どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北、18次<巡訪>/ ⑱5日目(2)志津川…防災対策庁舎界隈     今回のテーマ[つぎのステップにむけて]

-No.1496-
★2017年10月26日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 2422日
★ オリンピックTOKYOまで → 1002日








◆8月31日(木)朝、盛土の山に隠れる震災遺構

 南三陸町の中枢、志津川の町。
 志津川湾の奥に、大きな釜が口を開いたように港と後背のわずかな低地がある。
 そのすべてが、ごっそり浚われた後には、たとえば、JR気仙沼線志津川駅もまったく跡形をとどめないほどだった。

 「早く、高いところへ逃げてください」
 住民たちに最後まで、誘導の声をかけつづけた若い女性防災職員は、津波にのまれて亡くなった。
 その志津川町の防災対策庁舎は、これまでもさまざまな議論があって後に、震災遺構としてのこすかどうかは「さらに時間をかけて議論する」ことになり、それまでの間は宮城県が維持管理をあずかることになった。

 南三陸町、《11.3.11》の被災状況を確認しておく。
 震災大津波<前>、人口17,666人、世帯数5362。
 震災大津波<後>、人口15,066人、世帯数4831。
 (被害の多くが、志津川の町とその周辺、沿岸地区に集中していることはいうまでもない)
 なおこのとき、防災庁舎では町職員ら43人が亡くなっている。
  
 防災対策庁舎前の献花台を訪れる人は、いまも少なくない。
 庁舎はこの春さきに補修工事をおえて、ひとくぎりがついた。

 一帯では、防災のための盛土、嵩上げ工事が推し進められ……
 それでも2年前の夏までは、なんとか目前に見上げることができていたのだ、が。
 盛土の丘が堆〔うずたか〕くなってきた昨年あたりからは、近寄ることはもちろん、その姿を確認することも難しくなってきた。

 南三陸町が防災対策庁舎の遺構保存に難色を示したおおきな理由として、「復興工事への支障」ということがあった。
 そのことのヨシアシとは別に、こうしてひとつの建物を避けながらの工事は、たしかに難儀なことには違いない。
 防災庁舎の遺構周辺は公園に整備される予定、という。

 そういうわけで、いまは離れたところに移された献花台に手を合わせ、盛土の向こうを眺めやるしかなく、慰霊どころか、津波被災の実感にさえほど遠い。
 平地に仮設された復興の「さんさん商店街」も、いまは高台に移って<ふだん>化しつつあるようだし。
 その外れには訪れる人のため、復興の進捗ぶりを見わたせる展望台ができており。

 町の成り立ち、その全体像をつかむには、背後の山の斜面を駆け上がるほかなく。
 北の奥の志津川中学校へ。そこで、
 (………………)
 声もなくなにやら不安に想えたのは、防災対策庁舎が盛土の山に隠れ〝孤立無援〟になりはしないか、ということだった。

 狭小な土地ではむずかしいかも知れない、けれど、できればどうか、遺構をとりかこむ形のコロシアムのようにしてほしい。

 志津川中学校のある山の中腹から下る途中には、復興集合住宅が真新しい白壁を見せていた。