どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北、18次<巡訪>/ ⑫4日目(1)東松島市、手彫りの仏さま  今回のテーマ「つぎのステップにむけて」

-No.1485-
★2017年10月15日(日曜日)
★11.3.11フクシマから → 2411日
★ オリンピックTOKYOまで → 1013日








◆8月30日(水)、清泰寺

 このたびの<巡訪>は、「復興への道すじ」をたしかめることと、「忘れもの」はないか。
 もとより個人的な<すきま風>行脚に「もれなく」など望むべくもなく、「虫喰い」にすぎないことはもとより承知。
 だが、気づきがあって可能なかぎりは「忘れもの」を少なくしたい…そんな想い。

 東松島市でも、奥松島を離れ鳴瀬川を渡ってしまうと、お隣り石巻市までの沿岸は心理的に遠いままだった。
 幾度か浜へのアプローチを試みたけれども、そのつど、〝復興〟の横断幕、車両のフロントに巻きつけたダンプカー群に追い立てられた所為もある。
 つまり、お呼びじゃなかった。

 そんな浜からは奥まったところ、JR仙石線矢本駅より、三陸自動車道よりも北の地に清泰寺というお寺がある。
 田園のなかに、泰然と腰を据えた感のある、昔ながらの檀家寺。
 折から生憎の雨模様のなか、朝から境内清掃にいそしむ人々の姿があった。

 清泰寺の住職、小池康裕さん(75)が、東日本大震災からの復興と安寧を祈願して観音像を彫りつづけている。
 という記事を、いつのことであったか新聞で読んだ、それが、時を経ても消えずに記憶にのこっていた、ことによる。

 ゆるやかに上る坂の上、本堂の脇に六角の小堂があって、こちらへ、誘われるままに。
 入らせていただくと、そこに、位牌・遺骨・卒塔婆に囲まれ、もろもろのお供物にうもれるように観音さまが微笑んでおられる。
 (実際には、そんな、しおらしい風情ではなくて、率直なところは…入ると観音さまが微笑んでいた…のだ、けれども)

  あっ、いいな、いいな。
  ほっ……だね。

 あとは、掌をあわせれば、それでよかった。

 小池住職に、木彫りの観音像制作にうちこませたものは、「人にはなにかすがるものが要る」との思い。
 家族を亡くした人たちの心のよりどころになれば…と、60センチほどの欅の木に一体一体、観音さまを刻み、希望する檀家におくりつづけてきた。
 小池住職に、木彫りの心得はあったにしても、専門職の技とはちがう。「手がしぜんにうごく、こころを彫る」という。
 その自然体がいいのだろう、ノミの彫りあとが巧まず穏やかだ。

 想えば《11.3.11》後はなにしろ、再起・復興への気もちの切り替えにせまられるまま、各地各所にかずかずの慰霊のモニュメントが造営され、かず多くの観音さまが建立されてきた。
 折あるごとに、そこ、ここを訪ね、手をあわせてきたぼくたちには、ひとつの(ほっとしたい…)想いがあった、それがかなった。

 ぼくは、中・高を浄土宗の仏教校に通い、大学は一転(本人にそんな意識はないが)カソリックであった。
 かみさんは、プロテスタントの中・高に寮生活で学び、洗礼もうけた。が、実家は曹洞の禅宗、ぼくん家とおなじ。
 なにふしぎなく、人の世の諸事それなりに、そつなくこなてし生き。
 いまは、ふたり声をそろえて般若心経を仏前に唱えている。

 そいうものだと思う。
 このたびの参拝も、その心をもってのこと。

 境内の一角にある作業場に、その朝、仏像制作のノミ音は(おそらくはまだ)なく、ぼくたちは一礼、雨の境内をあとにした。