どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

年末年始お騒がせの〝大相撲騒動〟から/     ②相撲は〝国技〟?…ならばどんな相撲が観たいのか

-No.1572-
★2018年01月10日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 2498日
★ オリンピックTOKYOまで →  926日



◆歴史を遡って〝古い〟のだからナルホド〝伝統〟ではある…けれども

 ぼくが、じつにひさしぶりに東京本場所両国国技館で観たのは、モンゴル勢の活躍めざましく、なかでも朝青龍の全盛期。
 知人の招きで、一般には入手のむずかしい「升席」(しかしその内実はまったく狭苦しい囲いのなか)に、大のおとな4人が胡坐の膝を抱えるようにして、それでもなんとか相撲茶屋から届く酒を呑み肴をつまみながら…という状況のもとだった。

 その後に、また偶然のチャンスに恵まれ、このときは土俵から遠い椅子席に、かみさんと二人。
 高いところから眺める土俵は、まさしくコロシアム。それにしても…
 まるでレスリングかボクシングでも観に来たようなムードに驚いたものだった。

 そう。むかしの雰囲気とはぜんぜんチガっていた。
 むかしとは…蔵前に国技館があった1954(昭和29)年から1984(昭和59)年までのうち、ごく初期の頃。
 41代横綱千代の山、42代鏡里、43代吉葉山の時代。一度は相撲好きだった母方のお爺ちゃんに連れられ、もう一度は両親と観に行った。
 その後、「栃若時代(44代栃錦・45代初代若乃花)」があり「柏鵬時代(47代柏戸・48代大鵬)」「輪湖時代(54代輪島・55代北の湖)」とつづく大相撲の黄金時代は〝テレビ桟敷〟ばっかりになったが、なにしろお相撲さんは「つよくて、きれいで、かっこいい」、〝伝統〟の〝国技〟がひしひしと身に沁みるようであった。

 ところで…。
 かみさんと観戦した場所も、朝青竜の優勝。
 千秋楽の表彰式、館内(現在の両国国技館)に流れる「君が代」を聞きながら、
モンゴル国家でいいんじゃないの」
 かみさんが正直な感想を言った。
 そのことの是非は別にして、そんなムードが漂っていたことはタシカで、〝国技〟が浮足立って感じられた。

 ……………

 この年末・年始、世間を騒然とさせた〝大相撲騒動〟(はっきり言って大相撲世界の醜態)と、いたしかたなく付き合っているうちに、ぼくの心もちはきまった。
「…で、じゃあ、(日本国民の)皆さんはどんな大相撲が観たいんですか、このさい、そこをはっきりさせようじゃありませんか」
 大相撲をどうする?
 これは、だんぜん国民の問題なのですから。

 日本相撲協会は、〝伝統〟より〝古いしきたり〟だけが似合いの頑迷集団状態だし。
 貴乃花親方にしても、その振る舞い、ざんねんながら稚拙にすぎる。もうすこし大人の「やりよう」はないものか、とも思うし。そのたたずまいには、やや(これまで引退後のあれこれ来歴に)不安なものもある…けれども。

 ぼくは、このたびのこと、あの阿修羅の形相もの凄く難関のりきった横綱貴乃花が、<腹をくくった大勝負>にでたと敏感したので、その去就、最後まで黙って見とどける。
 お喋り雀のマスコミがこぞって「いいかげんに真意を語るべきだ」と、まぁ、小姑のごとくにヤカマシイいことだが、グチャグチャ言うやつには、言わせておけ。
 「正念場の男は黙って勝負」だ。

 その間に、冷静に、ぼくらはもういちど振り返って。

◆大相撲の来歴、その〝伝統〟のあらましを確認しておこう

 まず「大相撲」というのは。

 日本古来の<奉納相撲>を起源とする、職業的な、力量最高位の力士たちによって行われる神事的色彩をおびた<武道>、そして<興行>であり、同時にその関係社会をも意味する。

