どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

嗚呼…不安いっぱいの…新国立競技場

-No.1417-
★2017年08月08日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 2343日
★ オリンピックTOKYOまで → 1081日




◆ツケが〝弱い立場〟にまわらないように

 23歳の若い命がひとつ失われた。
 「過労自殺」として遺族が〝労災を申請〟したことから明らかになった。
 2020TOKYOオリンピック開催を目指して急ピッチに進む新国立競技場の建設現場で、彼は現場監督を務めていた。
 月200時間を超える残業に追われつづけての死は、「こんなかたちでの解決しかできなかった」ことを詫びるかたちのものだった。
 (やっぱり…か)やりきれない気分は、国民おおかたのものであったろう。

 ぼくが、新国立競技場の建設が始まって間もなくの現地を踏んでのは4月10日。
 その報告記は、-No.1309-2017年04月22日記事「新・国立競技場の建設が始まった神宮の森」だった。 
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 あのときのボクの脳裡に、こんどのようなことが起こる心配がなかったわけではない。
 けれども、大規模建築現場のダイナミックな躍動ぶりに目を奪われ、心は「きっと間にあわせてみせるんだろうな」気分でいっぱいだったことを、ここに告白する。

 そうして、じつは、このニッポン人に過剰な「間にあわせる」「なんとかする」意識が〝労災〟の根源にはある。
 政府が「働き方改革」の実行計画で、残業時間の法的な上限の導入を決めたとき、建設業への適用を「5年間猶予」したのもそれだった。「間にあわせる」「なんとかする」、国家的プロジェクトともなればなおさらだ。

 〝労災〟のリスクが高い職業は➀道路貨物運送業➁飲食店➂建設業と言われるが、けっしてそこだけの問題でもない。
 もっと普遍的に危険な〝思考回路〟が、ざんねんながらニッポン人にはある。

 たとえば、こういうこと。
 あの《11.3.11》東日本大震災・大津波被災、ボランティアの支援活動場面で、現地で苦笑いまじりに指摘されたのが、「息抜き」の仕方を知らない都会の人たち、だった。
 破壊されたビニールハウスの後片づけに追われながら、農家の人が溜息まじりに言っていた。
「農家の者には、休み休み働かないと身体がもたないことが分かっているけど、都会の人にはそれがワカラないからデキない、気のどくだからコッチもね、あわせて働いちゃうからクタビレちゃうの」

 じじつ、ボクなんかもそのくちで、始めっからめいっぱいに突っこんで働くことしか知らない。手を休めてダベってる人なんか見るとズルイ気がする。結果バテてへたりこんだら、それでオシマイ。
 それでもボクみたいに、そこそこ体力もあり、まだまだ足りないながら経験もあれば、なんとか乗り越えられるが。
 そうでない者には、(励んでも役には立たない)理不尽な思いだけが重くのこることになる。

 このような場面を見て、つい、考える。
 (タイヘン…でも、ナントカする人がいてナントカなってる、ナントカできない人はナントカならないんだろうか…)と。
 これが、じつは、マチガイ。
 
 〝電通〟問題があったのも、遠い日のことじゃない。
 あのときも、企業側を擁護まではしないまでも、個人の資質を云々する声が少なくなかった。

 そうだ、職種や職能の問題でもない。
 「なんとかする・間にあわせる症候群」の問題だ。

 つきつめればDNAに関わることかも知れないから、これを無くすには長い時を要することになるだろう。
 とすれば症状の極力緩和、徹底的な意識改革につとめるほかはない、と思われる。
 その意味で、まさに個人の資質のことなのだ。

 耐え抜ける人、ナントカできる人がいる。いっぽうに、
 耐えきれない人も、ナントモできない人もある。
 強い立場の陰には、かならず弱い立場がある。
 
 弱い立場にツケがまわることのないようにする…のが、根源のルールじゃないか。
 指導的な立場にある人には、最低限、この認識が不可欠だ。

 こんどのことが歯止めにならず、また同じことが繰り返されたり、「なんとかする・間にあわせる症候群」が原因の事故が起こったりするようだと、2020TOKYOは酷いマイナスイメージのオリンピックとして記憶されることになってしまうだろう。