どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北、18次<巡訪>/ ㉗7日目(1)大槌町で頭髪をサッパリ…してもらう  今回のテーマ[つぎのステップにむけて]

-No.1510-
★2017年11月09日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 2436日
★ オリンピックTOKYOまで →  988日







◆9月2日(土)、雨にけむる大槌町

 大槌町
 ここは《11.3.11》後、救命・救急が優先・大事の初期1ヶ月を堪えて、ぼくが4月11日に初めて被災現地入り、大槌高校の避難所に救援物資を届けたときから、もっとも訪れた回数の多い土地になった。恒例になったマイカーでの<遍路>に加え、鉄道・バスを乗り継いでの来訪も果たしている。

 車を転がしても遠い<みちのく>の被災地支援。
 個人のボランティアはその多くが、鉄道とバスを乗り継ぎ、あるいは夜行の長距離バスに揺られてやってきた。
 いまあらためて、その労を多として、ともに、ささかに褒めあっておきたい。

 大槌町の定点は、町役場裏の城山。
 今朝は生憎の雨模様だったが、とにもかくにも高みに立つ。
 立って、見て、<遅れ>を痛感する。

 個々の地域では、さまざまな事情にもよって復興の進捗に遅速があるのはやむをえない。
 …が、市町村の単位で括ってみたときには、その差がより大きく顕著にならざるをえず、見すごしにはできないものがある。

 大槌は、震災・大津波被災後の瓦礫撤去の頃から、他の市町村にくらべて進みが遅かった。
 町民のなかにも、それに気づき指摘する人は少なくなかった。
 町長を被災で失ったことが大きかった、町の財政的な弱さも大きかったようだ……けれどもくわえて……それだけでは説明しきれないナニか要因があるのではないか、との感がいつもつきまとう。
「大槌の町の人はみなさん、おとなしいんでしょうかね」
 ぼくは、冗談まじりに言ってきた。

 これも雨のせいか、眼下の市街地に、復興を印象づける動きが見えないのが寂しい。
 城山上には、ことし2月に「東日本大震災津波物故者納骨堂」ができていた。
 大槌町では、1285人の方々が津波の犠牲になっており、そのなかには42人の行方不明者が含まれる。
 このお堂は、身元不明の遺骨70柱(被災市町村で最多)を納め、縁者にひきとられる日の来ることを願う。
 けれども、津波後に大きな火災が発生した大槌町の遺骨はDNA鑑定できないものが多く、現実にはざんねんがら難しい。
 木づくりのお堂。追悼行事のあるときを除いて、ふだんは扉が閉じているが、毎年3月11日午後2時46分のその日その時には、堂内には太陽光が射しこむ設計になっている、という。

 寒さが身に沁みた。
 この旅に発った8月末、東京はすでに暑夏のピークをすぎていたとはいえ体感はまだ夏、だから持参の着替えの半分は夏物。
 そんな季節感であったのだ…が。

 <みちのく>路は日ごとに秋冷の気配。
 ぼくらはついに、陸前高田のショッピングプラザで長袖のシャツなど買いこんでいた……

◆大槌の床屋さんを紹介してもらう

 ぼくたちの旅立ちの前日に、マイカーのバッテリー故障という不測の事態があって、予約してあった行きつけの床屋さんでの散髪もキャンセル、ぼさぼさ頭でハンドルを握る破目になったことは、すでに述べた。

 近ごろはターミナル駅などにも床屋が営業する時代だけれど、男にとって散髪はこれでなかなかデリケートな課題。
 吾が頭の散髪と髭剃りに、およそ1時間ほどの時を他人手にまかせる、それだけでも事情はハンパじゃない。
 ましてやボクの場合、短く刈りあげるかたちの頭は、技術によるチガイがおおきく、下手な手にかかると不興のときが長びくことになる。
 したがって、ぼくの場合には、行きつけの床屋さんは、日常生活に必須のことだった。

 それが不調におわって、放り出された旅の空(正直そんな気分だった)。
 どこで、どうやって、この散髪の一大事をクリアーしたらよいか。
 あれこれ思案するうちに、(そうダ!)ほかにない、大槌の知友、佐々木さんに頼みのメール。
「行きつけの床屋さんに、ぼくの予約を、お願いできないだろか」

 いいとも、オーケー…の、その日そのときがこの日の10時。
 大槌町大槌の「澤とこや」さんは、女性理容師の店だった。

「都会では男の床屋さんがふつうかも知れませんけど、地方では女性の床屋さんがふつうなんですよ」
 その人、澤さんはそんなふうに世間話しながら、ハサミを動かしていく。
 後日、帰京して後、行きつけの床屋さんにこの話しをしたら、彼、笑っていわく。
「そうですよ、それで奥さんの方が旦那よりもよく稼ぐっていうんで、引く手あまたなんだって…理容師学校だって女性の方が多かったんですから」

 なるほど……
 いろいろと、まだまだ教わることは多い。
 髭を剃ってもらうとき、剃刀のあたりが柔らかいのに懐かしい快感があった。
 子どもの頃、がきんちょの散髪はもっぱら床屋の奥さんの仕事で、肌に触れられたときのひんやりソフトタッチの記憶が蘇ってきたのだった。

 散髪がすむ頃、佐々木さんの奥さんが迎えに来てくださり、すぐ近所のお宅におじゃま。
 佐々木さん手釣りの鮎を、早昼にいただく。
 
 釣道楽の彼は、ぼくと同い年。
 その人が震災後はずっと、釣糸を垂れる気になれないでいるのをぼくは聞いていた。
 その佐々木さんが、ようやく川に出かけられるようになった…というので、ぜひその釣果を味あわせて欲しいと、お願いしておいた。

 テーブルに皿一杯の鮎が供され、大槌の川苔の香りを存分に舌に沁ませることができて、ぼくたちには至福のひとときであった。
 佐々木さんには明日、和野っこハウスで恒例の「木工ワークショップ」の助っ人もしていただく。その打ち合わせもすませて辞去。

 この日の夕刻には、もう一人。
 「木つつき集会」のお手伝いをつづけてくださっている、山田町(現在は釜石在住)の佐藤さん夫妻と会食。
 こちらとも事前の打ち合わせをすませることができた。

 なぜ、そんなことをわざわざ報告するかといえば。
 (当日とは別に)そんな時間をとることが、なかなか難しいからで、実際、これで7度めになる今回はじめて、お二人と事前の打ち合わせするこたができたからである。

 お二人には、かならず前もって試作をお願いしている、とはいえ…ぶっつけ本番の不安は毎度のこと。
 それが今回やっと解消できた、それにはボクたちの<巡訪>スケジュールに余裕ができてきたことも大きいのであった。
 大槌町で存分にあじわった、はじめてのありがたいゆとりの1日……