どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

※シロナガスクジラがシャチに殺られる! /    驚異の海棲哺乳類の世界

-No.2712
★2021年02月23日(火曜日、天皇誕生日
★11.3.11フクシマから →3638日
★延期…オリンピック東京まで → 151
★旧暦1月8日(月齢7.3)
※次回は、2月26日(金)の予定です※





◆「マッコウ」が「シロナガス」に変貌

 メルヴィルの『白鯨』に出逢ったのは、あれはたしか、小学校の高学年。
 …といっても、原作はなにしろ難解で知られる長編大作小説のこと、ぼくが図書室から借り出して読んだ本は、児童向けにアレンジされた普及版だったのだろう(もう記憶もオボロ・ボロ・ボロ…)。

 アメリカの捕鯨船長エイハブが、吾が片脚を喰いちぎった憎っくき白鯨モビィ・ディックを「悪魔の化身」とみなし、復讐心に燃えて報復の死闘を挑む物語で。グレゴリー・ペック主演の同名映画『白鯨』(1956年、ジョン・ヒューストン監督)もあったが、興行的には大失敗。

 その理由もすべて、まるで黒いヴェールをまとったように、ひたすら暗~いお話しにあったわけで。結末も悲劇的、救いのないものだった、にもかかわらず。読む者を肚の底から震えあがらせる魔力を秘めていたのもたしか。
 ただひとり生きのこり、棺桶を改造した救命ブイで漂流の末に救出された乗組員、イシュメイルの語りも呪いのごとく……

 そのせいか、どうかはワカらない、謎なのだけれども。
 なぜか、なにしろ、その後のボクの脳裡には、とんでもない〝どんでん返し〟が待っていたのだ。
 それは、気がつけば、あの白鯨モビィ・ディックが、なんと、いつのまにかマッコウクジラからシロナガスクジラへと、大変身を遂げていたこと。

 白鯨とシロナガスに共通するのは「白いクジラ」ということだけ。
 フシギなのは、そもそも、ハクジラ(マッコウやシャチ、イルカなど)とヒゲクジラ(ナガスやザトウ、ミンクなど)とでは、食性・生態がまるで違う。

 ヒゲクジラ類が、主にプランクトンなど浮遊性の生物を捕食するのに対して。ハクジラ類は魚類やイカ類を捕食、あるいはシャチやイルカのように自身より大型のクジラやアザラシ、ペンギンやサメなどを襲うこともある(だからエイハブ船長の脚をも喰いちぎった!)。

◆大砲でズドンと一発…「捕鯨オリンピック」

 ぼく想うに、これは
 南極海で繰りひろげられた「捕鯨オリンピック」のせいではあるまいか。

 そう、ぼくたち戦後すぐ生まれの少年時代には、「ホエール・ウオッチ」時代のいまからは思いもおよばない、鯨を捕獲(喰うために殺戮)したばかりか、「くじら狩り」の成果を競いあうようなことまで行われていた。

 つまり「よーいドン」で操業を開始、漁獲量の総計が漁獲枠に達したらその時点で「おしまい(終漁)」とする管理法(後には国別割当制)で、これを「オリンピック方式(あるいはダービー方式)」、別名「捕鯨オリンピック」と呼んだ。
 凄まじい!

 ずいぶん無神経な……非道で……残虐な……
 動物保護団体でなくてもマユを顰めるような……
 このオリンピック方式は1959年(昭和34)までつづいて……

 けれども、じつはこれ(第二次世界大戦の)戦前から行われてきたもので、ぼくたちの父母とか祖父母の世代に根づいた、〝伝統〟に近いもの(だからこそ、いまもくじら料理専門店が存在する)だった。

 戦後の食糧難時代に育ったボクたちにとって、鯨肉は貴重なタンパク源。
 その生肉から流れ出る血は、牛・豚(もちろんヒトも含まれる)と同じ哺乳類のもつ色濃さで、魚類の血がもつ淡さとは明らかに異なっていたのだ、けれども。
 あの頃は、そんなことより空腹を満たすことがさき、選り好みのできる状況ではなかった。






 

◆血管の中を人が泳げる

 シロナガスクジラも戦前から捕獲されてきたもので、なにしろ「地球上最大の哺乳類」だから、資源としても超弩級。「捕鯨オリンピック」参加の各国が真っ先駆けて狙う大物、いうまでもなく。

 当時のニュース映画には必ずといっていいほど、捕鯨砲でズドンと一発命中の場面がとりあげられ。大きな母船に引き上げられたその巨体は、甲板から尾が食み出すほどの圧巻。
 なかでも、「大動脈の血管の太さは、なかを人が泳げるほど」というのを聞いて、ぼくは魂消た覚えがある。
 
 その全貌、全長は25~30メートルm余、体重は200㌧に近く、体表は淡灰色と白のまだら模様で、のどから胸にかけては白模様。それが際だって見えることからの命名
 もっとわりやすいスケールで表現すれば、人間の平均身長を170㎝とすると、シロナガスクジラはおよそ、その12~20倍。長さ34mを高さにおきかえると、だいたい11階建てのビルと同じになる。

