どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北、18次<巡訪>/ ⑪3日目(7)東松島市、はばたけ宮野森小学校  今回のテーマ「つぎのステップにむけて」

-No.1484-
★2017年10月14日(土曜日)
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★ オリンピックTOKYOまで → 1014日












◆8月29日(火)午後、復興後の奥松島野蒜地区を想う

 東日本大震災からの復興がなったとき。
 ぼくが、想い描く東北の沿岸部、市町村の立地は、こうである。
 
 港とその付近の低地は、漁業施設とそのほかの事業所・事務所、いずれにしても〝ワーキングエリア〟(前衛)で、原則ここには日常、誰の住居もない。
 防潮堤は堅固に築くが、それは万が一のとき背後の住民居住地を守るためのものであり、そのためには海が見えないのは愚かでしかないから、〝望海〟を限度にする。
 職場からの避難訓練はしたがって厳しく、後背高台への避難がままならなくなったものは、引退するか転業する。

 次の、やや後背地寄りは商業中心の〝賑わい地区〟(中衛)で、地震津波に対する備えも救命・減災のセンター。(前衛)地区で防ぎきれなかった災害余波もここまでで喰いとめる。
 避難所への誘導など避難訓練も、この地区では災害弱者対策が重要になる。
 (前衛)地区で威力を減殺された津波は、ここまでで喰いとめられなければならない。

 高台の〝居住と教育・行政・文教のエリア〟(後衛)地区には、医療機や幼・老施設も集まる。
 ここは津波被害のおよばない安全地区だけれど、体力維持のための訓練の時と場はきちんと確保されている。

 ……………

 そんな期待をつよく抱かせるところ、見た目にわかりやすい土地柄は陸前高田市が筆頭だろう。
 しかし、もうひとつには、小さいながら〝奥松島〟東松島市の野蒜地区がくわえられていい、かもしれない。

 前回記事(12日)でも紹介した津波「伝承館」のある旧野蒜駅からも望める高台。
 沿岸低地からは20メートルほどあがった台地上に、付け替えられた仙石線の線路が通って、新しい野蒜駅もすでに開業。
 駅前近辺の商業用地はまだ閑散としてしているが、隣接する住宅地には人々の生活がしっかり根付きはじめている。

 そんな復興地区の象徴的な存在が、中心部山側に建つ宮野森小学校。
 「宮野森」の名は、合併した旧宮戸小の「宮」と旧野蒜小の「野」、それに新たにスタートする学びの場のコンセプト「森の学校」の「森」からなる。
 学校の開校は2016年の4月、そこに素晴らしい新校舎が完成して3学期の始業式があった、と伝えられたのが今年1月。

 ぜひ、その片鱗にでも触れることができたらウレシい…思いで教職員室に声をかけた。
 これまでにも申し上げてきたとおり、予定はできても確定のむずかしいボクたちの行脚旅は、アポのとれないぶっつけ本番、あくまでもよろしければお願いのスジ、それ以上は望めない。

 にもかかわらず僥倖、ぼくらの旅の趣旨をわかってくださった教頭先生が、授業に差し障りのない範囲で校内を案内してくださる。
 
 職員室からして、古い学校のイメージからは遠い明朗なふんいき。
 渡り廊下越しに見える教室の風景にも、緑陰に憩うような空気がただよい。
 図書室にも、子どもたちの自由な動線を見守る設計がなされており。
 設備も整って大きな体育館にいたっては思わず「わぁお」感嘆のため息、〝現し〟の木組みこれでもかと贅沢なばかりの、これぞまさしく「森の学校」。
 
 他愛もなく月並み…ではあるけれど。
 ここから未来に羽ばたく人材の、たくさんに巣だってくれることを願わずにはいられなかった。

 …………

 もりだくさんに充実した1日。
 この夜の泊まりは、ここも《11.3.11》巡訪の定宿となった、宮戸島月浜の民宿「山根」。

 大津波の災難を克服し、やっと回復した海水浴シーズンながら、今夏は8月に入っての天候不順が客足に響いたとのこと。
 それでも、ようやくにとりもどせた日常に表情は明るい。
 夜の食卓には、シーズンも仕舞いに近い生雲丹が旅の舌をヨロコばせ、酒をすすめて……