 もうひとつには、「がっぷり四つ」に組んだ力士の力が拮抗して決着がつかない取組のこと。この状況を打開する手段を「水入り」という。

 神事の相撲(角力)は『日本書紀』のむかし、野見宿禰〔のみのすくね〕当麻蹴速〔たいまのけはや〕との勝負にさかのぼるわけだ、けれど…迂遠にすぎる。

 下って、<興行>としての相撲の始まりは江戸時代初期、寺社建立などのための資金集めを目的とする<勧進相撲>から。
 だが、勝負ごとにつきものの喧嘩(暴力)沙汰が絶えず、浮浪人集団とも見なされたため、幕府による禁止令もたびたびのことだった。

 事情が変わったのは明暦の大火(1657年)以降。
 寺社建築の急増と、あぶれ相撲人たちに生業を与える必要から、寺社奉行の管轄のもと職業相撲団体が結成され、年寄(現在に至る年寄名跡の創め)による管理体制を条件に<勧進相撲>興行が許され。
 その最初の興行が富岡八幡宮(江戸深川)境内で行われた。富岡八幡と相撲の縁もそれ以来のことになる。

 のち<勧進>から盛り場の<娯楽>へと興行の性格を変えながら、本所回向院(両国橋左岸)で大規模な興行が行われるようになり、やがて定着したのは天保の世の1833年。
 
 土俵は、初期の格闘技リングのようなものから、俵囲いの土俵へ、さらに現在の丸い形へと進化。序列をつけた力士一覧の番付も登場。 
 はじめは京都・大阪にもあった相撲が、やがて江戸相撲に集約される。
 きっかけは、二代目谷風と小野川に吉田司家(行事の祖)から横綱が免許され。
 将軍家斉の上覧相撲(1791年)があり、雷電為衛門という人気のヒーロー誕生などもあって、いつかしら「相撲は江戸が本場」の風潮になったものと思われ。
 古典落語にも、その頃、江戸での相撲人気のほどをうかがわせる噺がある。

 幕末には、「対レスリング」「対ボクシング」といった異種格闘技との試合もあり。
 一方。
 黒船騒ぎの折には攘夷派につく力士がいたかと思うと、日米和親条約締結の折にはアメリカへ返礼の米200俵を軽々と運んで見せて米軍人を驚嘆させたり。
 維新の動乱期には、のちの新選組と死闘を演じたり、勤王の志士になった力士もあり。
 積極的な社会参加ということでは、いま一般の体育会系とはずいぶん趣を異にしていた。

 相撲界最大の試練は明治維新、文明開化のとき。
 多分に西欧文明に気触〔かぶ〕れ気味の東京府(都)が発布した「裸体禁止令」(これが後には相撲禁止論をも生む)が力士を処罰する、という事態に。

 これを救ったのが、相撲好きの明治天皇とその意向をうけた伊藤博文ら政界の要人で、明治17(1884)年の天覧相撲(ときの横綱は15代初代梅ケ谷)によって社会的な公認をえて危機を脱している。
 <神事相撲>以来の<相撲の伝統>は、じつは<相撲と政治との絡み>と見ることもできる。

 明治40(1907)年には、往時の東京大相撲人気の立役者、19代横綱常陸山が渡米。海外に初の大相撲紹介をはたしている。
 (国際化の兆しはこの頃から…か)

 常設相撲場の両国国技館の落成は明治42(1909)年。
 このときから、力士の場所入りは羽織袴、行司の装束は裃・袴(のち烏帽子・直垂)、東西対抗制・団体優勝制度・横綱土俵入りなどが導入されている。
 興行の制度としては、投げ祝儀(銭)や幟・積樽の禁止(幟は後に復活する)など、芝居興行的な性格からスポーツ興行への脱却を目指す動きがあった。

 大正6(1917)年、両国国技館が焼失。
 大正14(1925)年、皇太子時代の昭和天皇の台覧(天覧)相撲の際に、陛下からの下賜金によって現在の天皇賜杯がつくられ、個人優勝者に授与された(これにともなっ優勝制度が団体から個人へと移行)。

