どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北、18次<巡訪>/ ➀1日目(1)福島県富岡町夜ノ森に…寄り添う  今回のテーマ「つぎのステップにむけて」

-No.1468-
★2017年09月28日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 2394日
★ オリンピックTOKYOまで → 1030日














◆8月27日(日)、出家(ぼくの旅立ちをそう呼ぶ)

 (しつこい)と思われるかも知れない…けれど、気になるものが放っておけるか。

 この春の<福島巡礼>で、ぼくは富岡町夜ノ森駅付近へ立ち寄ることができなかった。
 なにがあったかは知らないが、そのときにはなにしろ、沿岸部の大動脈、国道6号から岐け入れたはずの常磐線夜ノ森駅へのアプローチを、ことごとく拒まれた。
 ぼくには、それが、寄り添えない気分、気がかりなシコリとして、重く心にのこった。
 (ーNo.1377ー2017年6月29日記事「放射能汚染との格闘つづく常磐線」参照)
http://blog.hatena.ne.jp/sashimi-fish1/draft-scat.hatenablog.com/edit?entry=8599973812271620282

 再訪。
 この夏には予定しなかった福島<巡訪>だが、ここだけは別…の気分で常磐道を走った。

 結果は、呆気ないくらいスムースに到達。いったいアノときの〝通せんぼ〟はナンだったのか…。
 まぁ、こんどの場合は山側、富岡ICからのアプローチで、海側の国道6号からではなかったけれども、ワカラない。
 狐ならぬ、放射性物質の雲霧にでもつままれた気分…。

 風景だけはあっけらかんとして、夜ノ森駅の周辺は、常磐線最後の不通区間開通に向け、線路と周辺設備の整備が進んでいた。
 夜ノ森駅を挟む区間で、常磐線は掘り溝のなかを通るような感じになっており、両側の堤上も、伸び放題に繁茂してしていた雑草が刈り払われ、荒野から鉄道沿線らしい風景へと衣替えしていた。
 しかし…

 心が冷えたのは、いまだにとりのこされた「帰還困難区域」と、隣接する「避難解除区域」のゲンジツ〝帰るに帰れない〟住環境であった。
 あれから6年余の時を経て、住宅街の辻にはなお、自然と人類文明の相克が生んだオブジェが痛烈にいまを皮肉る。
  裏庭にうちすてられたバイクの車輪のすぐ脇に、キリスト教団の警句「ただ信ぜよ」…であったり
  役目を失った街角のカーブミラーの、外された「飛び出し注意」の看板が虚しく天を仰いで…いたり
 
 これほどの重い結果、酷い辛酸を国民に舐めさせておきながら、なお、この国の司法は、原発爆発の責任を民間企業にのみ負わせ。
 〝国策〟として推進してきた国の責任を認めようとはしない。
 歪められ、ヒシャゲてしまった民主主義。
 担当裁判官なら、せめて「帰還困難地区」間近の地に一夜をすごして想いみる、くらいのことができないで、ヨシとして恥じない判決ができるものか、どうか。
 特別職国家公務員までもが<生活のためのお仕事>じゃあ、情けない。

 この春、町民たちをよろこばせた桜並木を、ぼくもはじめて歩いてみた。
 幅広く、想ったよりもすぐれて立派な道だった…が、それも駅近くで〝通せんぼ〟、バリケードの向こうの小屋から出て来た警備員が「すいません、まだここから先へは行けません」と頭を下げる。
 こんな状況下にあって、どれだけの町民が〝帰還〟する気になれるものか。

 けっして絶えて人がイナイ、わけではない。
 帰還困難区域に通じる道路にも、公務であろう人の姿やパトカーの巡回はあり。
 どこかの調査機関だろうか、付近一帯を徐行して巡る車も見かける、けれども…

 素人ばなれしたムービーカメラを手に町を徘徊していた男に声をかけたら、「ニホンゴ話せないよね」と妙なアクセントでひとこと、無表情に無理な笑顔を泛べて街角に消えていく。目的は知れない。
 帰還困難区域周辺では、イノシシやネズミなど野生動物の跳梁が指摘されているが、こんな不穏な情景も混じってきている。

 「この先 帰還困難区域」の立て看板に、「富岡は負けん!」と宣言のシールが貼られてある。
 このシール宣言は、原発爆発事故のすぐ後から、ぼくがこの町に見とどけつづけているもの。

 ……………

 宣言の主は知りません、けれども、そろそろ出逢えてもよさそうな気がしています。
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