どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

はねる…はじける…かっとぶ…いのち

-No.1407-
★2017年07月29日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 2333日
★ オリンピックTOKYOまで → 1091日







◆ぼくは〝はねる〟のが好き

 
 子鹿のバンビは、跳ねるかわいらしさの象徴として、跳ねる、跳ねまわる。
 子鹿にかぎらず、子羊も、子山羊も、子牛も、子豚も、子狐も、子狸も、猪の子の瓜坊も、み~んな、「子っこ」はどれもこれも跳ねるもの、天からきまっている。
 跳ねて、命を〝はじけ〟させる。生まれでたよろこびを、おさえきれない。

 ぼくは、胸奥にこの〝はねる〟気もちを仕舞って、つまり、おさえて育った。戦後すぐは、そういう時代だった。
 ふだんは〝おとなしく〟我慢させられているから、たまに箍〔たが〕の外れることがあると(それが許されたときに)、よけいに跳ねた、大きく跳ねた、羽目を外し周りの迷惑しらずに燥いだ。
 そのクセの火種が、いまだに燻りつづけている。

 成長してからも、生命は〝はねる〟のをやめない、地球の大舞台をよろこび讃えるように。
 サバンナの草食動物だと、スピードゆたかに〝はねる〟インパラが文句なしにいい。ガゼルよりはるかに〝はじける〟ジャンプ力だし。
 トナカイやヘラジカのように重すぎない、鋭くしなやかな角もますます跳躍を美しくしている。

 魚は〝はねる〟、海から空へ。
 鳥も〝はねる〟、空から海へ。
 アジサシやグンカンドリのホバリングは〝はねる〟前奏、エネルギーを集中し翼をたたみ、海中の獲物めがけて突っこんでいく。
 姿容姿〔すがたかたち〕で〝はねる〟鳥もある。
 ぼくは、カンムリカイツブリとかイワトビペンギンみたいに、なぜか冠毛を突っぱらせた〝かっとび〟スタイルに惜しみない喝采をおくる。

 人が〝ハレ〟の日に、跳ね、弾け、かっとぶ舞台は祭り。
 神さまの前で、いっちょいいところをお見せしよう、というわけで、男衆〔おとこし〕どもが一世一代の気合をいれる。もちろん、いまは女衆〔おんなし〕も黙ってはいない。
 「浅草の三社」さまなら、見せどころは神輿が勇んで〝はねる〟宮出しから、とぎれる暇〔いとま〕もなく競って巡り、そうして、楽日の宮入にいたって惜別の情たっぷりと〝はじけ〟て魅せる。
 「青森ねぶた」では、跳人〔はねと〕の尋常でない〝かっとび〟乱舞がなにより、豊かな実りの秋を呼ぶのだ。

 ぼくのお祭り好きも、ワカっている、いきつくところは〝魂鎮め〟にちがいない。
 〝魂鎮め〟には〝荒ぶる〟ほどの所作が要る。
 助役に楽曲があり、演舞がある。

 ぼくは、音楽でも〝はねる〟もの、映画でも〝はじける〟ものに、深く魅了される。
 それらを前にしては、ほとんどストーリーも仕掛けのかずかずも、いっさいカンケイない。

 つい先日、またBSで、ミュージカル映画ドリームガールズ』(2006年、アメリカ)の放映があり、また観てしまった。
 ビヨンセもよかったが、いちばんに〝はじけ〟て抜群だったのは、ジェニファー・ハドソンの歌声。
 暑い真夏の夜に、ぼくは胸先三寸ゆさぶられっぱなし……

 その後すぐに、こんどはやれ懐かしのバレー映画『赤い靴』(1848年、イギリス)の放映がやはりBSであり、これも見のがすことができなかった。
 日本で封切られたのは、ぼくがまだ5歳の頃、父母に連れられて映画館へ。
 バレーにとくに興味があったわけでもなく、ただ映画という影像ジャンルの新しさに魅かれてのことだったが、まんまとハマりこむことになった。

 ぼくを〝はじけ〟させたのは、若く美しいバレリーナ、モイラ・シアラーと、ソレよりナニよりの魅惑は赤い絹のトウ・シューズ。
 この映画はアンデルセンの童話に材をとったものだったが、ぼくはそのうちのわずかワンシーン、風に巻かれた路上の古新聞が彼女とともに踊る場面のとりこになり…それは、再会のいまもまた、かわりなく鮮烈であった。 
 ぼくはまたまた、胸先三寸ゆさぶられっぱなし……