どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北、18次<巡訪>/ ➇3日目(4)仙台、若林区長喜城…「いぐね」の里    今回のテーマ「つぎのステップにむけて」

-No.1480-
★2017年10月10日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 2406日
★ オリンピックTOKYOまで → 1018日

*現在の休日「体育の日」は昨日、9日(10月第2月曜日)になっている、が。ぼくら戦後すぐ世代にとっての「体育の日」は、あくまでも10月10日。1964(昭和39)年の東京オリンピック、開会の日を記念するもの(祝日の施行は2年後)だったからだ。それはいま措くとして、あのときの唄、三波春夫の『東京五輪音頭』(一般には、オリンピック音頭)がまた採用されるらしい。なるほど…このニッポンらしさはちっとも古くない!*




◆8月29日(火)、仙台伊達の<里山>へ

 あの《11.3.11》から7年目。
 太平洋沖の見えない深い海溝に向かって、沿岸部に張り付きつづけてきたボクの視点にも、ようやく背後を振り返る余裕が生まれてきた。

 震災大津波遺構の荒浜小学校から、仙台東部道路下をくぐり抜けてまもない辺り。
 仙台市の沿岸部は南から、名取川河口に始まる「六郷地区」、荒浜のある「七郷地区」、仙台港に近い「高砂地区」と3地区に区切られる、その真ん中、荒浜を含む「七郷地区」の陸側西部に。
 「長喜城」という地名は戦国風を匂わせるが、じつは、砺波平野(富山県)の「垣入〔かいにょ〕」ほかにも見られる田園地帯の「屋敷林」があって。
 この地方では「居久根〔いぐね〕」と呼ばれる。

 防風雪の(洪水・地震対策も兼ねる)屋敷林が、現代では貴重な自然環境と生態系の保全に役立っていることには、前から知識があったけれど、まだ見ぬ「居久根」が案外に海岸線から近いことに驚いた。
 その語感から、ぼくにはもっと内陸にあるものかと思われていたのだ。

 「居久根」と思しき風景、ひときわ目だつ緑の屋敷林はすぐに見つかった。
 宅地化の波が寄せつつあるらしい現代の「長喜城」地区だったが、もともと平坦な田地緑野に、分厚く高く濃い緑樹の浮島は、それだけでたっぷり裕福<ステータス>感のある風景だった。
 
 見つけた「居久根」の周囲を歩いて見る。
 むかし豪族の築いた館が伝えのこされたものという「居久根」、いまは4~5軒の家で共有されているものが多い。
 緑樹の壁の厚みに差が見られるのは、吹く風の卓越する方角(ここでは北西)により厚く、ということのようだ。

 屋敷林「居久根」の樹種はおおかた、ケヤキ、クリ、スギ、カシ、ヒバなどの建築用材・燃料材種を外縁に、カキ、クルミ、ウメ、イチョウなどの果樹を内縁に、その内側には鑑賞用樹も混じる、という。生活の知恵。
 屋敷林ひとつで資源の活用と循環の成り立つ<マイ里山>世界ともいえる。

 そんな「居久根」の好環境、生物多様性の面では、(イネの害虫)カメムシの天敵アシナガグモや、カエル、トンボなどの越冬繁殖にも貢献している、という。
 もうじき稲刈りのシーズンを迎える田園緑野、浮島「居久根」のある風景を眺めてぼくには、ひとつ確信できる想いがあった。

 それは「棲み分け」。
 といっても、この国が成長期にあったときの国土拡張策や、勝手な土地のぶんどり開発のことでは、もちろんない。
 災害多発の火山列島に生きるこの国の、大所高所から見たあるべき姿の、ほんとうに賢い〝棲み分け〟を、これからは追求していかなければならないだろう。
 少なくともこの国が、将来も安心立命でありつづけようとするのなら……