルカやクジラ、無心に狩りをつづける海鳥たち……

 そうして、3日にわたる孤独な格闘の末、仕留めたバショウカジキは老人の舟よりデカい5メートル以上…の超大物。

  ……………

 しかし、あまりに遠出しすぎた老人に、ツキはない。
 老人は「運を売る店があれば買いたいものだ」とも思うが。
 デカすぎる獲物は引き上げることができず、しかたなく舷〔ふなばた〕に縛りつけて港へ戻る途中、傷ついたバショウカジキから流れる血の臭いが、鋭い嗅覚と高速遊泳の狩人アオザメの群れを呼び寄せてしまう。

 老人はいまこそ 、好敵手バショウカジキを守る側に立つ。
 舟に結びつけられた大物の肉塊に執拗に襲いかかり、無慚に喰いちぎっていくサメの群れと、老人は必死に闘う。
 が…老人がオールに括りつけたナイフで鮫を突き殺すたびに、また新たに流れだす血がより多くの鮫を惹きつけてしまい。
 精魂尽き果てた4日目の朝。すっかり喰いちぎられた大物バショウカジキは、巨大な頭をのこして、あとは骨ばかり。
「ごめんよ兄弟…」
 
 やっと港に帰りついた老人は、よれよれになりながらも、じぶんの粗末な小屋に辿り着くと、古新聞を敷いたベッドで倒れ込んで眠りこけ。
 老人は、尊敬するライオンの夢を見た。

 大物バショウカジキの残骸は、しかし、漁師の村の人々を驚かせるのに充分だった。
 もちろん少年も、じぶんのことのように誇らしく、それを見た。
 彼は、熱いコーヒーのテイクアウトを手に、老人のベッドにやってくる。
「やられたよ、完敗だ、運が尽きたか…」
 老人がぼやくのに、少年がこたえる。
「運は、ぼくがもってくよ」

  ……………

 この映画で、老人サンチャゴを演じたスペンサー・トレイシー
 ぼくが、異国の人ながら、尊敬する俳優の筆頭にあげる役者、その人。

 なかでも印象にのこる(アカデミー賞候補の常連)作品をあげれば。
 1つは、ナチ戦犯の裁判を描いた『ニュ-ルンベルグ裁判』(1961、スタンリー・クレイマー監督)の、思慮深い裁判長役。
 そしてもう1つは、黒人男性と白人女性の結婚をめぐる双方家族の葛藤を描いた『招かれざる客』(1967、スタンリー・クレイマー監督、キャサリン・ヘプバーンシドニー・ポワチエと共演)。この映画でスペンスは、リベラリストで理解を示しながら娘の結婚を認められない新聞社社長の父親役に、深い味わいを見せた。
 
 なお、ちなみに、この映画の撮影終了後、間もなくにスペンスは心臓発作でこの世を去っており。
 長らく彼の良きパートナー(結婚はしていない)であったキャサリン・ヘップバーンの人柄コメントが、気が利いていて佳い。
「彼は古い樫の木のような人、あるいは夏の風のような人。いずれにしろ男が男だった時代の人だった」「男と女のロマンチックで理想的な関係というのはこういうものなのよ」

 そうして
 キャサリン・ヘプバーンも、ジョン・スタージェスもすでにこの世にいない……