どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北、18次<巡訪>/ ㉛8日目(3)山田町…佐藤辰也さんの写真集   今回のテーマ[つぎのステップにむけて]

-No.1516-
★2017年11月15日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 2442日
★ オリンピックTOKYOまで →  982日




◆9月3日(日)、イベントおえて日が暮れて…

 ぼくの手もとには、記念の本。
 「木工ワークショップ」助っ人のお一人、山田町(釜石在住)の佐藤辰也さんの写真集である。

 『東日本大震災岩手県山田町を見続ける—』全3集。
 これには、2011年3月9日(水)11時49分にあったマグニチュード7.3の三陸地震(これが東日本大地震の前震だった)から3月11日(金)14時46分マグニチュード9.0の本震、およそ1時間後の大津波到達を経て、同年7月25日まで4ヶ月半の記録が集められている。

 佐藤さんは、この震災大津波で住まいも職も失いながら、シャッターを切りつづけた。
 カメラを手に、故郷の惨状を撮りつづけた人はほかにも各地にたくさんいたことを、ぼくは知っている。
 それらの人たちのなかには、東京での写真展に作品を寄せた方もあり、その後の人生がかわった方もある。

 佐藤さんも《11.3.11》で人生がかわった一人。
 奥さんは被災地支援のボランティアに訪れた女性で、奇しくもぼくらはボランティアの頃の彼女と〝支援基地〟遠野で出逢っており、それからの縁がつづいている。
 ボランティアとのロマンスが実った話しは、ほかにも少なくなかった。

 佐藤さんの記録写真を見ていくと……
 大津波から1ヶ月後が、やはりひとつの境目になっていたことがわかる。
 それまでは瓦礫の撤去といっても、とりあえず行き来を塞がれた道をまず通すのが先決で、とりあえず瓦礫を脇に除けたかたちであり。
 1ヶ月後あたりから、本格的に<片づける>瓦礫撤去作業が始まっている。

 東京に居て、救命・救急の邪魔にならないように堪え、待ちに待っていたぼくらが、ようやくの思いで駆けつけた時期がちょうどその頃だった。
 海水でぬかるんだ道はいたるところで車列が渋滞し、やっと乾いたところに待ち構えていたのは、こんどは日干しか火災による煎り焦げたような異臭、これが強烈に鼻をついてきた。

 うっかり細い道に曲がり入ってしまうと、そのころ乗っていたぼくのワンボックスカーはいかにも顰蹙モノで、濡れた畳を運んでくる人に(ドコのドイツだ)険しく睨まれたりもして。
 たまらない思いで帰宅してすぐに、ひとまわり小さい、いまの車に乗り換えたことを忘れない。

 佐藤さんの記録をさらに追っていくと……
 地域により、自治体にもよって、違いはあるものの、人が考えてする<片づける>ことには、とどのつまり大差なく、みな似たようなものだったのが、いまになってみればふと微笑ましくさえある。

 そうして。
 佐藤さんの地元に密着したヨコの繋がりと、ぼくら<遍路・巡礼>というかたちでのタテの繋がりとが、あの日以来ずっと、いまにいたるまで織りなされてきたことの不思議を、あらためて想い知るのだった。

 ……………

*なお、佐藤辰也さんの『東日本大震災岩手県山田町を見続ける—』全3集。購入をご希望の方がいらっしゃっいましたら、このブログ記事にコメントください。ご紹介させていただきます*