どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

タガメ…水生昆虫界のマッチョマンにいま絶滅の危機

-No.1411-
★2017年08月02日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 2337日
★ オリンピックTOKYOまで → 1087日




マムシを餌食にする水生昆虫

 子どもたちの夏休みが始まって2週間ほど。
 公園や緑道には、捕虫網を手に駆けずりまわる子たちの姿。
 だが、ざんねんなことに、ぼくの住む町の手近なところには、てきとうな水辺の遊び場がない。
 とても、気のどくに思う。

 今朝、着替えさせたばかりの短パンもシャツも、すぐドロドロに汚しちまうので、母親にはこっぴどく叱られたものだ。
 けれども、池や小川や田んぼなど、水辺での遊びは子どもたちにとって、別世界の昂奮と新知識の宝庫。
 淡水水族館が出前にきてくれたようなものだった。

 水面にはアメンボウやミズスマシがすいすい、おもしろいように軽々と乱舞していたし、ゲンゴロウは底の水草と水面のあいだをさも忙しそうに行ったり来たり。ドジョウは砂泥を巻き上げて隠れ、オタマジャクシの群れは黒い塊が破裂するように四散して度肝を抜いた。

 そんな水辺世界のタイショウ株は、タイコウチタガメの大型カメムシ類。
 なかでも日本で最大のタガメは体長5~6センチ、見た目にはタイコウチのざっと倍くらい。
 ヘラクレスみたいに肩(?)を張った強大な前肢は、まさしくマッチョマンそのまま。
 好奇心に駆られた小さな子が、思わず手を出して痛い反撃に遭い、泣き出す場面も多かったわけで。
 すると、ガキ大将格が「どうしたっ、どきな」と、助っ人に駆けつけるのがルールみたいになっていた。

 じつは、ぼくも幼時タガメに泣かされた経験がある、人差指をイヤというほど締めつけられ、たぶん同時に刺されもしたのだろう。エビガニ(ザリガニ)のでかい鋏にやられたときより衝撃的な痛さだった。
 別名「水中のギャング」の怖さを、はじめて知ったことだった。

 ぼくが、この目で目撃したタガメの餌食は、ダボハゼとカエルぐらいだったが。
 タガメは吸血虫(ほんとは吸肉虫)である、ことを幼児期に知っていたら、もっと恐怖心は大きかったろうと思う、けれども、それらの知識を学んだのは高学年になってから。

 大物喰いで、ヘビやカメなどの爬虫類はもちろん、小型哺乳類のネズミを襲うこともあり、ヘラクレス前肢で抱え込んで捕獲、針のような口吻を突き刺して消化液を獲物の体内に注入、溶けて液状になった肉を吸いつくす。
 だから後にのこるのは獲物の骨と皮だけ…ということまでは、子どもの頃のぼくは知らなかった。
 毒蛇のマムシを餌食にすることもある…のを知ったのはごく最近のおどろきごと。

 昂奮と新知識いっぱいの別天地、水辺が遠い世界になっていったのは、戦後、焼け跡にのこされていた爆弾池(着弾痕の窪地にできた池)が埋め立てらたからだった。

 なにしろ、タガメはワイルドな自然の生きものではない、カブトムシなどと同じ人の生活場面にちかい〝里山〟の生物。
 田んぼや用水路、水草の多い池など水深の浅い淡水を好んで暮らす。
 したがって、天敵はサギなど、水生生物を餌に好む比較的大型の鳥類になる。
 ぼくも子どもの頃、お爺ちゃんの家(母の実家)で夜の縁側に飛びこんできたタガメに魂消たことがあって、これはオスがメスを求めての飛来らしく、掴んだその体からは甘酸っぱいような生臭い臭いがした。
 図鑑の解説には、バナナかパイナップルかリンゴみたいな、とあるのだった、けれども……

 ともあれ、こんな〝里山のマッチョマン〟だから、繁殖期メスが卵を産むのも稲などの茎や杭の脇。世話をするのはオスの役目で、乾かないように水を与えたり敵から守ったりと、とても忙しく立ち働く。

 かつて里山が健全に機能していた頃はタガメにとっても我が世の春で、養魚池のキンギョやメダカ、小鮒たちを喰い荒らす〝害虫〟にされたこともあった。が、いまは、しかし……
 絶滅の危機に曝されている、という。

 環境省レッドリスト絶滅危惧種〟に指定され、すでに絶滅した地域もあるものと見られているのだ。
「坊や、いまのうちに田んぼで遊んで、タガメに逢っておいで、もうじき見られなくなるかもしれないからね」

 その主な原因は〝里山〟の環境悪化。
 まず、おおきなダメージになったのは農薬の普及。とくにBHCやピレスロイド系の農薬にタガメは弱い。
 おまけに、頑丈な体躯といってもアスリートのそれと同じで、けしてワイルドではない。つまり、タガメにはきれいな水質の、豊かな水量の水、そして餌になる生きものたっぷりの環境が必要。しかも、そういう複数の水場を移動しながら生きる習慣があるのだった。