※富士山に詣で、出汁味に目覚めて…ことし新春迎えの儀をおえる
-No.2313-
★2020年01月21日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 3239日
★ オリンピックTOKYOまで → 185日
★旧暦12月27日
(月齢25.09、月出03:23、月没13:39)
この新年は、昨年暮れに従弟の一人を亡くしたボクにとって、格別。
けれども、こと春迎えの儀は、これまた別である。
いうまでもなく
ハレ(晴れ=儀礼や祭・年中行事などの非日常)とケ(褻=ふだん生活の日常)の文化圏にあっては、身を慎む「喪」と暮らしの「区ぎり」とは、双方を見あわせながらも、とどこおりなく、すませていく。
◆富士山=浅間神社に詣でる
ことしも箱根神社に初詣をした、けれども。
小正月(15日)の左義長(どんど焼)には行けなかった(松飾を遠慮したので焚くべきものもなかった…)ので、新年迎えの儀の〆をしておきたいと思って。
富士宮の、富士山本宮浅間神社に詣でることにしたのは…
その社前に、ユニークな造形美で魅せる「静岡県富士山世界遺産センター」があり、ここを、なにかの折にはぜひ訪ねておきたかったから。
たまたま昨年末に、ここで冬季特別展『谷文晁×富士山』が開催されるとの報があって、うまくその折(チャンス)に恵まれたわけである。
ぼくは谷文晁の南画の自在闊達な筆致が好きであり、それよりも旅と山を愛した足跡と、日本の代表的山岳89座の風景を90葉の画にまとめあげた『日本名山図絵』の、絵師としての〝凝り性〟を尊敬してもいた。
彼のなかでも好んで描いたのが富士山であり、ここには『富士山真景全図』(紙本着色一巻、1795年)も見られる。
◆富士山はついに顔を見せずじまいだったが…
ぼくもまた人並みに、やっぱり「遠く観る富士や佳し」とするものだが。
真近に、顎が痛くなるほど仰向かせて迫る富士もだ~い好きだった。
若き日
富士宮からも遠からぬ朝霧高原で、夏休み子どもたちの遊牧民キャンプ。
朝のテントから顔を覗かせた子らが、「見えないや」と富士山を探そうと遠くを見る目になる。そこで、「見せてやるから上を向いてな」言いざま、仰向いた身体を斜めに引っ張り出してやれば「あぎゃぁ~…あったぁ!」。
素っ頓狂な声をあげて転び出したあとは、もうただただ小躍りするばかり。
そんな子らをずいぶん見ているうちに、こっちもなにやら無性にテンションが高くなっている…そんな功徳が富士山にはあるのだった。
ただし、山は気紛れ。いま見えていた富士が、ひょっとよそ見した隙に隠れてしまったり、あきらめかけた頃に、またひょっこり顔を見せたり、思うようにはなってくれない。
出かけた17日は、これから下り坂に向かうという天気の合間。
だが…道中の間は、ちらちらと顔を見せていた富士が、到着した頃には御開帳もおしまい。暑い雲にすっぽり麓の方までおおわれていた。
ともあれ
2013年(平成25)に、世界文化遺産に登録なった記念の施設は、東日本大震災の復興建築にもかずかずの業績をあげた建築家、板茂さんの設計。
伝統の木組みをふんだんに用い、「富士山への畏敬」をコンセプトにした造形には目を瞠る。
円形の内部は、ゆるやかに弧を描くスロープを歩み登りながら5階くらいの高さまで至る間に、富士山の自然・文化・歴史を、うごきのある映像を主に紹介していく仕掛け…あきさせない。
そうして、パッと開けた5階の展望ホールからは、すぐ目の前に富士の山。
ここまで、もうしぶんない展開できたのに、ザンネン口惜しいことに、富士さん隠れたまま。
(…だったので、ここはやむなし、絶好の場面を写した絵葉書写真(撮影/平井広行)をお見せしておきます)
展覧のあと、富士山本宮浅間神社にお参りして、新春迎えの儀をおえた……
◆ことしの心がまえ…食では「出汁」をきわめる!
ところで
わが家の年迎えの食卓。
年々、時代の贅沢嗜好には背を向けて、質素を旨の「いいとこどり」に、ますます磨きがかかってきた。そのエッセンスを(お披露目するほどのものでもないが…)、ほんの、お目汚しまでに。
新年祝いの膳の、ぼくの担当は黒豆と田作り(ごまめ)、かみさんは紅白なますが定番だが。ことしは豆のいいのが手に入らなかったので、黒豆をキャンセル。
〈定番もの〉の多くは出来あいですませたから、上段写真のとおり、いたってシンプル。
かわりに、1年の食卓の賑わい守ってくれた、かみさん慰労の2品、4~5日は手をかけずにすませられるものを用意する。
1品は「筑前煮」、もう1品は「おでん」(写真/下段左)。
「おでん」の出汁が勝負どころ、で。
昨年までは、昆布のみからひきだす「一番出汁」を「雑煮」の清まし汁に。
あとの昆布に、煮干しを加えて一晩水出しの後、鰹節の厚削りを加え、ひと煮立ちさせた二番出汁を「おでん」の汁に調味していた(これはこれでイイ)のだ、けれど。
なお塩分をひかえる必要を痛感したことしは、徹底して旨味出汁に心血をそそぎ。
二晩かけて水出し、昆布と煮干しの「一番出汁」をたっぷり。その一部を「雑煮」用にまわして、のこりすべてを「おでん」用に、鰹厚削りを加えてひと煮立ち、いい味ひきだしたものにした。
この出汁、上等な旨味のおかげで、塩も醤油も半減。
「雑煮」も「おでん」も風味よく、具材の持ち味もひきたててくれた。
そうなると、くふうも生まれるもので、これまでの和いっぽんやりから、洋風の具材も加えて写真/中段右のように、炙った鶏手羽もとに茹でブロッコリーという新メニューも誕生することになり(写真は餅もくわえて洋風雑煮仕立て)。
ついでに来客用には、塩麹仕立ての「海鮮アクアパッツァ」(写真/下段右)も加わり、いいもてなしができて大成功であった。
この思わぬ(というより…じつにひさかたぶりの)成果に、ぼくは味をしめ。
ことし、〈心がまえ〉るテーマ・春の部〈食〉では「出汁」を追求してみることにした。
出汁については、ぼくが板場修行中の教科書にした『だしの本』(昭和63年、ハート出版=いまは絶版)がある。
著者の藤村和夫さん(2011年没)は、蕎麦知識満載の職人。蕎麦というシンプルな食べものを活かす、出汁の智慧本といっていい。
この本に、あらためて学びながら、その後に世に出た出汁材なども試みつつ、1年かけて、ぼくなりのベスト出汁を仕上げてみたいと思う。
目指せ、夏は冷やして「熱中症予防ドリンク」にもなる一品を!
(いい出汁できたら、そのつど報告しますネ)