どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

※「裏切る」のは…「根返る」のか「寝返る」のか

-No.2467-
★2020年06月23日(か曜日)
★11.3.11フクシマから → 3393日
★延期…オリンピック東京まで → 396日
★旧暦5月3日、三日月・若月・眉月
(月齢1.9、月出05:57、月没20:51)


※きょうは、「沖縄慰霊の日」。新コロ・パンデミックで騒がしくなっていた世の中が、ニッポンでは少し、オトナしくなったときでヨカッタ…と思います。





◆「根こそぎ」ひっくり返る…わけ

 「そぐ」は、「薄く削りとる」ことで、漢字では「削ぐ」または「殺ぐ」。
 「こそげる」は、「はがす」とか「はぎとる」ことで、漢字では「刮げる」。

 これらの、古来伝統的な日本語の表現には、かなりキョウレツなものがあって、思わずたじろいでしまうほどです。
 ほかに大工用語には、「木殺し(木工技法語でふつうの国語辞書には項目がない)」なんてのまである。

  ……………

 樹木生態生理学者、清和研二さんの『樹に聴く』(築地書館、2,400円)を読んで、こころ愉しくなりました。
 樹の生き方と戦略、育児(播種)の愛情、かさねる年輪の多様性など、「目から鱗…」なこともいっぱいありました。
 やっぱり、生きもの世界、自然科学はおもしろい。

 この本で、「根返〔ねがえ〕る」という表現に出逢ったボクは、「刮目」しました…そう、目を瞠〔みは〕らされました。
 この表現が、清和さん独自のものか、あるいは植物学界に共通するものかは、知りません。
 ぼくには馴染みがありませんでした…けれども、とても示唆にとんでいたからです。

 「根返る」という現象は、「樹が根こそぎにひっくり返る」こと。
 〈動物〉と違ってその場を動くことのできない〈植物〉、樹木の死は、寿命が尽きて枯れるのがふつうで、その場合、倒れることがあっても幹の何処か、からで、「根返る」ほどのことは珍しい。
 それこそ〝天変地異〟クラスの風水害でもなければ、なかなかお目にはかかれません。
 
 しかし、その稀有な「樹が根こそぎにひっくり返る」ようなことがあると
 それが大木老樹であった場合には、これまで他を優越していた樹冠(樹木上部で光合成の働きを主働するところ)が失われ、ほかの草木たちにとっては、新たな生息チャンス域「ギャップ」ができることを意味します。

 森や林にギャップができることによって、草木の繁殖が「更新」され、「遷移」して、新しい環境を形成していくことになるわけです。

 このへんの、アクシデントにチャンスが絡むダイナミズム。
 なにやら人間世界にも通じそうな気配、を感じさせますよね。

  ……………

 そう…この「根返る」という表現に遭遇して、ぼくが、すぐに想い出したのは「寝返る」というコトバでした。
 そうして、そこから連想は、「寝返る」の語源は「根返る」ではなかったか…へと飛びました。

 けれども、「寝返り」を辞書でひいても。
 言葉の意味は「寝たまま体の向きをかえること」と、それから派生して「味方を裏切って敵方につくこと」(これは〝寝返り〟の多くが逆向きになることからきたのでしょう)としか説明がなく、「根返る」にはひとことの言及もありませんでした。

 なるほど、人の〈寝相〉ほど、秘密めかしく興味深いものはなく。
 戦乱に明け暮れた時代の武士なら、親しい者の「寝返る姿」に鋭い怯えを抱くことがあったかも知れない、気はします。
 きっと〈冷や汗〉ものだったに違いありません。

 「裏切り」の語源は、「人の背後から切りつけること」ですしね。

 しかし……
 「寝返る」行為と結果と、そして後々にまでおよぶその影響の大きさからすると、「寝相」が語源ではあまりにも薄弱にすぎる、気がしませんか。

 一説に、「寝返る」の語源は「将棋の駒の使われ方からきたもの」とされ。
 それは「相手にとられた駒が〝死に駒〟にはならずに、敵方に寝返って仇をなすからだ」というのですが、はて…どんなもんでしょう。
 そうかも知れない、けれども(穿ちすぎ)な気もします。

 それこそ、ときにズッテンドウとばかり、天地がひっくり返るほど「命懸け」の行為であるからには、その心底「根返る」ほどのものであったろう…とボクは思うのです。

 日ごろ野山も駆け巡っていたろう昔の武士なら、大木の「根返る」ときの凄まじいばかりの迫力は、きっと身に沁みていたにチガイない、と……