どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北、18次<巡訪>/ ⑬4日目(2)石巻市、「南浜つなぐ館」     今回のテーマ「つぎのステップにむけて」

-No.1488-
★2017年10月18日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 2414日
★ オリンピックTOKYOまで → 1010日








◆8月30日(水)、雨のち曇り

 石巻の街。
 旧北上川の河口右岸(西側)、石巻城址日和山公園から見ると、山裾から海へと低平な土地の広がりが、工業地に使い勝手のよさそうな、けれども反面、大きな海波に襲われたらひとたまりもあるまいことを、イヤでもナットクさせられる。

 じっさい、あの《11.3.11》の大津波では、この海岸低地一帯、完膚なきまでに浚われ尽し、逃げ惑う車の群れに背後の市街地は大混乱に陥った。
 1年を経ても、早春の石巻はまだ、瓦礫の撤去にも…どこからどう手をつけたらいいものか…途方に暮れる風情で、他所者には足を踏み入れることもできないほどの酷いありさま。
 西の山裾にあった旧門脇〔かどのわき〕小学校は震災遺構になる予定で、学校は他校と合併、この地を去った。

 震災後は各地にでき、慰霊・見学に訪れる人たちの拠りどころにもなった献花台広場が、いつになっても荒れ果てた風景のなかに、うたた寂寥。
 3年がすぎても、南浜にはお稲荷さんの小さな祠がひとつ、立ち枯れた樹と雑草の生い茂るなかに、きぶん沈んであるだけ……だった。
 自然〔じねん〕に対して、ただひたすら、人智の遠く及ばないことを知らされるばかり。

 ……………

 その南浜に、東日本大震災メモリアル「南浜つなぐ館」ができて。
 ことし1月末にオープンしたことを知ったときから、ぼくは訪れることを決めていた。
 
 大震災のその後ずっと、とりとめもなくなった廃墟に〝導標〟でありつづけた、
「がんばろう! 石巻
 そこは、あの大きな看板のあった場所。
 あの荒れ果てていた南浜に、それこそ沖の漁り火にも似て「灯りがともった」とすれば、それだけでウレシイ。

 しかし、現実にはまだまだ厳しいものがあった。
 他所者とはいえ<巡礼>者のボクには、訪れつづけてある程度までは土地勘できていた場所…にもかかわらず。
 所在地住所をインプットしたカーナビが、現地に近づくや戸惑い(?)をくりかえし、挙句は架空の道の上へと彷徨〔さまよ〕い、流離〔さすら〕う。

 心覚えの辻を曲ってみても、あえなく行きどまり。
 雨で泥濘るんだ道を押し切って行くと、やっと離れた別の辻でナビが地上に舞い下りる。
 この繰り返しに骨が折れた。
 一帯は被災後「非居住地」とされたはず、それだけに道の付け替えなど思うがままなのであろう、どこにどんな将来計画があるのか知る由もないが、(ひとつ大きな区画ができるたびに道は付け替わる)状態らしかった。

 やっとのことで辿り着いた「南浜つなぐ館」は、しかし、扉を閉じていた。
 壁の開館案内に「土日祝日、午前10時~午後3時」とある。
 被災地施設の現状、これが正直なところであった。
 「がんばってますよ」のメッセージ。

 開館していないことを承知で訪れたのか、と問われれば。
 そういうこともある、と応えるしかない。行程にもよるし、ともかく現地を踏んでわが目わが意識に印しつけておく、こともある。
 人の世の明日はわからない。

 ここでは、震災からおよそ1ヶ月後の被災地の様子を、バーチャルリアリティー(VR)で視界360度の体験をすることもできる、という。
 「防災意識の向上に」との願いは、来館者(年間1万5000人以上とか)に届いているようだ。

 折から夏休みのしめくくりに…だろうか、訪れた高校生と思しき若人のグループに、熱心に説明をする方の姿があった。
 〝希望の灯り〟がともる敷地内に、ひときわ高いポール。その見上げるてっぺん辺りに「東日本大震災 津波ここまで 6.9m」と記されてある。
 ぼくの身長が171cmだから…4人分を積み上げた高さの海波であった。
 
 一帯は2020年度を目標に「石巻南浜津波復興祈念公園」に整備される予定と聞いている。