どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

大田昌秀(元沖縄県知事)さんの死、そして…/  旧日本海軍(大日本帝国海軍)の水没潜水艦

-No.1397-
★2017年07月19日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 2323日
★ オリンピック東京まで → 1101日

*ここ10日ほど猛暑との〝我慢くらべ〟がつづいて……それが昨日、昼すぎ、ふと空が翳ったかと思う間もなく、呆気なく空が〝根負け〟したといわんばかりの驟雨、雷鳴もまじえ、とぎれとぎれに夕方まで。気が抜けたみたいに気温も10度ちかく下がって、久方ぶりの涼しい眠りにつけた。それが……ナゼか、まんまと肩透かし喰らった感じ、てんでオモシロくもない今朝のボクだった*




◆「平和の礎」建立時の沖縄県知事

 6月23日、沖縄慰霊の日。
 この日から終戦翌日の8月16日(1945年のこの日ボクは生まれた)までは、ぼくにとっても格別な〝遠い声〟を聞く1ヶ月半ということは、前にもお話した。

 ことしは例年にも増して印象ふかいものになった、沖縄慰霊の日。
 沖縄平和祈念公園の「平和の礎〔いしじ〕」を訪れた人たちからは、大田昌秀さんの死を惜しみ、悼む声が多かった。
 国籍・人種を問わない戦没者20万人ひとりひとりの名を刻んだこの慰霊碑は、大田元沖縄県知事の在任中1995年6月23日に建てられている。
 (同じ年に起きた米兵による少女暴行事件が、基地問題に苦しむ沖縄県民の怒りに火をつけていた)

 その大田昌秀さんは6月12日、92歳で亡くなっていた。逝去の日が、奇しくも誕生日であった。
 みずからも沖縄戦に学徒動員されて奇跡的に生還、90年から2期8年沖縄県知事を務め。
 沖縄県知事として米軍基地問題解決に取り組み、反戦平和にも尽力した。

 大学紛争にまきこまれた学生時代、全共闘世代の挫折と脱力感をあじわっていたぼくらは、この大田知事の存念ゆるぎない動静に、たしかな存在感に心うごかされ、「大田さんはいいね」「どっこい沖縄は生きてるね」気ごころ知れた友と語りあったものだった。

 米軍普天間飛行場宜野湾市)の辺野古名護市)移設に反対をつらぬき、反戦平和を訴えつづけたことでも、いまの翁長雄志知事にとって得がたい先人、まさしく〝県民のリーダー〟であった。

 ……………

 しかし、そんな大田さんでも、目指した3期目の選挙では経済振興を訴えた保守系候補に敗れている。
 〝オール沖縄〟とされる現在の翁長知事もいま、民意を聞く県内選挙での劣勢に悩んでいる。
 それもこれも、「本土の捨て石にされた」沖縄のゲンジツのあらわれ。

 ぼくらは、こころのうちに知っている。
 日本という国のために〝揺さぶられ、揺れつづけてきた沖縄〟だった。
 そしていまもかわらず〝揺さぶられつづけるオキナワ〟がある。

 大田元沖縄県知事は言った。
「本土が沖縄の痛みをみずからの痛みとして感じてくれれば」

 ……………

 大田さんの死の、少し前。
 ひとつのニュースが庶民の耳目を驚かせた。

 五島列島長崎県)沖の東シナ海、水深約200mの海底から、特殊ソナーによる探索で旧日本海軍大日本帝国海軍)の潜水艦が発見されたという。
 これは第二次世界大戦後にあった敗戦国処分、そのひとつとして連合国軍総司令部(GHQ)によって沈没させられた計24隻の潜水艦だったわけだから、その意味では発見というより確認だったわけだが。

 衝撃だったのは、撮影されたそのうちの1隻が、海底に突き立っていたことだった。報告によれば、半分に折れた艦体の半分にあたるそうだけれど、それにしても70年以上の時を経ていま、である。
 白日のもとに亡霊を見るようであった……

 今後、詳細な調査が行われる予定という。
 それはいいけど、またぞろ、これを引き上げて保存なんて話に発展したりしないか、ぼくはそっちの方が気がかりだ。
 なにかとリクツをつけてヨケイなことしたがる、人間のいちばんよくないクセだ。