どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

◎「三密」回避は〝自助〟…来春初詣の明治神宮 / 門前下車駅「原宿」の旧駅舎ひとあし早くサヨウナラ

-No.2575-
★2020年10月09日(金曜日)
★11.3.11フクシマから →3501日
★延期…オリンピック東京まで → 288日
★旧暦8月22日(月齢20.7)

(左)2020年10月現在の「原宿」旧駅舎
(上)2016年夏
◆来る新年「初詣」にどう対処するか!?

 全国、津々浦々の神社・仏閣では、いまから頭を悩ませている、という。
 江戸っ子に生まれた家の親父さんは、進歩的な考えをもちながら、皇居へ参賀に出掛け、初詣は明治神宮であった。日本橋に育ちながら、水天宮でも神田明神でもなし、こればっかりは好きな浅草の観音様でもなかった。

 なにしろ町歩きの好きだった親父さんに手を引かれ、だからボクは明治神宮への参道もよく歩かされた。
 いまは、初詣の気分もだいぶ変わって、さて(今年はどこにしようか…)などと考えるようにもなったが、そんな心のどこかに(やはり拠りどころあるべきだろう)気もちが湧くのは、親父さんの影響かも知れない。
 いまは小田急の沿線に住んでいるから、明治神宮詣でなら参宮橋駅で下車、西参道を歩けばいいのだが、そこはやはり、原宿駅から南参道を進んで行くのが本統だろうと考える…これも子どもの頃からの習わし、というやつなのだろう。

 そんな明治神宮、2021年(令和3)の初詣対策は、結局のところ「手水の省略」程度にとどまり、参拝はなるべく「人混みを避けて」と、個々人の〝自助〟に頼るしかなくなったようだし。また、日本国民なら、きっと、これに従う。
  ……………

 都内で最古の木造駅舎、原宿駅は大正末期の13年(1924)に完成。その4年後に創建された明治神宮の玄関口となってひさしい。
 その頃の時代背景として、「郊外や自然を重視する田園思想が広がり、西洋風の生活様式も浸透し始めて、牧歌的な外観の木造建築は庶民に受け容れられやすかったからだろう」と。これは長じてから、なにかの本か資料か、あるいは展示の説明かで読んだ記憶がある。

 ぼくが、戦後すぐのこの世に生をうけることになった先の大戦、敗戦直前の45年4月の空襲では、10発ほどの米軍の焼夷弾が駅を直撃するも、すべてが不発におわって焼失を免れたという、〈奇跡〉のエピソードものこり。
 この話しは、親父さんから聞かされていた。

 ぼくが初めて原宿の駅と出逢ったのは、それから5~6年の後だったろう。
 四方を向いた三角屋根、尖塔の上には風見鶏。白壁を囲う柱や梁を「あらわし(むきだし)」にした「ハーフ・ティンバー」と呼ばれる造りは、西欧の建築様式。
 竜宮城を模した小田急線・江ノ島駅を〈絵本の世界〉とすれば、この原宿駅は〈文明の薫風〉子ども心にも、ときめくものがあった。

 戦後復興、経済成長のなかで迎えたボクの青春期、前回64年の東京オリンピックのときは、この駅から歩5分の国立代々木競技場が水泳などの競技会場になってにぎわったことも、よ~く覚えている。ただし当時、
 ぼくの興味は、断然、陸上アスリートたちの熱戦に湧く国立競技場だったけれど、新建築の外観として際立ってステキなのは代々木の方だった。
  ……………

 それから後の原宿界隈から、ぼくは段々に遠ざかる。理由は簡単、趣味の問題だったろうと思うのだ。
 たとえば「ホコ天歩行者天国)」は原宿駅近くにも登場したが、ぼくが好んで通ったのは、やはり銀座の方であり、「竹の子族」や「ローラー族」のいる風景はただ遠く、無縁な世界でしかなかった。

 つまり、いつのまにか「若者たちの聖地」と呼ばれるようになっていた原宿は、〈毎日が縁日〉のお祭り風景の街。そのシンボリックな位置に原宿駅が、寺社になりかわって在る…まぁ、そんな感じで。
 ぼくなんぞは、その入り口に立たされて、ただト惑うばかりであった、が。


◆原宿駅舎96年 お別れ

 
 まだ酷暑のつづく8月22日、土曜日。東京新聞の記事に目を惹かれた。

 いまは、現代若者文化へのアクセス拠点というべきか。ファッションやスイーツの店がひしめく竹下通りや表参道エリアへの入り口。
 …というより、やっぱり〈ニッポンの和・洋文化かおる2階の窓辺〉と呼んだほうがふさわしいかと思う。

 その老朽化した原宿駅舎は、ことし3月。隣接して完成した新駅舎にバトンタッチして「引退」。24日から始まる解体工事で姿を消すことになる、というので。

 (見おさめておきたい)心をうごかされたのは、近くまでは行っても、敷居を跨いでまで訪れることもないままにすごしてしまった日々への改悟。遠い親戚の家へ(ごぶさた)の挨拶をしておきたい気もち…でもあったろうか。

 東京生まれには故郷と呼ぶべき原風景というものがない、といわれてひさしい境遇に、「在日ニッポン人二世」の文化で洗われた身には、いつも、なにかしら淋しい気分が拭えないのは事実であった。

 しかし…
 それから、ひと月あまり。
 「新コロ」自粛ムードの長びくまま、すっかり出遅れてしまったから、もうダメ(疾うに無くなってる)かも…と案じながら出掛けたら、工事現場囲いのなかに、旧駅舎の上部はまだ懐かしい姿でのこっていた。

 新聞記事には、現行の建築基準法に適合しない建物は解体されるものの、外観を再現した建物になってのこされる予定とあったし。そこには、とうぜん、ステンドグラスなど旧駅舎の資材も使われる見込み、とのことだったので。
 どうやら文化財保存に匹敵する慎重さで、作業は進められているらしかった。

 駅前の道を挟んで向かいは、いま、北欧家具イケアの原宿店になっており、2階のスウェーデン・カフェ&コンビニのガラス張りフロアからは、旧駅舎の在りし日を偲ぶことができた…が。
 いまどきのファッション&ショッピング世代には、もはや、そんな感傷は皆無にちがいない。だれも、通りに立ちどまって眺める人とてなくて。

 わずかに、ぼくひとり。
 三角屋根、尖塔上の風見鶏から明治神宮の森の緑への上空を、しばしいっとき、遠く遥かに眺めてきた……

 帰路、新宿方面行き山手線・外回り電車に乗ったら、間もなく進行方向右手に、これもかつて原宿駅名物だった「皇室専用ホーム」が、こちらは健在。
 きっと、まだしばらくの間は、臨時にお役立ちの場面があるやも知れない…ということなのだろう。