 ここで確認。
 「〝国技〟相撲」というけれども、じつは、べつに国の法律で定められているわけではない。
 つまり、「それと見なされるもの」程度のことにすぎない。
 その「見なされる」根拠になっているのが、大昔は〝神事〟、近くは〝天覧〟ということになる。
 なお、貴乃花親方が目指す〝大相撲改革〟の精神面では、〝相撲道〟とともに〝国体に適う〟という表現が(真意のほどは知れないけれども)使われている。

 ここまでが、大正時代までの歴史。

 ……………

 以下は、昭和以降の動きを年表ふうに。

 〇昭和2(1927)年。東京・大阪2つの協会が解散、結集して大日本相撲協会が発足。年4回、11日間の本場所制がスタート。
 〇昭和3(1928)年。ラジオ中継がはじまる。これを機に<仕切り線>と<仕切り制限時間>が決められ、<不戦勝・不戦敗>、<取り直し・二番後取り直し>制の実施によって大相撲のスポーツ化がはかられた。 〇昭和12(1937)年。本場所13日制となる。これは双葉山(35代横綱)の69連勝人気によるものだった。
 〇昭和14(1939)年。現行の本場所15日制となる。
 〇戦中の昭和19(1944)年。両国国技館大日本帝国陸軍に接収され、兵役に就いた力士も多く、また東京大空襲両国国技館や相撲部屋が焼失。
 〇戦後の大相撲復興は、昭和20(1945)年9月場所から。
 〇昭和23(1948)年。<優勝決定戦>、<三賞(殊勲・敢闘・技能)>、基本<部屋別総当たり>制が導入される。
 〇昭和30(1950)年。相次ぐ横綱の不成績問題がきっかけで<横綱審議委員会>が発足。NHKのテレビ中継(〝テレビ桟敷〟と呼ばれた)が始まる(一時は民放の参入もあったが間もなく撤退)。
 〇「栃若(44代横綱栃錦と45代横綱初代若乃花)時代」の大相撲〝黄金期〟が到来。
 〇昭和33(1958)年には現行の本場所15日制に。
 〇昭和40(1965)年からは<完全部屋別総当たり>制となる。
 この間に<相撲茶屋>制度の改革、<月給(十両以上)><年寄りの停年>制の導入、<相撲教習所>の設置制などがあり。
 〇昭和43(1968)年。<役員選挙>制の導入(カタチばかりにしても、いかにもオソイ〝別世界〟感がある)。
 〇昭和44(1969)年。勝負にビデオ判定の導入。
 〇昭和46(1971)年。中学生の入門禁止。
 〇昭和47(1972)年。<公傷>制度(2013年まで)の導入。
 この間に、ソ連(1965)・中国(1973)・メキシコ(1981)で海外公演があり、国際的な認知が進み。
 〇昭和60(1985)年。現在の両国国技館が完成して、ふたたび大相撲が両国にもどっている。

 ……………

 さらに、平成。
 
 この時代、初期には58代千代の富士以下、横綱の引退が相次ぎ、横綱不在の一時期があった。
 また、古くはジェシー高見山にはじまるハワイ出身力士の活躍、この頃は一段と加速して、小錦横綱目前までいくと、つづく曙(64代)・武蔵丸(67代)の横綱昇進が相撲の国際化に拍車をかけた。

 一方、〝伝統〟的な面では、貴ノ花親方ひきいる二子山部屋の、親方の息子二人の人気横綱、65代貴乃花(弟)・66代若乃花(兄)の誕生、<若貴ブーム>の到来でおおいに盛り上がり、ハワイ勢の二横綱を加えたひさしぶりの4横綱時代を、ファンとともに謳歌したのだった…が。

 2000年代も半ばになると、その勢いも潮の引くようにして去り。
 替わって、朝青龍(68代横綱)以下モンゴル勢のスピード相撲が大相撲界を文字どおり席巻、ついには白鵬(69代横綱)が優勝回数の記録を更新するに至って…いまがある。

