どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

〝天皇退位〟のこと

-No.1432-
★2017年08月23日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 2358日
★ オリンピックTOKYOまで → 1066日


◆8月15日〝終戦の日〟に思った二つのこと

 ひとつ。
 安倍首相は、日本の象徴天皇を<蔑〔ないがし〕ろ>にしたことにより、〝一強〟を誇ったかに見えた政権の足元をついに液状化させてしまった。

 ひとつ。
 日本共産党という政党は、この国にこれだけしっかり〝根づいた〟天皇制というものを、乗り越える(破棄する)とする綱領でみずからを縛ったことにより、ついに政権党への道をあきらめるのか。

 天皇陛下が、〝退位〟の意向をつよくにじませた国民にむけてのビデオメッセージを公表したのが、昨年の8月8日。
 これをうけ、天皇の退位を実現する特例法の成立したのが、今年6月9日。

 これからは、公布から3年以内とさだめられた〝退位日〟にむけてのスケジュールと関連行事に関心がうつっていくわけだ、けれども。
 ぼくは、もういちど、このことを振り返り、省みておきたいと思う。
 〝特例法〟成立の日に感懐を語った元侍従長、渡辺允さん(81)の言葉をかみしめながら…。

 「陛下が皇后さまとともに国民の幸せを願って象徴のつとめをはたされてきた」ことは、国民だれもが、ひとしく感じ入っていたことだっから、共感もつよかった。
 「国民の側からも、それが見えた。双方に信頼と敬愛が醸成されてきていた」と、渡辺さんはそう表現した。
 天皇と皇后の〝象徴としてのつとめ〟がつねに〝全身全霊〟であり、その「両陛下の考えの根底には、一人一人を大事に」との思いがあったことは、だれもが認め、そうしてこの〝寄り添う〟姿は、だれにも真似のできないことでもあった。

 高齢による身体の衰えから〝全身全霊〟のつとめが難しくなるのは心ぐるしい、と天皇は衷心から考える。
 それは「自分がくたびれたから辞めたいということではない。象徴天皇の地位は。国民との相関関係があって成り立つものだから、行動が伴わなくてはならず、それができなければ譲るしかないとのお考えだ」と渡辺さんは、天皇の立場を思いやる。
 たとえ摂政をおいても、天皇のつとめをはたせないことにかわりはない。
 じぶんが〝退位〟したいのではない、〝象徴としてのつとめ〟が〝全身全霊〟でなければならないからだ。
 そうして、そうあるべき象徴天皇のつとめが〝とぎれることなく安定的につづく〟ことがたいせつだ、と考えられている。
 ここが、もっとも肝要なところで……

 渡辺元侍従長も、権威が二重になるなど指摘されるさまざまの課題は「国民の側がどう考えるかの問題ではないか」と言葉を結んでおられたが、まさしくそのとおり。

 ところが、ビデオメッセージ後の政府・議会・有識者らの考えは、ときとともに中心をそれて制度に傾き。
 ざんねんがら(もっとも期待された)庶民レベルの国民意識もまた、天皇のお考えには〝寄り添い〟きれなかったことを忘れてはいけない。

 冒頭にあげたボクの思い、二つ。
 それがじつは、いまの時代、象徴的な意識のズレのあらわれではないか。

 みずからの政権がやりたいことをやるためにのみ汲々とした安倍首相は、きっと天皇の意向などはじゃまくさかったにちがいない、それがてんから、慇懃な(これもずいぶんアヤシいものだったが)物腰の背中あわせに透けて見えていた。
 <もり(森友)・かけ(加計)>問題など、たび重なった疑惑のせいで政権支持率が落ちた…とご本人や周辺は思っているのかも知れない、が。
 庶民(国民)は、天皇に対する政権トップのあるまじき態度をずっとにがにがしく思ってきた、その底流がいっきに地表にあらわれたことを深く反省したほうがいい。

 政権与党がこのような失態にあり、いっぽう、この機をとらえきれない野党の側の課題も大きい。
 なかでも、そのあなどりがたい存在感から、野党再編のカギをにぎると目される共産党のたたずまいである。

 政治が〝人民の幸福に寄与すること〟であるなら、この日本で望まれているのがどのような政治かも、わかっているはず。
 いまは、もう、イデオロギーでうごく(うごかせる)時代でもない。
 いいかげんにその綱領とやらを見なおす舵をきらないと、〝幸福に寄与する(すなわち政権をとる)〟チャンスを永久にうしなうことになるだろう。 
 このまま抵抗政党でおわるか、現実問題として考えてほしいところだ。