どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北、18次<巡訪>/ ⑰5日目(1)南三陸町、ホテル観洋の朝     今回のテーマ[つぎのステップにむけて]

-No.1495-
★2017年10月25日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 2421日
★ オリンピックTOKYOまで → 1003日








◆8月31日(木)朝、志津川湾は天気晴朗

 石巻の町から、北上川を遡るかたちで内陸に入った国道45号は、JR気仙沼線に出逢ってふたたび海を目指す。
 陸前戸倉に至って、沿岸を縫って来た国道398号を合流、志津川湾に迎えられれば南三陸町の主邑、志津川の町へはあとひと息。
 峠越えになる弁天崎の崖上に白く大きく、きわだって目だつ、地元気仙沼資本の「ホテル観洋」がある。

 じつはこのホテル、大津波被災後の嵩上げ工事のすすむ志津川の町からは、ほぼすぐ南正面に見え。
 …ということは、あの《11.3.11》のときも沖から盛り上がり押し寄せ来る巨大な海波が、港町に襲いかかるのが見えた。
 (南三陸町ではあのとき、震度6弱を記録、津波の高さは20メートル以上あったものと思われる)

 もちろんホテルも津波に洗われ、2階大浴場まで浸水。
 しかし、海に面してはいても高い崖上、頑丈な大建築はがっちりと踏ん張って耐え、停電・断水にはなったけれども、たとえば土産物売り場の商品が散乱することもなく被害は軽微ですんだ。

 その日、ホテルには従業員や宿泊客などあわせて350名が居り、直後に助けをもとめてきた避難民も加わったが、被災後はただちにスタッフ力で避難所としての機能を整備。受け入れにあたっては、道を挟んで隣接地に同経営の託児所施設があったのもおおきかった。
 厨房の食品材料をもとに1週間分の献立表がつくられるなど、大ホテルのつよみをいかんなく発揮。
 3日目には孤立状態が解消するとともに、避難所への救援移送を計画的にスタートさせた。

 ぼくたちも、志津川郊外の民宿に泊まりをお願いした折り、日が暮れて夜の海の向こうに、とても被災地のものとは思えない、大きな灯りのかたまりが見えて「あれは…」と驚かされた覚えがある。それがホテル観洋だった。
「ホント、頼りになる灯りでしたあれは…津波の後にパッと灯ったときなんか羨ましかったですよ」

 ホテルは震災から10日をすぎる頃には、支援のボランティアに宿泊提供を始め、地域の医療センターにもなり、また600名を収容する二次避難所にもなっている。
 《11.3.11》の1ヶ月後、11年4月11日に最初の現地りをしたぼくたちだが、そのときは岩手県大槌町から県境を越えて気仙沼市宮城県)まで辿るので精一杯。
 福島県から通して沿岸を北上する<被災地巡礼>は1年後からだが、その頃にはすでに避難した人たちやボランティアの拠りどころになっていた。

 ぼくたちも3年めくらいから、いちど泊めてもらおうと思いつつ、けれども予約申し込みの電話には「満室」がつづいて。
 7年めの今年になってやっと宿泊がかなった。

 なにしろ大きなホテルで団体客向きにできているから、ぼくたちのような個人客にはちょと戸惑いもある。
 ショッピング可能な都市型ホテルの予約申し込みは原則、1泊朝食付き。
 つい、いつもの習いで…けれどもここは郊外のリゾ-トホテル…ホィ、しまった。

 そんなわけで、この夜は館内の和風レストランで食事、ぼくはシーズン到来の「サンマ塩焼」を味わう。
 形は中くらいで、まだ若い魚体は脂ののりもほどよく、酒杯かたむけながらの舌を楽しませてくれた。

 ……………
 
 なお、こサンマについては後日談がある。
 このたびの長旅から帰って、9月20日頃であったかの新聞に、
「女川港に今シーズンのサンマ初水揚げ」
「復旧なった魚市場で入札」
「サンマは小ぶり…でも、形はきれいダ」
 …と、関係者の声をひろっていた、が。

 ことしのサンマは、不漁のまま。
 2度ほどは店先に見つけて食したけれども、炭火で焼く(焼き網に余り、脂が燃え上がる)ほどのものとは、ついに出逢わなかった。
 近ごろは韓国・中国でも人気というサンマ、正直(そうだろうなウマいものは誰にもワカル…)やむをえない。
 おたがいさまに食卓からサンマが消えることのないように、慎みをもっていきたいものだ。

 ……………

 翌朝、ホテルから眺めやる志津川湾は天気晴朗。
 はやくから働く漁船の澪すじが朝陽にきらきら。
 〝天恵〟の景。

 しかし、おなじ自然が人や生きものたちに、極めて厳しいときもある。
 いたずらに怖れるのではなしに(それを忘れずにいることだ)、と呼びかける声を脳裡に聞く。

 ぼくは、あのとき以来、ひらける海景をスクリーンに〝津波到来〟のシミュレーション・プロジェクションを考えている。
 技術的にムズカシイことはない…のではないか…どうだろう。
 「人には頭でわかっていてもどうにもならないことがある」のだから。
 やっぱり<理屈より感性>に、染み付かせるのがいちばんだと思う。