どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地巡礼、2017春・ぐるっと福島/4日目⑦…浪江駅、町役場、〝なみえ焼きそば〟

-No.1376-
★2017年06月28日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 2302日
★ オリンピック東京まで → 1122日















◆〝通せんぼ〟の町

 F1(福島第一原発)立地の大熊町と、傍に寄り添うようにある双葉町が〝竹矢来(バリケード)の町〟なら、その前後をはさむかたちの富岡町浪江町は、〝通せんぼ〟の町であった。

 ことに浪江町にその印象がつよい。
 沿岸の南相馬市から国道6号を行けば、町役場すぐそこの「知命寺」交差点で前進・右折・左折の3方向を拒まれ、追い返され。
 山越えの道を行ってもホットスポットの「津島」地区に行く手を阻まれる。

 〝全面通行止め〟から〝許可証のない車両の進入禁止〟になっても、〝通せんぼ〟にかわりはなかった。
 気の毒にも、多くの復興支援者にとって〝恨めしい〟不毛の町、沈黙の、息をひそめた町でありつづけた。

 その浪江町が6年ぶりに、一部地域にかぎるけれど避難指示が解除され、常磐線浪江駅が営業を再開した。
 眠り姫が意識をとりもどしたようなものであった。

 南相馬市小高区から請戸川を渡って浪江町に入る…〝通せんぼ〟がなくなってしまえば、なんとも呆気ない。
 町の素顔を見に、なにはともあれ浪江駅へ。
 
 駅前広場のバス乗り場には、運転手だけの臨時の町営バスが人待ち顔にポツンと停まっていた。
 とりあえず(6年不在の埃は掃除しました)感じの、花壇であったろう固い土には雑草が刈りのこされてあった。

 駅舎に入ると、「えっ」と思うほど待合も大きく、電光掲示板や券売機なども立派、ホーム2本の設備を見てもこのあたりの主要駅と知れる。

 次の列車までにはまだ間があるのだろう、乗客の姿ひとつない昼下がりの駅空間に、ものめずらしげな視線とスマホのカメラを向ける人は、服装から見て営業マンらしい。空き時間の社会見学(…といったところであろう)を終えると、サッサと車で走り去る。

 ガランとした駅前広場に立ち、目の前に広がる市街地を見渡して、あらためて愕然。
 用のなくなったオープンセット…にしか見えなかった。

 あらためて見なおすと、駅前広場に記念碑があって「高原の駅よさようなら誕生の駅」と刻まれてある。
 『高原の駅よさようなら』という歌謡曲は1951年、小畑実さんの唄だった記憶が、ボクのあたまの隅にもあった。
 この唄を作曲した佐々木俊一さんが浪江町の出身ということだった…が、なんともチグハグな印象をぬぐえない。
 (もう少しうまい碑の建て方はなかったものだろうか)

 ……………

 浪江町にはまだ、ぼくの拠りどころは、ない。
 追い返されるか、そそくさと通過させられるか、入域許可証をもらって日帰り滞在しても、帰りには浴びた放射線量を確認するスクリーニングを受けなければならなかった。
 
 業務再開したばかりの町役場に、隣接してつくられた仮設の商店街「まち・なみ・まるしぇ」。
 コンビニ、カフェ、クリーニング店など10店舗ばかりが集まった一角に、「なみえ焼きそば」の店がある。

 この店は「浪江焼麺太国〔やきそばたいこく〕」のアンテナショップというふれこみ。
 極太の中華麺に豚バラとモヤシだけの具、濃厚ソースで仕上げた上に一味唐辛子を振りかける…ご存知ご当地グルメの祭典「B-1グランプリ」で13年に1位を獲得して一躍、名をあげたあの焼きそばだ。

 店を仕切るのは、元地元紙記者(浪江支局長)の浅見さんという方、といってもボクに面識はない。
 浪江町とお近づきのきっかけに…と思ったいたのだけれど、ざんねん、すでに昼すぎ、この日の分を売り切って早や閉店していた。
 やむをえない、出直しである。
 
 かわりにコンビニで買い物、ふと駐車場の方を見たら、いままでそこここに屯していた若い人たちが、マイクロバスへと帰っていくところ。
 バスのボディーには、県内某町役場の名があって、どうやら視察らしい。
 
 とうぶんは、このような動向がくりかえされていくのだろうと思われ。
 宮城・岩手にくらべると、やはり3~4年は遅れており、いうまでもないすべてはF1原発事故のせい。
 この罪のふかさ、あらためて思うべきでアル。