どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北、18次<巡訪>/ ➆3日目(3)仙台、荒浜小学校…不幸中の幸い    今回のテーマ「つぎのステップにむけて」

-No.1478-
★2017年10月08日日曜日
★11.3.11フクシマから → 2404日
★ オリンピックTOKYOまで → 1020日




















◆8月29日(火)、〝荒涼〟から抜け出すとき

 仙台東部道路の東側、沿岸平野に広がっていた〝荒涼〟とした風景が、少し潤いをとりもどしていた。
 田園の緑がホッと微笑みかわすなか、復興ブルドーザーの動きも軽くなってきたように思える。

 仙台市若林区の荒浜小学校は、震災後は荒野のランドマーク。
 慰霊に訪れる人たちの車が、土埃あるいは泥濘のなかを、この学校の前を通って、観音像の立つ浜へと向かった。
 ぼくたちもまた、そのなかにあった。

 その、かつては人もうらやむ低平な田園の広がりが、あの大津波にはなんら抗する術もなかった。
 多くの人が、なんの根拠もなしに「ここに津波はない」と信じて疑わなかった、という。
 仙台藩、自慢の用水路「貞山堀」にも、津波対策の面影はなくて。

 仙台というところ、その中心市街地こそ太平洋沿岸から10kmほど内陸だけれど、貞山堀の流れる荒浜地区は荒浜小学校で海岸線からわずか700mほど。
 一帯には震災前、約800世帯2,200人が暮らしていたわけだ、が。

 呆気もなく大津波に浚われ尽してしまうと、そこはまるで海、荒浜小はそのなかに浮く小島か、動力を失った船のようだった。
 気にかかるから立ち寄りはするが、長居もできない。

 そんな荒浜小の校門が開いた。
 大津波の脅威や、その被害と教訓を伝える震災遺構として仙台市が整備、一般公開を始めたのがこの春のこと。

 校庭が、観光バスにもゆとりの駐車場になっていたのに驚いたが、見学需要は少なくないと見え、この日もウィークデーというのに訪れる人の姿が絶えることはなかった。
 さすが大都市近郊の立地。予算も人手もある様子がうかがえる。

 4階建ての内部を屋上まで見てまわった。
 震災大津波の当時、ここには児童・教職員にくわえて住民ら320人が一時避難。津波は2階まで達したけれども、全員が上階・屋上へと逃げて幸い、死者をださずにすんだことが大きかった。
 (仙台市の被害は、死者・行方不明者930人、全半壊家屋13万9643棟、「危険・要注意」確認宅地5728)

 津波の威力のほどは、ここでもまざまざ、だがしかし、辛うじて一部決壊〝浸水〟の域に踏みとどまれたことも、また大きい。
 たとえば石巻雄勝の大川小学校、南三陸の防災庁舎などとは、あきらかに事情がことなる。
 それを思えば溜息しかなく……

 気をとりなおして、稲の穂先が頭を垂れはじめた水田を見てまわる。
 ことしは冷夏の影響も心配で。
 思いなしか、ぼくには穂の丈が育ちたりないようにも見えたが、プロのお百姓さんによれば「やや良か、まぁまぁでないかな」とのこと、安堵する。

 荒浜から遠からぬ、海岸線から1kmほどの六郷地区二木、昌林寺の境内に建つ津波殉難慰霊碑には、「大津波は、山門前道路上約二メートルの高さであった」と見上げる高さに一筋の刻印。くわえて、
  津波は「てんでんこ」
 の添え書きが刻まれてあった。