どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地巡礼、2017春・ぐるっと福島/4日目⑧…放射能汚染との格闘つづく常磐線

-No.1377-
★2017年06月29日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 2303日
★ オリンピック東京まで → 1121日

双葉町




大熊町




富岡町/2016夏、夜ノ森駅




富岡町/現在、富岡駅】









楢葉町



◆涙の「夜ノ森」駅

 太平洋沿岸を南下した場合、浪江町高瀬川を越えた辺りから、いよいよF1(福島第一原発警戒区域に立ち入る気配が濃厚なものになる。
 いまも全町避難がつづく〝帰還困難区域〟竹矢来(バリケード)ロードになる。

 いつも、なんど通っても、ムッと無言にならざるをえない、なぜか不愉快きわまりない無人地帯、草は丈高く茂るにまかせても〝不毛〟なのだった。
 耐えて、抵抗して、ボクは、極力スピードを抑えて走ろうとする…そのわきを〝堪るか〟とばかりに他車が、被災地の〝日常〟が、スピードを上げてバンバン追い抜いて行く。
 それがアタリマエの日常なので、旅人は邪魔にならないように、ときどき車を路肩に寄せて道をゆずる、しかない。

 ナニ喰わぬふうにしか見えない、福島第一原子力発電所入口をすぎる。
 この信号にこそ、いま現在の、廃炉作業進捗状況の掲示があるべきなのに……

 このたびは山側の、葛尾・川内の2村に立ち寄る時間がとれない。
 沿岸部に、まだ立ち寄りたいところがある。

 富岡町に入って、「夜ノ森」駅へ。
 何度も通ってきた県道に右折しようと、ウィンカーを出して右折車線に入ったら。
 (えっ…入れない!?)
 (まさか)の〝通せんぼ〟に小突き返されて、一瞬アタマが混乱する。

 (なんで、どうして…)
 ちょっと先に、もう1すじ、駅へと通じる道があったけれども。
 警備員のおじさんが腕を✖印にして、進入禁止。
 憮然。だが、なにか事情ができたのだろう、あきらめざるをえない。

 思えば、「夜ノ森」は〝近くて遠い〟駅。
 川内村から県道36号を下って来られるようになった2014年春、常磐線に突きあたったところで、このさき通行止。すぐ右手にあるはずの夜ノ森駅へは入れず、強引に国道6号へ迂回させられた。

 夜ノ森地区そのものが、放射線量のホットスポットみたいなもの。
 それから2年後の16年になってはじめて、ようやく開いた風穴ひとつという感じの道すじを辿って、「夜ノ森」の駅を裏(表の駅前は立入禁止)から眺めることができた。

 道より一段低いところを走る線路に挟まれたホームも駅の跨線橋も、ツツジの名所として知られる両側の斜面も……丈高く、それこそ〝鬱蒼〟と茂る雑草の群集にほとんど覆い隠されていた。

 その「夜ノ森」駅の記事が写真付きで掲載されたのは、ことし17年3月。
 多くの乗客に親しまれた名所のツツジを、常磐線の全線復旧を目指すJR東日本が除染のため〝根こそぎ〟除去を提案。町民の想いを考慮した町が根株をのこしてほしいと申し出ている、とのこと。それでもツツジが再生して花を咲かせるまでには10年ほどかかるだろう、と。
 その後の協議で、結論は間引くカタチで一部の根株をのこし、あとは新しい株に植え替えることになったらしい。

 そうして、さらに4月中頃。
 夜ノ森の記事がまた新聞紙面を飾った、こんどはカラー写真付き。
 1日に避難指示が解除になり、やっと立ち入れるようになった300メートル(全長は2.2kmのうち1.9kmはいまも帰還困難区域)ほどの夜ノ森の桜並木で「7年ぶりのライトアップ夜桜満開」とのことだった。

 それは、ぼくが悔しい思いをさせられつづけたバリケードの向こうに、真っ直ぐつづく道らしかった。
 懐かしさがドッと胸にあふれた。
 桜の季節はすぎたけれど、開通した道を歩いてみたかった……

 だがしかし、現実には、また行く手を遮られた。
 おなじ《11.3.11》の被災地でも、福島県にかぎっては、こうした理不尽なことの繰り返し。
 それがなにより、人々の気もちを萎えさせてきた……

 気をとりなおして、富岡駅へ。
 小高駅(南相馬市)から内陸寄りへ入った常磐線は、現在も不通区間の浪江-竜田間で、ちょうどF1(福島第一原発)を回避する格好になっているわけだが、この区間が実際のところ津波被害も大きく、くわえて原発爆発事故による放射能汚染被害が深刻に追討ちをかけてもいた。

 線路がグニャリ、橋が落ち、あるいは路盤の盛土ごと線路を流され、F1付近では線路の復旧にトンネル型シェルターを設けるなどの苦戦つづき、夜ノ森(富岡町)・大野(大熊町)・双葉(双葉町)の3駅はいまも帰還困難区域にある。

 常盤線は、富岡駅で海辺にでる。
 津波被害の痕が、きれいに瓦礫撤去・整地され、いまは新駅設置が急テンポで進んでいる。
 目に見えるカタチでの変貌が明らかな、ここも定点ウォッチポイントのひとつだった。
 どこかは知らない、外国からの取材クルーが、駅近くの踏切にカメラを構えていた。

 しかし……
 海辺では、防波護岸の工事中、いまだに関係者以外は浜に近づけない。
 工事中の駅の駅前広場には、代行バスが人待ち顔だったが、席はひとつも埋まっておらず、待合ベンチにも人影はない。
 以前は小さくてもあった駅前の商店街が、いまは無人。モニタリングポストも(!?)消えていた。
 南隣りの竜田駅へも、北隣りの夜ノ森駅へも、レールの先は途切れて見えない。
 この町が、いつになったら蘇るのか、想像もつかない。

 お隣り楢葉町竜田駅にも寄ってみた。
 この駅で唯一の変化は、臨時雇いにしても改札駅務の人の姿があることだった。
 ホームからは折り返し運転の上り列車が、わずか一人だけの乗客を乗せて走り去った。

 ただ、少しは明かるい見通しの報告もあって。
 それは東京新聞こち原発取材班」の17年3月22日記事、夜の灯りで確認した「楢葉町富岡町の住民帰還」。
 町が確認した帰還世帯のうち、夜になって灯りの点った家を一軒一軒かぞえるという、これぞ記者魂ものの取材報告である。
 結果、楢葉町(16年9月避難指示解除)では点灯430軒/帰還441世帯、富岡町(17年4月1日避難指示解除*この記事掲載の時点ではあくまでも帰還予定)では点灯13軒/準備宿泊名簿登録163世帯、であった。

 これはつまり、F1からの距離と放射能汚染の程度と経過年月とによるもので、その意味では富岡町にも楢葉町と同様のチャンスがないわけではないのダ、が。
 さて、現実の将来はどんなものだろう……