 その2000年代後半からは、ある意味では〝歴史の必然〟とも言えるカタチで不祥事が相次ぎ。
 〇平成20(2008)年、大麻問題。
 〇平成22(2010)年、野球賭博事件。
 〇平成23(2011)年、八百長問題。
 …と頻発。

 その反省と整理の必要から。
 〇平成26(2014)年には<公益財団法人(所管は文部科学省)>として新体制(1925年の財団法人化から89年ぶり)のスタートをきったはずだった…が。
 じつは、これによってなお引き継がれた<税制の優遇>が古い体質の温存と甘えにつながったことも否定できない、と思う。

 ……………

 そこで、さて。
 こうして振り返ってみて。
 日本国民の一人として、あなたは今後の大相撲界がどうあるべきと思われるのか?

 どんな大相撲を観たいのか?を。
 あえて、おおきく二つ分ければ。
「一般のほかのスポーツとおなじ競技」か。
「様式美をあわせもつカタチの武道競技」か。

 ぼくの考えを言わせてもらえば、だんぜん後者である。

 わかりやすくは、柔道(日本伝講道館柔道)の先例がある。
 この〝伝統〟武道を、<国際的>なものとするために、関係者が努力してついにオリンピック競技にまで発展させた、その労を多としながらも、ぼくは、うしなわれた<柔道本来の美>を惜しむ。
 はやい話が、金メダルとひきかえに「一本」勝ちの爽快感を手放したことが、惜しむにあまりあると思われるからだ。
 
 対して、おなじ〝伝統〟武道の「剣道」の方は、少なくともいま現在までは、そのおなじ轍を踏まないでいる。しかも、国際的な広がりを目指す努力はつづけながら、だ。

 ぼくは「相撲道」も、ぜひ、こうあってほしいものだと思う。

 おなじ外国出身力士でも、初期のハワイ出身ジェシー高見山(昭和39年から59年まで現役で最高位は関脇、日本国籍を取得して引退後は年寄・東関)、あの「ニッポン人よりも優れた日本人の精神をもつ」と言われたほどの存在とは、いまはまるで時代が違うし。
 あの頃でも、あの高見山ですら、その「相撲はやっぱり外人相撲」と評されたものだった。

 ましてや、いまのモンゴル勢の相撲は、その精神まで含めて「モンゴル相撲」であって、「日本の大相撲」とは異質だと思うし、また、それがアタリマエでもある。
 これは、日本の少年たちが入門を敬遠する世に、かわって大相撲人気を支えた彼らの功績はおおいに認めたうえでの話しで、けして<差別>や<排除>ではない。
 国民性が違えば、文化も違う、見方も違ってとうぜん。
 国際スポーツ化したいのであれば、<日本の伝統>を諸外国勢に押しつけてはなるまい。

 いっぽう〝神事〟的な所作や〝伝統〟的な表現にしても、なにも<古い>とか<正統な根拠がない>とか、非難される筋あいのことでもない。
 「無宗教的」とか「あいまいな性格」とか言われる日本人だ、けれども、別な見方をすれば、これほど信心深く森羅万象の許容力もある民族は先進国としては珍しい、とも言える。

 要は「初詣」や「神だのみ」とおなじこと、と思えばいい、のであって。
 そこまで徹底した様式美を追求、そのほかはすべて一般社会通念とマナー、そしてスポーツ精神に拠ればいい。
 (それだけのことだ)と思うのだが、いかがなものだろう。

 そうして、いま、ひたすら沈黙を通して「男の勝負」に挑む貴乃花親方の考え方が、このボクの思いに近いことを望みたい。

 それで、もし、いまの相撲協会には「絶望するしかない」というのなら、別の団体・組織をたちあげればいい。それくらいの潜在力は持っていると思うし、後援も支援もあるだろう。

 ……………

 「ゆるふん」という相撲からでた表現がある。
 「褌の締め方がゆるい」こと、転じて「気がゆるんでいる」ことを指す。

 現在の大相撲界、まさしくこの「ゆるふん」状態。
 締め直すなら〝いま〟でしょう!