どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北、18次<巡訪>/ ⑲5日目(3)志津川、清水浜駅…BRTのこと  今回のテーマ[つぎのステップにむけて]

-No.1498-
★2017年10月28日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 2424日
★ オリンピックTOKYOまで → 1000日

*2020TOKYO、オリンピックの開幕まであと1000日になった。どうするTOKYO*







◆8月31日(木)午前

 志津川の町から沿岸の細い道を、袖浜、荒沢と辿って、荒砥へ。
 昨年、宿をお願いした「未希の家」を訪ねる。
 
 防災庁舎で「命の声」をかけつづけ、亡くなった遠藤未希(当時24歳)さんのご両親が営む、1日1組かぎりの宿。
 このたびは、母家の仏壇にお線香をあげさせていただいて、辞去。

 そのまま山道の県道を進むと国道45号に合流する。
 はじめてこのルートを通った昨年は、ぼくの地理感が、しばらくは現実と一致しないで、意外の感があった。

 志津川の町から山側へと入る国道45号は、言ってみると、津波の被災地をいったん離れて、正直ホッと気もちが鎮まる。
 にもかかわらず間もなく、また、ギョッとさせられる光景がフロント(ウィンドウ)に飛びこんでくるのだ。
 
 国道を跨ぐ気仙沼線の線路が、破壊されたコンクリート橋脚の姿も無慚にとりのこされ、見えない線路は左右のトンネルへと消えて行き、右(南西)側には駅舎であろうものが霞む……ここが「清水浜」駅で、その下、すぐ先に小さな浜がある。

 じつは、そんな地理的状況にあるのだったが、浜の方から山道を登ってきた身にとっては、まったくの不覚であった。
 しかもこの辺り、谷筋にあるせいか、霧につつまれることが少なくないし、「清水浜」という名にも現実感が乏しく思われる。

 あれから6年余りをすぎて、ようやく、この、とりのこされていた被災の線路に復旧・改修の工事が進みはじめた。
 旧「清水浜」駅付近には、国道45号とは別に、かつての線路跡にきれいな道路が造られている。

 これは、BRT(バス・ラビット・トランジット=バス高速輸送システム)の専用道路で、他車は立ち入れない。
 主に中南米で多く採用されているBRTは、そうした「優先・専用」策によって利便性をたかめる交通手段で、鉄道の廃線跡を再利用する目的でうまれたものではないが、《11.3.11》被害の重大であった気仙沼線大船渡線などには、格好の代替手段として歓迎された。

 ぼくは、この震災大津波後しばらくは、鉄道がなくなることによる地域衰退を懸念する気分がつよかったのだ…けれども、徐々に、BRTの効用を認めたい心もちになってきている。
 それは、鉄道の建設(復旧再建)・運営にかかる費用の膨大を想うと、よりフレキシブルなBRTの方に将来性は高いし、災害列島ニッポンの地理的特性を考慮すればなおさらだから、だ。

 ただ、問題は、鉄道・BRTいずれにしても、ある程度の乗客が見込めなければ成り立っていかない話し。
 細かい数値は知らないけれど、<巡訪>の道々、そのほとんどが日中の時間帯ではあるが、沿線各駅(停留所)に見かける乗客の少なさは、いかにも気がかり。
 それにはこの国が、しっかりと大局の将来を見据え、「東京一極集中」の弊害をとりのぞいていかないとイケナイし。
 そのために必要な費用の多くは、現状の〝冗費〟節減をもって賄えるのではないのだろうか……

 あとは官民一致の努力で克服、これぞ「結」、「絆」じゃ。