※「裏切る」のは…「根返る」のか「寝返る」のか
-No.2467-
★2020年06月23日(か曜日)
★11.3.11フクシマから → 3393日
★延期…オリンピック東京まで → 396日
★旧暦5月3日、三日月・若月・眉月
(月齢1.9、月出05:57、月没20:51)
※きょうは、「沖縄慰霊の日」。新コロ・パンデミックで騒がしくなっていた世の中が、ニッポンでは少し、オトナしくなったときでヨカッタ…と思います。
◆「根こそぎ」ひっくり返る…わけ
「そぐ」は、「薄く削りとる」ことで、漢字では「削ぐ」または「殺ぐ」。
「こそげる」は、「はがす」とか「はぎとる」ことで、漢字では「刮げる」。
これらの、古来伝統的な日本語の表現には、かなりキョウレツなものがあって、思わずたじろいでしまうほどです。
ほかに大工用語には、「木殺し(木工技法語でふつうの国語辞書には項目がない)」なんてのまである。
……………
樹木生態生理学者、清和研二さんの『樹に聴く』(築地書館、2,400円)を読んで、こころ愉しくなりました。
樹の生き方と戦略、育児(播種)の愛情、かさねる年輪の多様性など、「目から鱗…」なこともいっぱいありました。
やっぱり、生きもの世界、自然科学はおもしろい。
この本で、「根返〔ねがえ〕る」という表現に出逢ったボクは、「刮目」しました…そう、目を瞠〔みは〕らされました。
この表現が、清和さん独自のものか、あるいは植物学界に共通するものかは、知りません。
ぼくには馴染みがありませんでした…けれども、とても示唆にとんでいたからです。
「根返る」という現象は、「樹が根こそぎにひっくり返る」こと。
〈動物〉と違ってその場を動くことのできない〈植物〉、樹木の死は、寿命が尽きて枯れるのがふつうで、その場合、倒れることがあっても幹の何処か、からで、「根返る」ほどのことは珍しい。
それこそ〝天変地異〟クラスの風水害でもなければ、なかなかお目にはかかれません。
しかし、その稀有な「樹が根こそぎにひっくり返る」ようなことがあると。
それが大木老樹であった場合には、これまで他を優越していた樹冠(樹木上部で光合成の働きを主働するところ)が失われ、ほかの草木たちにとっては、新たな生息チャンス域「ギャップ」ができることを意味します。
森や林にギャップができることによって、草木の繁殖が「更新」され、「遷移」して、新しい環境を形成していくことになるわけです。
このへんの、アクシデントにチャンスが絡むダイナミズム。
なにやら人間世界にも通じそうな気配、を感じさせますよね。
……………
そう…この「根返る」という表現に遭遇して、ぼくが、すぐに想い出したのは「寝返る」というコトバでした。
そうして、そこから連想は、「寝返る」の語源は「根返る」ではなかったか…へと飛びました。
けれども、「寝返り」を辞書でひいても。
言葉の意味は「寝たまま体の向きをかえること」と、それから派生して「味方を裏切って敵方につくこと」(これは〝寝返り〟の多くが逆向きになることからきたのでしょう)としか説明がなく、「根返る」にはひとことの言及もありませんでした。
なるほど、人の〈寝相〉ほど、秘密めかしく興味深いものはなく。
戦乱に明け暮れた時代の武士なら、親しい者の「寝返る姿」に鋭い怯えを抱くことがあったかも知れない、気はします。
きっと〈冷や汗〉ものだったに違いありません。
「裏切り」の語源は、「人の背後から切りつけること」ですしね。
しかし……
「寝返る」行為と結果と、そして後々にまでおよぶその影響の大きさからすると、「寝相」が語源ではあまりにも薄弱にすぎる、気がしませんか。
一説に、「寝返る」の語源は「将棋の駒の使われ方からきたもの」とされ。
それは「相手にとられた駒が〝死に駒〟にはならずに、敵方に寝返って仇をなすからだ」というのですが、はて…どんなもんでしょう。
そうかも知れない、けれども(穿ちすぎ)な気もします。
それこそ、ときにズッテンドウとばかり、天地がひっくり返るほど「命懸け」の行為であるからには、その心底「根返る」ほどのものであったろう…とボクは思うのです。
日ごろ野山も駆け巡っていたろう昔の武士なら、大木の「根返る」ときの凄まじいばかりの迫力は、きっと身に沁みていたにチガイない、と……