 もうひとつ、シロナガスクジラに与えられた栄誉は、国際的な「単位」にさえなった経歴をもつ、ということ。
 では、その「シロナガス換算(BWU)」と呼ばれるのは、どんな単位か?
 こたえは「シロナガスクジラから採れる鯨油の量を基準に、捕獲頭数に換算」する、鯨油生産調整のための方式(1932年設定)。例えば、ナガスクジラなら2頭でシロナガス1頭、ザトウクジラなら2.5頭、イワシクジラで6頭…というふうに。

 ちなみに、この話し、水産や鯨類の資料ばかりでなく『はかりきれない世界の単位』(米沢敬著、創元社)という本にも紹介されている。

 けれども、この「大型ほど捕獲効率が良い」ことをあらわす栄誉の単位が、結果、鯨資源の枯渇を招くことになったのは皮肉なことだった。
 
 ともあれ、少年時代のボクにとって。
 こうした「大海原の王者」というイメージが、そのまま「つよさ」に結びついて、「人喰いクジラ」の座をマッコウクジラから奪いとってしまったものらしい。




◆「大海原の王者」を屠るシャチ

 こんなふうに、「大海原の王者」シロナガスクジラは、向かうところ敵なし。
 捕鯨砲で狙い撃ちしてくる人間をのぞけば、天敵はないものとボクは思っていた。
 シロナガスクジラの平均寿命は知らないけれど、長命をまっとうしたあとにのこされているのは自然な死だろうとばかり、思いこんでいた。

 しかし…やっぱり、そんなことは許されない。
 なにものに対しても、ひとしく厳粛なのが自然であった。
  
 人類がウイルス感染症の脅威にさらされていた20年冬、1本のドキュメンタリー・フィルムが、その事実を知らせてくれた。
 
 舞台は、オーストラリアの南西海岸にあるブレマー・ベイ。
 付近の海域は〈海の再生産力〉に恵まれた「豊穣の海」と呼ばれる。

 世界の海洋にはいくつかの、海底の栄養塩ゆたかな深層水を、海水面へとまきあげる〈湧昇流〉というものが存在することを、いまのぼくたちは知っている。

 たとえば、その代表的なものが「進化の島」ガラパゴス付近に湧昇するは「赤道潜流(クロムウェル海流)」であり。またアメリカ西海岸、モントレー湾の海底渓谷から湧き上がる深層水の流れにも、ジャイアントケルプが繁茂する壮大な生命循環の環が形成され、そこにはラッコばかりではない、最終捕食者のイルカやシャチまでが群集する…と。

 オーストラリアのブレマー・ベイも、そんな海域のひとつ。
 「ブレマー峡谷」と呼ばれる海溝が落ちこむ、そこには、南から流入する南極海流があって〈湧昇流〉となり、海溝に降り積もったマリンスノー由来の〈栄養塩〉を海面へと巻き上げ…この働きで「海の砂漠」は一転、豊饒の海に変わる。

 つまり、栄養塩を集める海溝付近の海はプランクトンの発生に恵まれ、これが食物連鎖を進める引き金となって、海の食物連鎖の頂点に立つ大型魚や海棲動物を呼び集める「ホット・スポット」をかたちづくり。
 その最高位にあるシロナガスクジラやアカボウクジラなども参集、これを狙って襲いかかるシャチとの烈しい争闘の舞台にもなるのだ、と。

 (そうか…そだったな)と、ぼくは吾が迂闊を思い知る。
 地球最大の哺乳類はシロナガスクジラだ、けれども、海の最終・最強捕食者にはシャチがいた。
 彼らが、南米の沿岸に棲み暮らすアシカの仲間オタリアを、誤ればみずからの巨体が浜に座礁しかねない危険を冒してまで、巧みな頭脳作戦で狩りをすることも、ぼくたちはすでに知っていたではないか……
 
 シャチたちは「サージ」と呼ばれる、獲物を追い詰める行動が知られている。ときには数家族が合流することでグループ行動をより強力なものにするわけだが。この「サージ」をもってシロナガスクジラを追い詰め、仕留める。
 シロナガスクジラは地球上最大といってもプランクトン食であり、シャチはマッコウクジラと同じ肉食・捕食のハクジラなのであった。
 ぼくは、ほとんど茫然と…シャチの襲撃によってシロナガスの子クジラが血にまみれ、斃されるのを目撃することになった。大きな母クジラにも、吾が子を守ることはついにできなかった…。

 やがて闘いがすむと
 シャチたちが貪った肉のおこぼれはマリンスノーとなって、大量に海底へ降り積もっていく。骨も海底に沈んで、海底の掃除魚や甲殻類、最後はバクテリアによって分解され、莫大な量の有機物に変わるのであった。

 この〈湧昇流ゆたかな海域〉、豊饒の海の舞台をダイナミックに演出する主役はシロナガスクジラではない、シャチなのだった。

 おかげで、ぼくの積年の呪いも溶け、「白鯨」は無事シロナガスからマッコウに帰っていった……