どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

F1…まぁ自動車は家具か玩具みたいなもの/   そんな欧米世界を追いかける日本のモータースポーツ

-No.1418-
★2017年08月09日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 2344日
★ オリンピックTOKYOまで → 1080日

*72回めの長崎原爆の日。あの日、永訣を誓ったはずの〝核の傘〟の下に、いまも居つづけるニッポン。国とはナニか、防衛とはナニか……*





トヨタ2000GT

 1966(昭和41)年10月1日~4日。
 場所は茨城県谷田部の自動車高速試験場(現在の日本自動車研究所)のテストコース。
 そこに、まだ学生時代、21歳のぼくがいた。

 ざんねんながらテスト関係者ではなく、映画撮影(アルバイト)スタッフの一人としてだった。
 このとき、ここで行われたのが、トヨタ2000GTのスピードトライアル。
 4日間72時間走行する間に、時間と距離あわせて13カテゴリーの世界記録更新を目指すものだった。
 その模様を追跡したのが、記録映画の名門岩波映画で、ぼくはそこのプロヂューサーに知遇を得ていた関係で「やってみないか」と誘われ、二つ返事でとびついた。役どころは演出部助手。

 時代は、ポルシェ、クーパー、トライアンフなど、ヨーロッパ名車の独擅場であったスピードトライアルの世界に、はじめて東洋から日本が参戦の名乗りをあげはじめた頃にあたる。
 この4日間、谷田部の高速周回コースには2000GTの走行音が響きつづけ、関係者が刻々と伝えられる途中計時の数字に一喜一憂を繰り返しており、ぼくら撮影スタッフも専用テントを根城に駆けずり回っていた。
 撮影カメラは高く組まれた櫓上に据えられており、ぼくら演出部助手も撮影部助手に混じって交換フィルムマガジンを肩に、懸命に櫓を攀じ登ったりした。

 3人交代制のレーサーのひとりに、ファッションモデル兼実業家でもあった福沢幸雄がいた。
 このトライアルは、最中に台風が接近するなど劇的なことがあった、なかでも記憶にのこるのは、なぜかドライバーが福沢のときにエンジンンの調子のよくないことがつづき、ぼくらはそのエンジン音に眉を曇らせたものだった。
 (レーサー福沢幸雄は、それからほどなく事故死している……)

 このときの体験が、ぼくを車社会の一員にした。
 やっとこさ中流の端っこにしがみついていたボクら戦後すぐ世代にとって、それまでマイカーは夢であり、豪華カタログやショールームの世界であった。
 それが、グッと現実に近づいた。同じ学生アルバイトスタッフのなかに、運転専門の気のいいやつがいたのもおおきく、後にぼくも運転免許を手にドライバーの仲間入りをすることになった。

 ぼく自身、カー・レースやラリーに興味をふかめることはなかったが。
 自動車と人、交通の変遷、車社会の到来と未来には、いつも注意の目を向けてきた。

 そんなぼくが、ウムと唸らされた日本のレーシングドライバーは、中嶋悟
 1980年代後半のF1レーシングドライバーで、体格はぼくよりもやや小柄か。それが国際的な大舞台ではどうしても不利にはたらく、という指摘がなされたこともある。

 けれども、あれはどこの、なんのインタビューであったか、で。
「欧米では、車があってあたりまえの時代が、もうずいぶん長い。生まれたときから車のエンジン音を聞いて育っている、運転なんかまだできない子どもの頃から、でも、どっぷり車体験のなかにいる、これがおおきいと思う。日本ではそんな暮らし、まだ始まったばかりですから、日本人がF1で勝てるようになるには、もう少し時間がかかるんじゃないかと思う」
 要旨、以上のように語っていたのが、記憶にいまも新しい。

 その後、ぼくは旅の空。
 パリ下町の路上を、なんの屈託なく走りまわるボロ車、ポンコツまがいの(メーカー・マークだけは日本でも有名な一流の)車が、うっかりすると片方のドアが1枚なかったり…という状態で、なんの不自由もなく、それこそ下駄かズック靴のように履きこなされていたのを見てナットクした。
 これが長い歴史を経ていまある車社会なのだ、と。

 おなじ頃のニッポンでは、休日に愛車を洗い丁寧にワックスをかける姿が〝いい暮らし〟ぶり、自家用車がまだステータスの段階にあった……

 あれから20数年。
 ことし5月、世界3大レースのひとつ、アメリカ伝統の「インディ500」で、元F1ドライバーの佐藤琢磨(40歳、ホンダ)が初優勝を果たした。新聞各紙はこの快挙を「日本モータースポーツ史に新たな金字塔」と讃えた。

 これは、いまの時代、時計の針のめぐる速さにおどろくべきことなのか。
 それとも、「いや、まだ、ちょっと」中嶋さんなら呟くところであろうか……