どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

「卯の花くたし」…語感は〝梅雨〟でも〝夏〟の季語

-No.1384-
★2017年07月06日(木曜日)
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◆〝花腐す〟梅雨どきの雨

 梅雨空を見上げるとき、「卯の花くたし」の語句が脳裡に泛ぶ。
 父が俳句を嗜み、「朝日俳壇」に名を連ねたりもしていたせいか、子どものころから俳諧歳時記が身近だったからかもしれない。

 父が手持ちの昔の歳時記は、ほかの本とはまた別の趣きをもった横長の変型判だったことも、ひもとく気分をまたかくべつなものにした。
 歳時記に読む季語の解説には、ほかの辞典にはない深い味わいもあったのである。

 ところが、どうしたものかボクは子どもごごろに、「卯の花」を「菜の花」と混同して覚えてしまったものだから、妙なぐあいに、ボクの心模様のなかの梅雨空はふしぎに明るい色彩をおびていた。
 いっぽう、それでいて「くたし」の語感は「腐し」に違いなかったので、その違和は悩ましいものでもあったのだ。
 その父の歳時記も、何処へいったものか、いまはない。

 いま、ぼくの手もとにある『作句歳時記』という本は、楠本憲吉さん編著になる1989年講談社刊のもの。
 その夏の部の「卯の花腐し」、解説文にはこんな記述がある。
「 卯の花の匂〔にほ〕ふ垣根に/ほととぎすはやも来鳴きて/しのび音洩らす/夏は来ぬ
  昔、小学唱歌で有名な、佐々木信綱のこの歌は、だれでもが口ずさむことのできたポピュラーな持ち味の歌である。卯の花とほととぎすが、夏の到来を告げる代表的な景物として我われに印象づけられたのは、この歌に負うところが多いといっても過言ではあるまい。」

 その歌『夏は来ぬ』は、ぼくもよく覚えている。
 とはいっても、つよく印象づけられたのは「ほととぎす」の「しのび音」のほうで、「卯の花」はまだ見たこともなく知る由もなかった。
 「卯の花」が無垢に白い「ウツギの花」で、初夏5月(陰暦4月)を代表する花であるのを知るのは、後のこと。
 「卯の花腐し」という表現は、降りつづく長雨が垣根の卯の花を腐らせてしまわないか、との意をふくむことも覚え。事実5月下旬は雨が多くて、「走り梅雨」と呼ばれたりもすることを、これは、わが肌あいでも知った。

 ひと息に、おとなびた世界に近づいた気がしたものだった。

 ウツギという落葉低木は山野に自生するが、植栽されて生け垣などにも好まれる。
 といっても、ぼくが生まれ育ったのは京浜工業地帯のまっただなか、垣根はもっぱら隣家との境界線であり、風流を愉しむゆとりにもとぼしい町場であった。
 はじめて「これが卯の花」と教えられたのは、たしか古都鎌倉の散歩道、(そうかキミだったの)というふうにごく親しげな出逢い。
 懐かしかったけれど、初対面からその「腐す」さまを想って見るというのも、ずいぶんオカシなものだった。

 調べてみると、ある本にはアジサイ科とあって、なるほど幹が中空(それで〝空木〟)なのはアジサイ似だったし、花の持ち味にも似た風情がある。
 ところが別の本ではユキノシタ科、こっちの分類は、素人には(なんでそうなるのか)いっこうにワカラナイ。

 「卯の花腐し」という言葉が、別の色あいをおびてきたのは、ぼくに豆腐屋の子の友だちができてから。
 豆腐と納豆は、植物性の蛋白源として庶民の食卓になくてはならないものであり、子どもが使い走りさせられることの多い食品でもあった。

 ぼくらが子どもの頃の豆腐は、納豆もいっしょに、はじめはリヤカーを曳いて、のちには自転車の荷台に積んで売り歩くのを買ったものだが。
 ときに豆腐屋へ小鍋など持たされ買いにやらされたことがあり、そのときついでに「おからを分けてもらってきて」と言われるのが、妙に照れくさいような恥ずかしいような気がしてイヤだった。

 それには理由がある。
「おから」は豆乳を漉して搾った滓であり、食用にもしたが、また肥料や豚などの飼料にもされた。

 ついでに、どういうものか豆腐屋でも「おから」は粗末に扱われる傾向があって、漉し搾った布からカス箱にバサッと投げ捨てられたりする。勢いあまって箱から外にこぼれ落ちるカスもあり、そんな態〔さま〕を見ると惨めっぽかった。

 「おからをください」というと、豆腐屋のおかみさん(友だちのお母さん)が、粉を掬う小型のスコップのようなものでザクッと無造作にとってくれる、そのやり方も見るからに〝ぞんざい〟な気がした。子どもは精一杯、生きる知恵として見栄っぱりなものダ。

 豆腐の「おから」を「卯の花」と呼ぶのは、あとになって思えば美称だったが、ぼくの子ども心には「箱の外にこぼれ落ちたカス」「お空」、それが「腐し」に結びついてナットクされた経緯がある。

 いまは「おから」の炒り煮など、ふつうに食べられるようにはなった、けれど。

 若い頃までは、薩摩芋と「おから」が苦手。
 薩摩芋は戦後すぐの幼時、「かて飯」や芋粥で厭きるほど喰ってきたからであり、「おから」には前記のような事情があったから。
 「かて飯」は、いまでいえば「炊きこみご飯」だが、そんなん…ぜ~んぜん別もの、薩摩芋もいまどきのホクホク焼き芋はぜ~んぜん別ものの増量食材にすぎなかったのだ。

 さて、あらためて、卯の花。
 前出、楠本さんの『作句歳時記』には「初夏の頃ほんのりと咲く、味わい深い白い花」と紹介され、さらに加えて「箱根ウツギという種類の花は、白から紅、紫と変化してそこぶる美しい」とあったが…ざんねんながらぼくはまだ、おめにかかっていない。

 植物に格別な知識があるでもない、ぼくがそれでもスキと主張したいのは、バイカウツギ
 ロウバイを彷彿とさせる、ぽってりとふくよかな花が、「腐たし」イメージには遥かに遠いかわいらしさで、とても愛おしい。