どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北、18次<巡訪>/ ㉔6日目(3)住田町…〝木づくり仮設〟のいま   今回のテーマ[つぎのステップにむけて]

-No.1505-
★2017年11月04日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 2431日
★ オリンピックTOKYOまで →  993日












◆9月1日(金)、「木の町」住田町

 森林・林業で日本一を目指す町は沿岸部から見ると、陸前高田市の北西、大船渡市の西、釜石市の南西に位置する。

 《11.3.11》の後、交通網も潰滅状態の沿岸部へのアプローチは、東北道を主脈に通じる横断道路網がまさしくライフラインであった。
 しかも、三陸北部の沿岸各地へは、岩手県庁の盛岡は遠すぎた。

 そこで、盛岡の南に位置する遠野市がクローズアップされることになり。
 救援・復興の一大拠点となって、『遠野物語』以来ひさびさの脚光を浴びる表舞台になった。

 しかし、その南隣りにある住田町も、沿岸部復興への動きに貢献してきた。
 沿岸の人々の生活、とくに津波の恐怖から逃れる〝癒し〟のレベルで、数字にはあらわせない役立ちがあったと思う。

 住田町が〝木造の仮設住宅団地〟を町内に建設、被災した沿岸市町村の住民たちに提供する、という話しを聞いて、ぼくが町に問い合わせたのが大地震から3ヶ月後11年6月。
 翌12年の春3月には、雪解けを待って現地を訪れている。

 役場でいただいた資料をもとに、訪れた〝木造の仮設住宅団地〟は3ヶ所に計93戸。
 一戸の広さは、一般のプレハブ仮設と変わらないし、同じ長屋形式ではあるものの。
 建物は杉の木造り。
 柱溝と柱溝の間に厚さ3cmの杉板を〝落とし込む〟工法は、ぼくが自宅にもっている工房と同じ工法のもので、木の香よく、暖房効率にすぐれること体験済みであり……

 入居して来られた方にお話しを伺うと、実際に「思ったより以上に快適」という答え。陸前高田から家族4人で避難してきた奥さんは、「なにより子どもがおおよろこびでヨカった」と表情を和ませていた。
 うち2つの団地は、屋根にソーラーパネルシステム付き。
 これは、ぼくん家にもない設備でおどろかされた。
 
 その後、女川や陸前高田にも〝応急仮設住宅〟の常識を覆した仮設団地が登場して、この災害列島ニッポンにあって<仮設住宅が間に合わせ、その場しのぎの応急であってはならない>考え方がようやく生まれてきたわけだけれど。
 この住田町の取り組みは、そうした観点からも称賛に値する。

 それから5年半の後。
 〝木造の仮設住宅団地〟のいまを、再訪して見た。
 訪れたのは、「本町団地」(ソーラーあり17戸)と「中上団地」(ソーラーなし63戸)。

 戸別の家々や団地そのものに変化はなく、外見が環境に馴染んだぶんだけ古くなっていたわけだ、が。
 居住者の構成はやはり、以下のように様変わりしてきていた。
  〇1つには、約半数の被災入居者が(自宅再建、復興住宅入居、移動など)状況はさまざまながら、転出。
  〇2つには、その後に一般の方の入居があった。
 ということ。
 これは正直、意外。
 だって、住環境よくできた木造とはいえ、間どりはあくまでも〝仮設仕様〟、つまり、ふつうには手狭に感じられるはずだと、思えたからである。
 いまひとつ事情がよくわからない……

 中上団地の近所に住む方のお話し。
「私んとこも、あの後にこっちにきたんですけど、そうですねぇ、5年になりますでしょう…一緒にお茶っ子したり、もうご近所づきあいですよねぇ」
 なにがなし(ヨカッタ)、ぼくはホッとする。