どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ジェームス・ボンドか藤枝梅安か…〝必殺仕掛人〟をつい考えてしまう米朝関係

-No.1429-
★2017年08月20日日曜日
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◆映画の007シリーズ

 1962年に『ドクター・ノオ(007は殺しの番号)』(イアン・フレミング原作、テレンス・ヤング監督)でスタートをきった、ご存知、ジェームス・ボンドの活躍に胸のすく思いだったスパイ映画。

 ぼくが、いま(あぁ…)と溜息まじりに想い出すのは、5作目の『007は二度死ぬ』(1967年)。
 主演のジェームス・ボンド役は初代のショーン・コネリー、舞台はニッポン、浜美枝がボンド・ガールをつとめた。

 映画そのものの出来からすると、どんなもんだろう、その舞台に選ばれた日本に暮らす人間の眼で見ると、たぶんに演出に無理の多い〝これは娯楽映画です〟モノだった、が。
 ここでは映画評の話しではない。

 ショーン・コネリー演じるジェームス・ボンド、英国人の大男が東洋人ニッポンの田舎の男に化けて活躍するのだ、けれども。
 その紛争たるや、わるいけれど、ほとんど噴飯もののひどいメーク。これならどんなに阿保な敵の連中だって、百発百中、見抜かれてしまうにチガイなかった。

 おなじ欧米人種間、つまり白人同士でなら、いともたやすい〝なりすまし〟が、肌の色も体格も髪や目の色も仕種も…あらゆる点でことごとく、まったく極めつきに別ものの人種に〝なりすます〟ことの不可能を、ナットクさせられたことだった。

 なんで、そんなことを想い出したか…といえば。
 いま、きわどい場面に対立して、〝売り言葉に買い言葉〟の応酬をくりかえす北朝鮮とアメリカのこと。
 これに否応なく巻き込まれざるをえないニッポンという国の、アヤウさに直面しているから、である。

 カシコい評論家の方々が仰るような、「圧力と対話のバランスで我慢づよく」なんてことが、はたして可能な権力者同士であろうか。否そうではない、ことはこれまでに繰り返されてきた経過で明らかすぎるほど明らかではないか。
 当事者が「身のほど知らず」の小国と「おとなげない」大国だから、始末がわるいのだ。

 制裁の圧力といっても功きわめて薄く、「ご免こちらが間違ってました」「いやこっちこそ度がすぎました」なんて素直な和解の成り立つはずもない敵対関係である。

 すると、このギリギリ手詰まりな現実の、まことに非現実ながら解決策として、考えざるをえないのが〝闇の必殺仕掛人〟であり、いまの米朝関係この場合にあてはまるのは、懐かしきジェームス・ボンドというわけ。
 だが、そこで、独裁国家北朝鮮の中枢奥深く潜入する必殺仕掛人ジェームス・ボンドを思うとき、いやでもつい頭に泛んでしまうのが、上記『007は二度死ぬ』のショーン・コネリー、ニッポン人に無理に〝なりすます〟の図。

 とたんに(よせやい)気分の我に返る…次第。
 あるいは「事実は小説より奇なり」という。
 アッとおどろくような驚異的コトがあるのか、どうか。
 
 あるいは、また。
 なんとなく、ナントナク…で、なんとなく、ナントナク……