どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

大腸内視鏡検査をうけ、「腺腫」のポリープ2つを切除してきた…20年ぶりのぼくの夏

-No.1421-
★2017年08月12日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 2347日
★ オリンピックTOKYOまで → 1077日



◆「生還しました」

 吾ながら〝大袈裟〟なことだけれども、実感だった。
 毎年うけている町田市の成人検診、便潜血検査(検便)の結果、便に血が混じっていたことが判明。
 先週4日の金曜日に、大腸内視鏡検査を受けてきた。

 訪れた胃腸科医院に、お世話になるのはこれで二度め。
 持参した診察券は、かかりつけ内科医のものに次いで古く、日付を見れば1997年8月、20年も前のことになる。
 そのときは、真夏の瀬月内の島々を取材して帰ったあと、便に血が混じっているのにみずから気づいて、かかりつけ医の指示で検査を受けに行ったことを、いまもよく覚えている。

 いい歳にはなっていたわけだけだが、気分は(まだまだ…)てんで浮浪雲
 尻の穴から管を入れるというので、(おカマを掘られるのか、ひょっとして気もちよかったりしたらどうしよう)なんて、脳転気というか不謹慎というか。

 しかし、現実に、尻をひと目にさらす格好でベッドに横たわり、管が体内に入ってくると、そのなんとも言えず不安で不快な圧迫感に、20年前が一気に蘇る。
 あのときと同じだ……
 あのときも、じつは内心に消化器の不安を押し隠していた。

 父は胃腸の弱かった人で、前立腺癌で亡くなっている。
 乳癌を克服して生きた母は、心筋梗塞で逝った。
 わが家系にも、癌体質があり、内蔵関係に弱点をかかえる。
 自身にも、その傾向があることはワカッテいた。

 鎮静剤の点滴をうけながら行われる内視鏡検査は、施術中の医師の動静が患者にもわかる、医師と会話もできる。
 ぼくは、医師の手先より、モニターを見つめる気配、口もとからもれる呟きを聞き逃すまいと、懸命に耳を澄ませる。
 「きれいになってます、お通じはいいようですね、腸のなかもきれいです」
 医師が言う。患者をリラックスさせようというのだ、ワカッテいる…が。
 ぼくが知りたいのは、そんなことじゃない。

 1週間前から服薬制限(血液さらさら製剤などは中止)、3日前からは食事制限がくわわり、前日夜半から腸内清掃(?)の下剤で準備を整えて待つ。
 入院患者なら別、ふだんの生活場面での、この非日常は心身に応える。心配は家族にまでおよぶ。

 癌細胞が見つかりはしないか……
 もちろん、癌細胞が発見されたからといって、はいソレまでよ、ではないけれど。
 その瞬間から、世界はかわる、日常だった〝ふだん〟が遠去かる。

 管は腸内壁を診察しつつ肛門から、大腸内を逆Uの字に進んで盲腸のあたりまで達し(このときが圧迫感の頂点)、出口へと戻りながら詳細に診ていく。
「ポリープがひとつ…」
 さりげなく気くばりの声がする、このたびの施術は女医さんである。

 これも20年前と同じだった。
 結局、肛門に近いところで2つのポリープが見つかり。
「ポッチリした、腺腫ですね…いまはまだ良性ですけど、念のために切除しておきましょう」

 これも20年前と同じ。
 ぼくにもモニター画像を見せてくれ、目の前で切除もしてくれる。
 粘膜の切除痕など、ほとんどのこらないように見える。

「あぁ、これ、ここに…以前のポリープ切除痕がありましたょ、きれいになってます」
 その、言われて見ればなるほど周りよりやや白っぽく見える粘膜部分も、素人目にはほとんど見分けがつかない。

 こうして、2つのポリープ切除を含めて40分ほどの施術を終了。
 なお予後1週間ほどの安静と、もとの〝ふだん〟の生活にもどる注意を受けて、ぶじ放免(これも実感!)となった。

 ポリープの3段階め「腺腫」というのは、良性であってもいずれ癌に変異するかもしれない怖れがあるもの、だから、いまのうちにとっておく。
「2年か3年に一度は、これからも検査を受けておく方がいいでしょう」 
 言外の意は、これもワカッテいる。
 ぼくには、〝できもの(おでき)〟体質がある、油断はキンモツということダ。
 切除したポリープの組織検査結果は1週間後にわかる。

 こうして半日後。
 しかし…いまのこの気分の、えらいチガイはどうだろう。

 ポリープ切除はあったものの、〝三途の川〟の渡しの手前まで行って、あやうく逃れて帰ったようだ。
 アルコールは2~3日ひかえるように言われているので、ノンアルコールの飲料でかみさんと、おとなしく乾杯。
 そのかみさんもじつは、この春さき、便に潜血が見つかって同じ大腸内視鏡検査をうけ、彼女の方はなにひとつ翳りのない「〇」の結果に、諸手をあげて小躍りというシーンを演じたばかりなのであった。

 70代に突入した爺っちゃ婆っちゃに訪れた人生の一点景……
 
 でも、あとでよくよく考えてみると、コレはぼくにとってあるいは僥倖といえるのかも知れない。
 放っとけば危なかったろうところを、少し前にさりげなく助けられている、と言えなくもないのだ。

 いずれはおおごとになっていたかも知れない心臓の冠動脈狭窄を、たまたま発見され、リスクの少ない内科的ステント挿入術で救われたのも、かかりつけ医との軽い問診ともつかない話しがきっかけ。
「どうです、歩けてます?」
「それが、なかなかねぇ、歩けったって、近ごろはケッコウきついょ」
「それって心臓、それとも足の筋肉の方?」
「どっちもどっち、みたいな感じかなぁ」
「じゃ、いっぺん、精密検査しておきましょうか」
 ……だった、のだ。 

 「生かされている命」という。
 わかってはいるが、気分としては煩わしいものがある。
 命というのは〝わがまま〟なものだ。
 〝わがまま〟に生きても赦されるうちは……

 〝わかったような顔〟したくはない、が。
 なるほど「生かされている」のかも知れない、と思う。