どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北、18次<巡訪>/ ⑮4日目(4)女川・雄勝…〝活況〟と〝遅滞〟と 今回のテーマ[つぎのステップにむけて]

-No.1491-
★2017年10月21日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 2417日
★ オリンピックTOKYOまで → 1007日









◆8月30日(水)、ひたすら丘上へと駆け上がる

 女川。
 あの大津波のとき……

 沿岸各地の被災記録映像で、なにより強烈だった〝引き波〟の脅威。
 その印象とびぬけてつよい女川は、それがらずっと素通りできない地でありつづける。

 蛸壺を思わせる狭小な女川湾、国道398号に沿って、ほとんど平地らしいもののない谷間の港町は、石巻と南三陸気仙沼との結ぶ交通の要衝にもあたって。
 復興の工事と物資の往来、二つの動線が錯綜する、まさしく坩堝〔るつぼ〕
 曲がり角ひとつ間違えれば、うっかりするとアッという間に町外れまでもっていかれ、じっさい、何度Uターン&出戻りを繰り返したことだろう。

 その女川の復興、変貌ぶりが、2015年春の新女川駅完成とともに、目に見えてきた。
 女川の定点ポイントは、港のすぐ背後、地域医療センターのある丘の上。
 今年そこに立つと、駅・港周辺の商工業地から、住民の生活舞台になるのであろう宅地造成が、ダイナミックに高台へと進出し始めていた。
 将来ある町の姿がハッキリしてくるのは、(まだまだアレコレ課題はあるだろうけれども)なにはともあれ、いいものだった。

 10年…という数字が脳裡にワイプしてくる。
 一応の復興成るとき、そのときまでの目算である。

石巻市雄勝

 石巻から来た国道398号は、女川の町を出て峠にかかり、浦々浜々を巡るうちにまた、石巻市の行政区域に入る。
 かつての雄勝町は、2005年の町村合併で石巻市になった。

 《11.3.11》の大津波があって後、復興の計画と進行の遅滞が目だってくるにつれ、難を逃れて仮設に暮らす地元住民たちの間から、「石巻市になってよかったんだかどうだか…?」という声が多くなるをボクも聞いている。

 そうして、ざんねんながら、その後の雄勝地区を見とどけるうちに、その「どうだか…?」の負のイメージがむくむくと頭をもたげてくるばかり。
 復興への手もうたれてはいるのだが、点にすぎず、線や面に発展しているケースは…目に見えない。

「もういちど元の暮らしに戻りたい」
 仮設団地の空を仰いで溜息まじりだった人で、その後、古里を離れた人は少なくない。

 震災前の11年2月現在で約1600世帯4300人あった雄勝地区の人口(雄勝総合支所調べ)は、16年度推計でおおよそ7割減。
 (この雄勝地区では、こんどの震災津波で171人が死亡、いまだに71人が行方不明だ)
 これからも人口流出は避けられない見込みで、約620世帯1400人くらいになるだろう、という。
 それでも〝人里〟、〝狐狸の穴〟ではないのだ。

 雄勝の人たちが女川の活況を見たら、その落差の大きさに落ち込まざるをえないだろう。
 それも隣り同士だけに余計に。

 8月も末のこの日、浜の「おがつ店こ屋街」にも人影は絶えてなかった……